夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2019年1月14日月曜日

ラプラスの魔女 (2018)


人気作家、東野圭吾の書下ろしを映画化。どちらかというと暴力描写が得意な三池崇史が監督、主役に嵐の櫻井翔、若手躍進中の広瀬すず、福士蒼汰、ベテランの豊川悦司を配した最新作。

う~ん、いやはや、なんだかなぁという感じなんです。

まず主役の一人、桜井君なんですが、捜査に協力しているどこかの大学教授ということなんですが、突然この人が出てきても、教授としての力量は描かれず、教授としてはあまりに若い桜井君ではキャラクターとしての説得力が無さ過ぎる。

広瀬すずは、さすがに若手の中でも注目されるだけの女優さん。演技に関しては、素晴らしいと思うのですが、いかんせん国家権力によって監視されている立場にしてはあまりに行動が自由過ぎ。

クライマックスは、桜井・広瀬はほったらかしで、どちらかというとトヨエツと福士君の歪んだ親子関係の対決となっている。狂気のトヨエツはさすがですし、それに対する福士君もなかなか頑張っているので、真の主役はこの二人かなという感じです。

広瀬・福士の二人が持っている特殊な力は、予知能力ではなく予測能力であるというところは説明としては理解できます。ただし、この能力をうまく話しの中で生かし切れているわけではなく、単なる超能力者という扱い方でしかないように思いました。

というわれで、あまり多くを語れる映画ではありませんでした。

2019年1月13日日曜日

ちはやふる 上の句・下の句 (2016)、結び (2018)

映画でも、内容を簡潔にわかるように分類するというのは普通のこと。そこで「ちはやふる」なんですが、「青春物」とか、「恋愛物」とか、「コメディ」などなど、いろいろなジャンルが当てはまる。

ただし、一番ふさわしいものを一つだけ挙げるなら、直接的なスポーツではありませんけど「スポ根物」というのがいいかと思うくらい、登場人物の頑張りがすごい。

もともとは少女漫画ですが、当然原作は呼んだことはありませんし、本来マンガが原作の実写化映画の多くは、マンガの人気にあやかってヒットだけを狙っているような、映画としては駄作が多いのであまり興味が無い・・・んですが、ひょんなことから見てしまったこの映画、なかなか只物ではありません。

監督は小泉徳宏で、あまり作品は多くない若手の一人。ところが、たくさん出てくる主要人物のキャラクターの描き方がうまい。脚本も担当していて、3作でのぶれがなく、またストリーごとの主人公たちの成長の過程も納得できる作りはたいしたものかも。

基本的には、小さい時に競技かるたのチームだった三人(広瀬すず、野村周平、新田真剣佑)が、敵味方に分かれ団体で、あるいは個人で対戦していく中で成長していく話。競技かるたという、ややマイナーな競技をわかりやすく説明してくれているし、また興味深く話を追いかけていくことができました。

当初は、高校1年生の前後編の2部作で終了する予定だったようですが、高校3年になった続編が作られることになり、登場人物もリアルに2年間での成長が映画の中にうまく投影されています。続編は2匹目のどじょう的なものが多く、やらなきゃよかったのにと言いたくなる映画が多いものですが、ここでは続編を作った意義がはっきりしていて、3作続けてみることで映画としての完成度の高さを実感することができます。

あらすじとかは、いろいろなネット情報におまかせするとして、まず痛快なのが主人公の千早を演じる広瀬すずのはっちゃけぶり。かるたに対して真っすぐで、一度やると言ったらとことん突き進むところがめちゃめちゃいい。

ひそかに千早に好意を抱く太一(野村)は、何をするにも千早のため。結局、かるたを続けているのは千早のためで、最後に自分の進み先が見えなくなってしまう。新(真剣佑)は、名人の祖父が亡くなり、祖父のためとがんばっていた目標を失いますが、千早たちをみて、自分のためにかるたを再開する。

とにかくうまいと手をたたきたくなるのは、最終的な部分を直接的にえがかないところ。スポ根としては、最後に勝利を手にして万歳で終わる。あるいは、恋愛ものとしては、三人の三角関係に決着がついて、どちらかが潔く手を下ろしてさわやかに去っていくというところ・・・

これらをいずれも、アニメーションで処理することで、むしろ主人公たちの成長していく姿を印象付けたと言えます。今まで、皆からもらってばかりだった千早が、最後の最後、今度は自分がみんなに上げる番だと悟っていく流れは素晴らしい。映画のラストシーンは、そんな千早の将来をチラ見せして終わるのも粋な計らいです。

