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2010年10月9日土曜日

骨肉腫

整形外科の守備範囲には、比較的悪性腫瘍が少ない。ところが、数少ない悪性腫瘍の代表が骨肉腫という病気で、やっかいなことにそのほとんどの患者さんはこどもなのです。

大人でも「あなたはガンで、死ぬか生きるか五分五分です」みたいな告知をされたら、冷静でいられることは少ないわけです。まして、相手は10代のこどもだと、それを理解してもらうというのは大変困難な作業になるわけです。

医者になって10年目くらいの頃に、大学にいてなんとなく腫瘍担当みたいになっていた時期がありました。特に腫瘍に興味があったわけではなかったのですが、偶然に数人の患者さんを同時にもつことになってしまいました。

骨肉腫はたいてい単純レントゲンで疑いを持つことになるのですが、たいてい緊急入院をしてもらわなければなりません。すぐにいろいろな検査を行い、早急に診断を確定して治療にはいらないと、病気はあっというまに進行していくのです。

患者さんにとっては楽な検査などはなく、入院して2週間くらいは大変な思いをしていたはずです。そして、最後に組織を一部取り出す生検を行い、病理診断で確定することになります。実際の所、ここからが本当の戦いの始まりなのです。

悪性腫瘍は、見つかったときにはすでに骨内転移を起こしていると思って間違いなく、見た目にわかる腫瘍だけを切除しても、命を救うことはできません。そこで、まず抗がん剤による化学療法を行わなければならないのです。

そこで、ここまでのことを、本人と親の両者に説明して理解してもらう仕事をしなければなりません。化学療法は、大変な苦痛を伴うので、こどもにそのことを理解して協力してもらうことはなかなか難しい。また、命に関わる重大な病気を親に冷静に納得してもらうことも簡単なことではありません。

しかし、何故か骨肉腫のこどもたちは大変素直ないい子ばかりなのです。何故苦しい治療を行わなければならないのか、そしてその結果がどのような期待がもてるものなのか、必死に理解しようと努力してくれるのです。

抗がん剤の治療が始まると、医者の側も大変なストレスがあります。薬を使った後、もしも何もしなければ確実に患者さんが死んでしまうような量の薬を使うので、毎日必死にケアを続け週末になると、何とか無事に今週は終えたとほっとすることの連続です。

以前、たったの9歳の女の子が骨折をして運ばれてきました。レントゲンで、明らかに骨が溶けていて骨折したことがわかり、骨肉腫が疑われました。検査の結果でも、間違いなく早速化学療法が始まったのです。

数週間にわたる化学療法に耐え、検査ではかなりの腫瘍組織が壊死したことがわかりました。そうなると、足を切断せずになんとか残すことが可能な状況になったのです。とはいえ、かなりの骨を切除するため、かわりに人工の骨を入れないといけない。

そこで両親に説明した上で、数百万円もかかる特注の人工骨を用意することになりました。というのも、まだ9歳ですから、身長が伸びるのでそれに合わせて人工骨も延長しないといけないからです。けして経済的に余裕がある家ではなかったようですが、両親は快く同意してくれました。

ところがしばらくして、突然母親から思っても見ない申し出があったのです。母親はある宗教の信奉者で、輸血が必要になる手術はどうしても賛成できないというものでした。何時間もかかる大きな手術ですから、輸血無しと言うことはとうていあり得ません。

それでも、自分の血液を輸血用に採り貯めておくという方法を説明して、何とかその場は理解してもらいました。ところが、数日後にやはりその方法でもダメだというのです。一方、信者ではない父親は、何とか自分から説得するので計画を進めて欲しいという意向でした。

ところがさらに数日して、その父親から、特注の人工骨の支払いをすることはやむを得ないが、輸血の必要のない足の切断手術をしてもらいたいとの話がありました。毎日、母親と言い争いになり、父親はもう心底疲れたと言うのです。本当に精神的にまいっている様子で、医者の側としてもそれ以上説得することはできませんでした。

結局、女の子は大腿部から足を切断することになり、自分が記憶する限り、これほどやっていてむなしい手術は他にありません。そして、切断した骨の標本の病理検査の結果、腫瘍組織が99%以上死んでいたことが確認され、ほぼ間違いなく足を残すことができたはずだったということがわかりました。

個人の宗教感については、他人がとやかく言うことはできません。しかし、親だからと言ってこどもの将来に重大な不利益を伴う結果を残す権利はあったのでしょうか。医者は患者さんのプライベートな部分にどこまで立ち入ることができるのでしょうか。骨肉腫の治療の経験の中で、一番考えさせられた患者さんでした。