2011年4月24日日曜日

たかが映画ですけど

根本的に映画とテレビドラマは箱が違う。最近は境界が不鮮明なものが増えていますが(いいのか悪いのかよくわかりません)、映画は一定の時間枠の中にすべての作品の起承転結が詰め込まれていて、完結した世界を持っています。

時間の制約故に、映像の中に製作者の意図するメッセージがあふれていて、たった一つのセリフの裏にはたくさんの言葉が隠れているのです。ですから、見る側は表に出ている部分以上に隠された部分までを読み取る力を求められており、そこに思索の楽しみがあるからこそ映画が芸術として成り立っている。

おおきな画面で見て迫力があったとか、はやりの3Dでびっくりしたとか、リアルなサラウンドの音響に感激したとか、こういうことはあくまでも商業的な修飾の方法論の一つであって、映画の本質とはかけ離れたものといわざるを得ません。

一方、大多数のテレビはスポンサーが存在して、基本的にCMを見せてスポンサーの利潤が上がることが目的であることは否定できません。テレビドラマは極論すれば、CMを見てもらうための道具に過ぎない。テレビの芸術性を議論するのは、テレビが映画に比べて下に見られれるある種のコンプレックスを解消するためなのかもしれません。

というわけで、なんやら小難しいことを書き出してしまいましたが、要するにたとえ2時間でもテレビの前にじっとして番組を見続けるなんてことは、年に数回あるかという生活をしてきたので、来週に続くみたいなテレビドラマをかかさずみるなんていうのはどうも性に合わないというだけのことなんですけどね。

去年は子役の加藤くんがさんざん道具として引っ張り出されていましたが、今年は女の子です。ドラマも何本も出でいますが、バラエティにまでやたらと使いまわされている。これは、まさにテレビ業界のタレントの消耗品扱いを絵に描いたような状況です。

テレビは、今旬なもの、つまりCMを見てもらうために視聴者が興味を持つものを最優先で番組に組み込んでいくわけで、そこには番組自体の内容の良し悪しは二の次という態度が明白じゃありませんか。

だからこそ、映画業界にも「続きは来年」みたいな作り方はやめてもらいたいものです。本当にいい映画なら、3時間でも4時間でも見ることはできるのです。2時間で話の途中で終わるものを「傑作」とか持ち上げているマスメディアはどうかしていると思いませんか。

好評だった映画が、続編を作るということは昔からあって、これは一つ一つが完結した世界でした。続くになったのは、さあて、どこからだったのでしょうか。

とりあえず、記憶に残るものでは、''STAR WARS(1977)''でしょうか。最初から大河ドラマ仕立てということでしたが、第一作はとりあえず話は一応完結していたました。第二作は3年後の''帝国の逆襲(1980)''で、最後に主役の一人がピンチのまま終了というのはかなり驚いた記憶があります。その結末が見れたのはさらに3年後の第三作''ジェダイの帰還(1983)''ですから、いやはや見る側もずいぶんと気が長かったものです。

それでも、この辺りは映画としての世界観が確立してるので、許せないわけではありません。最近の日本の映画は、もう目を覆うばかりです。映画産業がやや落ち目になったのをいいことに、完全にテレビ業界に乗っ取られてしまい、もう完全にテレビに隷属したかのようなものが目立ちます。わざわざ二つ、三つに分けてしまう正当な理由のある作品があるでしょうか。

2時間程度では短すぎて作れないから? だったら作らなければいい。映画化不能というものがあってもいい。つまり製作者が、その題材を映画として作る技量がないからというのが実際のところかもしれません。もちろん、商業的な理由が大きいことは当たり前ですが。

今日は、いつになく攻撃的な感想を書いてしまいました。勝手な言い草ですが、まぁ、それだけ、映画界・テレビ界にはがんばってもらいたいという気持ちの裏返しと思って許していただきたい。