難しいことを言わずに、とにかく楽しんで、出てくる登場人物の全員を応援して、そしてさわやかに見終えることができる映画でした。

2019年1月12日土曜日

母と暮らせば (2015)

山田洋二の84本目の監督作品。松竹創立120年記念、第39回日本アカデミー賞で、最優秀主演男優賞(二宮和也)と最優秀助演女優賞(黒木華)を受賞しました。ちなみに、この年の最優秀作品賞は「海街ダイアリー」で、最優秀監督賞は是枝裕和が受賞しています。

井上ひさしの「父と暮らせば」と対をなす「戦後"命"の三部作(山田洋次が命名)」の一つ。井上ひさしが亡くなったため、山田洋次がその原案をもとに脚本を書きました。

「父と暮らせば」はすでに舞台劇として完成していたので、映画として舞台を限定した会話劇の体裁でした。こちらも、その流れをある程度意識して、基本的には母と子の楽しかったころを思い出しての会話劇のスタイルを踏襲しています。

ただ、さすがに映画監督が作るからには、登場人物も多くなり、母子の家以外の場所でのエピソードもそれなりに盛り込まれ、ファンタジー色も強めになっています。

「父と暮らせば」は、広島で被爆して生き残ったことを責め続ける娘のもとに、3年たって初めて戦争以外に気持ちがむきそうになることをきっかけに、父親の幽霊が出現してくるというもの。

一方こちらは、長崎で息子の浩二(二宮和也)を亡くした母親(吉永小百合)のもとに、3年たってやっと息子をあきらめようとすることをきっかけに浩二の幽霊が出現します。また、息子の許嫁、町子(黒木華)も気持ちの整理がつかぬまま重要な登場人物となっています。

被爆瞬間を、強大な光とその中でガラスのインク瓶が溶けていく様子で表現したのは秀逸です。浩二は町子との楽しかったひと時を回想しながら、しだいに町子が自分にこだわらなくていいと考えるようになります。

母親は、体調が悪くしだいに体力を落としていく中で、息子との会話の中から自分の人生を納得していきます。そして許嫁に対して、別の人を好きになっていいんだと説得するのでした。

年の瀬、町子は婚約者を連れて母親のもとを訪れます。この婚約者を演じるのは浅野忠信で、「父と暮らせば」に対するオマージュとしての配役でしょう。母親は、浩二に死期が近いことを教えられ、静かに息を引き取るのでした。そして母親と浩二は連れ立って天国に向かって行って映画は終わります。

何と言っても、吉永小百合さんが死んでいく役と言うのは驚き。ある意味、これは禁じ手です。一人で静かに死んでいくというだけで、涙ものとしかいいようがない。

でも、最後で婚約した町子を祝福したにもかかわらず、母親は「なんであの子だけが幸せになるの」と思わず本音を言ってしまうところは、「父と暮らせば」で生き残った娘の親友の母親が「なんであなたは生き残ったのか」と責めるところと同じ。

でも、こちらで、そんなことを言ってはいけないということはわかっているというのは、「父の暮らせば」の娘に対してのものかもしれません。

原爆の直接的な悲劇というよりは、戦争そのものが家族を引き裂いていくことがメインのテーマになっているように思いますが、中途半端な登場人物たちの喋る長崎弁が気になります。

また、浩二の幽霊の登場の仕方や、最後の二人で天国に旅立つシーンのベタな演出は好き嫌いが別れるところだと思います。この辺りは、ある意味「昭和的」なところ。

総合的に2作品を比べてみると、映画的には「母」が良くできていて、吉永・二宮という二人の「アイドル」の登場で、ファンタジー色が強まりました。しかし、戦争の悲劇を伝える力は「父」の方に圧倒的に軍配が上がるように思いますし、舞台劇の制約の中で映画的な処理に工夫を凝らしている点も高く評価できると思いました。

2019年1月11日金曜日

父と暮らせば (2004)

黒木和雄監督作品。原作は井上ひさし。

こまつ座は、井上ひさしが主宰し彼の作品を専門に上演する劇団です。井上は「戦後"命"の三部作」という構想を持っていて、その一作目として1994年にこの広島を舞台とする「父と暮らせば」を初演しました。

