クラシックである程度聴き込んでいくと、聴くものが無くなる。そりゃ、そうでしょう。ベートーヴェンにしても、200年くらい前に死んでいるわけで、当然新作は無い。どこからか、ピアノソナタ33番なんて譜面が出でてこないとは限りませんが、まぁ普通は期待できる話ではありません。
そうなると、お気に入りの演奏家のものを次から次へと聴いていくか、お気に入りの曲のいろいろな演奏を楽しむというのは自然の道筋ということになります。
とは言え、これにも限界がある。グレン・グールドは30年前に亡くなり、もう新しい録音が出てくることもないでしょう。
じゃぁというわけで、辻井くんを片っ端から聴き倒そうと思っても、まだ数枚のCDしかありません。
バッハのゴールドベルク変奏曲の世にあるすべての録音を制覇してみようと思っても、あまりにありすぎてとても無理。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは32曲全部聞くのにほぼ丸1日はかかりますし、とても何人も聴き続けることはできない。だいいち、お金がかかってしょうがない。
結局、そういうクラシックファンが、次に目をつけるところは「編曲物」というジャンルであることは必然の結果といえそうです。
作曲者自身が編曲する場合と、他人が編曲する場合。ほとんどそのままに編曲する場合もあれば、よくぞここまで変えてくれましたというようなことある。
以前にベートーヴェンのピアノ・ソナタを他人が弦楽四重奏に編曲したものを紹介しましたが、実はベートーヴェン自身もソナタ9番を自ら弦楽四重奏に編曲しているんです。スメタナ四重奏団の演奏で聞くことができますが、さすがに自分の曲だけに文句のつけようがありません。
モーツァルトは人気作曲家だけあって、いろいろな人がいろいろな曲をいじっているのですが、ピアノ協奏曲については直弟子のフンメルの編曲集は、モーツァルト編曲物の決定版といってもいいかもしれません。
ピアノ協奏曲をピアノ、フルート、ヴィイオリン、チェロという4人編成で演奏するようにしたものですが、弟子だけあって、当時のモーツァルトの実際の演奏に即したものと考えられています。
当時は、録音なんてことは当然できませんし、大編成のオーケストラが簡単にあちこちで演奏するわけにもいかない。ですから、こういう小編成に編曲したものがちょこちょこと演奏されることが、曲が知れ渡ることに大きな関係があったといわれています。
今回の白神典子の演奏は、このフンメル版に焦点を絞った好企画。この人は日本人ですが、早くからヨーロッパを舞台に活躍しており、特に「編曲物」を取り上げることが多いので、マニアには受けがいい。
以前にショパンのピアノ協奏曲の室内楽版を聴いたのですが、もともとオーケストラが下手くそなショパンですから音をそぎ落として、エッセンスだけにした室内楽版は大変いい感じで嬉しくなってしまいました。
モーツァルトのピアノ協奏曲では、オーケストラを最小人数に絞り込むフンメルの力に驚かされます。そして曲の中でのピアノの動きが手を取るようにわかるのが、実に楽しい。
原典至上主義と考える方には邪道な方向性だとは思いますが、改悪なら困りますけど、こんな楽しいいじり倒しは、もっともっとやってもらいたいものだと思うわけです。