2011年4月17日日曜日

井上ひさし / 吉里吉里人

もうずいぶん昔でしたが、たしか高校生だったか、浪人していた頃かに昨年亡くなった井上ひさしの「吉里吉里人」という分厚い小説を読みました。

背の厚さが4cmくらいはあろうかという単行本だったので、1000ページ近くあったかもしれません。特に井上ひさしのファンというわけでもなく、他に本を読んだわけでもないのに、なんででしょうかね。

実際、小説の中身もよく覚えていないのです。とにかく東北の小さな村・・・吉里吉里村が日本からの独立宣言をして吉里吉里国となるという話。荒唐無稽な、ある意味SF的な発想が、面白いと思ったからかもしれません。

しかし、今回の東日本大震災で、すっかり忘れていたこの本を思い出しました。報道で岩手県に吉里吉里というところが出てきましたが、直接の小説の舞台ではありません。架空の世界、吉里吉里国は完全時給自足で、食物はもちろんエネルギーも外国(つまり日本ですが)に頼ることがない。

今の東京とはまったく正反対です。日本の首都と言って威張っていても、食料はほとんど外から入ってくるし、水も他県に流れているものを使っている。電気は・・・まさに地方に大いなるリスクを背負わせて、のうのうとIT社会とか言って使いたい放題でした。

ある意味、吉里吉里国は理想の世界なのかもしれませんが、もちろん机上の空論であって、やはりファンタジーです。現実には、せまい日本の中では、それぞれの地域がその特性を生かして共存していくしかありません。

この本の中で、とにかく大変面白かったと覚えいるのは、実は中程に100ページくらい使って大まじめに書き込まれている「吉里吉里国語」の文法解説です。要するに「ずーずー弁」の話し方の教科書。

大学に入ってから、ずーずー弁があまりうまかった(?)ので、東北出身の同級生に仲間と思われたことがありました。これはひとえに吉里吉里国語を勉強した賜でした。

今一度、この便利な生活というものを考えてみる材料として、「吉里吉里人」は格好の材料になるのではないでしょうか。