しかし2010年に井上ひさしが亡くなったため、長崎と沖縄を舞台にする残りの二作品は井上の生前に日の目を見ることはありませんでした。

長崎を舞台とする作品は、その構想を山田洋次監督が引き継ぎ、舞台では2018年にやっと上演されました。沖縄を舞台とする「木の上の軍隊」は2013年に初演されています。

察しのいいひとならすぐ気がつくと思いますが、実は山田洋次監督作品「母と暮らせば」が、長崎を舞台にする「父と暮らせば」と対になる作品です。この両作品は合わせて観賞するべきもの。

広島に原爆が投下されて3年。23才の福吉美津江(宮沢りえ)は、原爆により半壊した家で一人暮らしを続けていました。務めていた図書館に、原爆の資料収集のために訪れた木下という青年(浅野忠信)に被爆以来初めて恋心を抱きます。

その気持ちが芽生えたことをきっかけに、原爆で亡くなった父親(原田芳雄)の幽霊が出現するようになり、美津江の恋を成就できるように応援するのです。

しかし、美津江はかたくなに「自分は幸せになってはいけない」のだと言って殻に閉じこもろうとします。父親と庭にいた被爆の瞬間、美津江は親友への手紙を落としてかがみこんだことで、石灯篭の陰で救われました。

その親友は死に、その母親からは「何故うちの子が死んで、あなたは生きているの」と責められたのです。さらに、原爆病の恐怖も手伝って、生き残ったことは罪だと思い込んでいるのでした。しかし、さらにその気持ちの一番奥には、「お前だけは生き延びろ」と言われて、瀕死の父親を置いてその場を離れたことが、最大の呵責となっていたのです。

もともと舞台での二人芝居ですので、映画でもほとんど父娘の会話劇として物語が進行します。二人の会話の中に、戦争で死んだ者の悔しさ、生き残った者の辛さ、そして何よりも原爆の恐ろしさが埋め込まれていて、そのすさまじいエネルギーに心を奪われてしまいます。台詞はすべて広島弁で、それが本当に被爆した方々の心の叫びのように感じられる。

当然、宮沢、原田二人の演技が本当に見事であることが大きな要因なのですが、たくさんの長い台詞だけでなく、言葉が無い時の仕草なども、この映画のエネルギーを増大させていることは間違いありません。

ほとんどの場面は福吉家で進行しますので、舞台劇を見ているような錯覚をします。映画としては、どうしても地味になりやすいところですが、長台詞の間二人の周りをカメラが360゜回転して見せたり、被爆の様子や、被爆後の壊滅した街の様子をCGなどを駆使してリアルに見せたりすることで、映画としての立体感・空間感を作り出している監督の手腕はさすがです。

力強く生きていくための希望を見つけたかもしれない美津江は、父親に「しばらく会えんかもしれんね。おとったん、ありがとありました」と言って物語は終わります。


2019年1月10日木曜日

花びら

f/5.6  1/50sec  ISO-800  210mm

魅力的な花の代表は、何と言っても薔薇。

老若男女問わず、さしあたって何か困ったら薔薇を用意しておけば困らんでしょう。

もちろん種類にもよるんでしょうけど、新鮮な薔薇の花びらは、ビロードのよっな質感があり、確かに魅力的です。

ビロードはポルトガル語で、英語だとベルベットです。高級品は絹で織られていてフォーマルウェアに用いられますが、正直着たことが無いので本当のところはよく知りません。

たぶん、見た目で似ているということなんですが、ゴージャス感は半端ないですね。

2019年1月9日水曜日

寒さとインフルエンザ、真っ盛り

f/5.6  1/100sec  ISO-500  135mm

年が明けて、インフルエンザがすごく元気づいています。

例年の事ですけど、1月に流行のピークを迎えます。内科クリニックでは、毎日数十人がインフルエンザと診断されているようです。

うちは、整形外科ですから、基本的に発熱や咽頭痛で受診する方はいませんが、中には「ちょっと、熱っぽいんだよね」という方もいないわけじゃない。

先日、定期的に通院している方が、受付で「昨日から少し熱がある」と話してくれたので、同じビル、同じ階の内科に先に行ってもらったら、インフルエンザ陽性でした。

予防接種はしていた方なんですが、予防接種すれば罹患しないことを100%保証するわけではありませんので、手洗い・うがいなどは励行したいものです。

2019年1月8日火曜日

鐘の音、聞きました?

