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2018年1月8日月曜日
記紀から知る成人
1999年までは、「成人の日」は1月15日に固定されていましたが、現在は1月の第2月曜日です。新成人に、大人になったことを自覚してもらい、かつそれをお祝いするための祝日とされています。
元々は、皇室で行われていた大人として認める通過儀礼の一つで、元服の儀と呼ばれていたものが1月15日に行われていたもの。「元服」は、頭(元)に冠を被る(服)という意味です。
ですから元服は、「加冠の儀」とも呼ばれ、制度化したのは奈良時代以後。男子が冠、女子が釵子と呼ばれる装飾具を頭部に着して成人の装束を完全に身にまとうことで、一人前になったことを披露することになりました。
一般に広がるのは室町時代以後らしく、記紀の対象の中心である古墳時代ではあまり明確な記述は見つけにくいようです。
天武紀11年(682年)に続けざまに身なりについて詔した記載が見られます。その中で、髪をきちんと結い上げて冠を被るという形が出来上がりました。
古くは、ヤマトタケルが最初に父・景行天皇から熊襲成敗を命じられた時に、こどもの髪形を額に結い上げて大人の髪形にしたと古事記に記載があります。日本書紀によれば、この時のヤマトタケルの年齢は16歳です。
大人として認めたから、それに見合った髪形の変化が記載されているのでしょうが、そのとたんに単独で戦争してこいという命令ですから、ずいぶんと酷な話です。
後に聖徳太子と呼ばれた厩戸皇子は、蘇我馬子の物部守屋討伐軍に参加していますが、この時は14歳くらい。まだこども扱いで、束髪於額(ひさごはな)と呼ばれるこどもの髪形で軍の後方にいました。推古天皇の皇太子になるのは5年後のことで、次期皇位継承者にふさわしい大人として扱われています。
舒明紀の最後、天皇崩御の記事に、後の天智天皇(ここでのみ東宮開別皇子と呼ばれている)が16歳で誄(しのびごと、今で言う弔辞)をしたとあります。少なくとも大人としての扱いだろうと考えられます。
何歳から大人として扱うのかは、時代による変遷がありますが、記紀の中心である古墳時代は15歳くらいということなんでしょうね。髪形を変えることで大人であることを表し、天武朝で加冠制度が始まり、大宝・養老律令で法制化されたということのようです。
最近は、大多数の若者はちゃんとしているのはわかりますが、成人の日の式典で大騒ぎする一部の新成人のニュースが毎年流れます。彼らは、「成人の自覚が無く、祝ってもらうところを自ら祝っている」わけです。もう、メディアで取り上げてわざわざ話題にするのはやめてもらいたい感じがします。