f/5.3  1/125sec  ISO-100  112mm

新年開けて1週間。

普通は、ここらで正月気分がおしまい。

・・・にもかかわらず、いまさら年末の話を持ち出すのも何ですが、大晦日は、昔は紅白が終わったNHKと民放テレビは全社共同で「ゆく年くる年」というタイトルで番組を放送して、必ずテレビから除夜の鐘が流れて来たものです。

今は民放はカウントダウン番組ですから、鐘の音は聞けません。そもそも紅白に興味がなく、さっさといつも通りに寝てしまうので、鐘の音とは無縁としか言いようがない。

大騒ぎせずに、ゆっくり1年を振り返りながら新年を待つのには、BGMは鐘の音で十分なのかもしれません。

2019年1月7日月曜日

白樺

f/3.5  1/800sec  ISO-100  28mm

カバノキ科カバノキ属の落葉樹が白樺。正式には「シラカンバ」ですが、だいたい「シラカバ」と呼んでいるかと。

樹皮が白いことからそう呼ばれているわけですが、これはベチュリンという成分のため。ただし、何故白いのかはよくわかっていないようです。

でも、この独特の白さが冬の風物詩として目立つ存在になります。特に、たくさん集まっている白樺林は、独特の優雅さがあって美しいですね。

春になると、大量の種子が風に乗ってばらまかれるので、花粉症の方には大敵の一つで要注意です。

2019年1月6日日曜日

たぶん憧れ

f/5.6  1/320sec  ISO-100  210mm

日本と違って、アメリカの自動車のナンバー・プレートは個性的。

州によって、デザインはいろいろで、とにかく絵になるアイテム。ですから、お店の内外の壁を飾るのによく用いられています。

どちらかというと、東海岸よりも西海岸のイメージ。それも60~70年代くらいのノスタルジーを感じます。

たぶん、1973年の「アメリカン・グラフィティ」の影響が大きい。「スター・ウォーズ」で有名になったジョージ・ルーカス監督のの最初のヒット作です。

ひとえに「何か楽しそうで、夢が叶う国」という、アメリカに対する憧れのような感覚であり、たぶん、この数年で急速に失われつつあるもの。

相撲と同じでメジャー・リーグだって、現在は(日本人を含む)外国人選手の活躍で成り立っているところがあるわけで、純粋なアメリカ人(そんな人がいるのかわかりませんけど)からすれば面白くないのかもしれません・・・

2019年1月5日土曜日

線路は続くよどこまでも

f/5.6  1/400sec  ISO-100  300mm

自分は、いわゆる「鉄オタ」ではありませんが、時と場合によっては確かに画になることは否定しません。

実際に列車が視界に無くても、長く続いている線路だけ見ているだけでいろいろと想像することができます。

当然これは、踏切の真ん中で立ち止まって見ているわけですが、キンコンキンコン鳴ってたら、この場所にはいられません。

このアングルで、迫りくる列車をとらえるというのは無理な相談です。

そこですぐ近くの線路をまたぐ陸橋の上に行ってみると・・・

f/5.6 1/400sec ISO-100 300mm

こんな感じ。

やはり、真正面というわけにはいきませんね。それに、たくさんの高架が邪魔だし。

まぁ、いろいろと想像して楽しいかもとは思いますけどね。


2019年1月4日金曜日

是枝裕和 #7 空気人形 (2009)


前作が、言ってみれば「ホーム・ドラマ」というジャンルで、是枝監督の代表的な作風を作り出したのですが、一転して今回の作品は、かなりソフトな衣装をまとった硬派な作品です。

ソフトというのは、いわゆる「ダッチワイフ」と呼ばれることがあるねビニール製の空気を入れて使う性的玩具が主人公であるということ。ハードなところは、「人間とは」とか、「幸福とは」とかというようなかなり根源的な命題を提示しているところ。

エロっぽいシーンもあるので、是枝作品のほのぼの感を期待していると、ひどいしっぺ返しをくらいます。正直、見終わった後に、それなりの疲労感を感じる映画でした。

中年にさしかかって、若い上司に怒られながらファミレスの店員を続ける秀雄(板尾創路)は、家に帰ると空気人形の「のぞみ」(ペ・ドゥナ)を恋人のようにして生活していました。最初の登場シーンでは、いかにものビニール製の人形ですが、ある朝、秀雄が出かけた後に少し動き出していくシーンは、本当の人の動きのように見えます。

心を持つことになったのぞみは、窓を開け外の世界に興味を持ち、メイド服の姿で外出します。そしてレンタル・ビデオ店の店員の純一(ARATA)と仲良くなり、そのまま店でバイトを始めます。ある日、釘で腕が裂けてしまい空気が抜けてしまいますが、純一がおへそのところにある空気の栓から息を吹き込んで事なきを得ました。

それまで、ただ知らないことだらけで、いろいろな知識を吸収して成長していたのぞみは、好きな人の息で満たされたことで、「老いること」あるいは「死ぬかもしれないこと」を受け入れることができるようになります。

のぞみは自分を作った工房にでかけていき、人形師(オダギリジョー)と再会します。人形師は何で心を持ったかはわからない、でもどのように扱われてきたかで同じ顔に作った人形でも、それぞれ個性を持つようになると話します。

秀雄はいくらでも代わりがいる店員ですし、純一も自分の生き方に疑問を持ち続けてきた様子です。他にも、登場するのは何か事件が起こると「私が犯人です」と交番で話し出す老婆(富司純子)、その話を聞いてなだめる警官(寺島進)も警察官としてのストレスを溜めているらしい。

若い娘ばかり人気があって不満だらけの中年受付嬢(余貴美子)、都会の生活に心をすり切らして過食症になっている娘(星野真里)、酸素無しでは生きていけないのにタバコが好きな元教師だった老人(高橋昌也)などなど・・・・

のぞみは自分の事を繰り返し「私は空気人形。性欲処理の代用品」と言いますが、人間も代わりがきく存在で、ある意味「人形」みたいなもの。一つ一つの出来事を新鮮な思いで経験していくのぞみの方がはるかに「人間的」ということ。

唯一無二の存在である人なんて、何十億の人間の中でごく一握りです。自分を含めて、大多数の人は代替のきく存在ですが、それぞれの生活は千差万別。そこに、何かしらの生きていく意味があるんだろうということなんでしょうかね。

2019年1月3日木曜日

是枝裕和 #6 歩いても歩いても (2008)

本作は、是枝監督が最も得意とする「家族」の日常を描いた作品の一つです。そして、前作で進めたドキュメンタリーよりも「映画的」に作ることを明確に出して、誰かがどこかで書いていたんですが、「芥川賞なんだけど直木賞」という作風を確立させました。

また、このあと是枝作品の常連として度々登場する、樹木希林、阿部寛という二人の俳優が初めて登場する作品としても記憶しておきたいと思います。

海辺の住宅街の廃院した診療所に年老いた医師だった父親(原田芳雄)と母親(樹木希林)が住んでいて、長男は海で溺れていたこどもを助けて自ら命をおとし、長女(YOU)は現実的でしっかりもの、次男(阿部寛)は仕事がうまくいかず前夫と死に別れた子連れの女性(夏川結衣)と結婚しています。

夏のある日、毎年、亡くなった長男の命日に家族が集まった一泊二日の話です。次男は、いまだに、頑固でプライドの高い父親に認めてもらえません。実際、仕事もうまくいかず、細かい所で虚勢を張るしかありません。母親も、亡くなった長男を年々美化していくため、次男はこの家に来るのは気が進まないのは当然です。

一つ一つのエピソードは、ごく普通の家庭にいくらでもありそうな話だし、特別な事件が突発するわけではありません。しかし、その会話の自然な流れ、いかにもありそうな行動が、普通の人にとって共感しゃすくしている。

その中で、それぞれの家族のメンバーが、家族だらこその無遠慮と同時に、いちいち口に出さないけれどお互いを信頼していることが伝わってきます。これは、是枝が描きたい映画というフィクションの中の「リアル」だろうと思います。

その中で、特に印象的なのは、さすがと言うべき樹木希林がらみのシーン。長女との何気ない調理シーン。墓参りの帰りに、長身の阿部寛と並んで「弱々しく」歩くところの年老いた母。

長男が助けた相手を毎年命日に招き、「簡単に忘れてもらっては困る。一年に一日だけは、ここで辛い思いをしてもらう」という残酷な母の本音。

認知症があるわけではなさそうなのに、部屋の中に迷い込んだ蝶を長男が帰って来たと思って追いかけまわす母の狂気。

次男の嫁に対して、「死に別れなら嫌いあって別れるからいいけど、死に別れはね・・・」と思っており、着物を譲るけど破るに破れない見えない一枚の壁をしっかり作っている感じ。

そして、昔浮気中の夫のもとに乗り込もうとして踏みとどまり、部屋の中から聞こえて来た歌謡曲のレコードを買って帰ったと初めて告白するところ。そのレコードは昭和44年のいしだあゆみの大ヒット曲の「ブルーライト・ヨコハマ」でした。

その中の有名な歌詞が「歩いても、歩いても、小舟のように・・・」です。この歌詞の続きは「私は揺れて、揺れて、あなたの腕の中」と続く。つまり、ずっとあなたを信じてついていくわ、という内容なんですよね。

本当に何も起こらない映画なんですが、ずっとさざ波は立ち続けていて、その要素は登場人物の会話と仕草、さらに画面には映っていない周囲の音、全体を包むやさしい自然光などに凝縮され、また見たくなりました。

2019年1月2日水曜日

是枝裕和 #5 花よりもなほ (2006)

是枝裕和の監督作品、第4弾は、明らかなそれまでの4作品とは異なります。確実に、新しいステップに入ったことを感じることができる作品です。

人の生活の営みの中で、「あるある」をうまく表現する是枝の特徴が、作り込まれたストリーの中にはっきりと見えました。そして、時代劇であることから、ドキュメンタリー作品出身の是枝のこれまでの最大の武器の多くを封印したように思います。

さらに、前作で余裕ができたのか、多くの有名俳優を揃えたことも、ある意味「映画的」ですし、彼らをとらえる主観的な映像も多く、初めて意識的なカット割りを行う事で、場面転換にスピード感があります。

監督自ら語っているように、この映画のテーマは「仇討ち」ですが、仇討ちよりも大事な何かを見つけた喧嘩に自信が無い侍の話。赤穂浪士の武勇伝の陰には、数百人の主君の仇討ちから逃げた者がいるという、誰もが注目しなかったところから思いついたという。

そして、もう一つは黒澤明監督に対する挑戦。白黒映画である「どん底」や「隠し砦の三悪人」をあげて、汚れ具合のリアルさをカラーで表現してみたかったというのが面白い。

自分としては、最初の印象は「どですかでん」を思い出しました。一本の芯となるストーリーと、長屋に住む人々のちょっとした脇道の話がたくさん絡んでくるところが、黒澤へのオマージュでないはずがありません。

時は元禄、戦の無くなった文化が爛熟する時代。信州から父親の仇討ちのため江戸に出て来た宗左衛門(岡田准一)だったが、剣の腕はからっきしだめ。

同じ長屋に住んでいるのは、夫に先立たれたらしいシングル・マザーのおさえ(宮沢りえ)、仕官の夢を捨てきれない落ちぶれた侍(香川照之)、仇討ちのため隠れ住んでいる医者の十内(原田芳雄)、何かの過去をひきずるクールな遊び人(加瀬亮)などなど。

他にも、代書屋(中村嘉葎雄)、大家(國村隼)、その後妻(夏川結衣)、お調子者たち(平泉成、田畑智子、古田新太、上島竜兵、木村祐一、千原靖史などなど)などが、いろいろ騒ぎ立てます。

宗左衛門の伯父(石橋蓮司)、弟(勝地涼)も話に割って入ってきます。宗左衛門の仇の十兵衛(浅野忠信)、十内のもとに集まる赤穂浪士(遠藤憲一、寺島進、田中哲司)などは、是枝作品ではお馴染みになってきた面々が固めています。

いわゆる「グランド・ホテル」形式なんですが、その割には初めて有名どころの俳優を大勢扱う是枝にしては、うまくまとめあげたと言えます。サイド・ストーリーだけで、数本の映画ができるくらいのアイデアですが、メインの「仇討ちをしない」ことを盛り立てる方向性がぶれていない。

落語の「花見の仇討ち」をうまり利用したりするあたりは、是枝の発想の柔軟性を感じます。そもそも、元々のモチーフである仇討ちから逃げた赤穂浪士をメインにしなかったことで、見ている側がいろいろと想像する余地を残してくれているようです。

是枝作品としては、比較的地味な扱いをされている本作ですが、後年の「海街ダイアリー」などにも通じる、是枝作品のリアルな人間観察を積み重ねをきわめて「映画的」に作り上げた最初の作品だろうと思います。

2019年1月1日火曜日

謹賀新年 2019

f/5.6  1/800sec  ISO-100  190mm

明けましておめでとうございます
本年もどうかよろしくお願いいたします

            2019年元旦


今日から元号も変わってくれれば、すっきりした・・・・とか、思ったりする新年が始まりました。

年を取ると、昨日の続きで今日があって、きっと今日の続きが明日という感じです。

でも、暦が改まると、ちょっと気持ちが引き締まるところはありますよね。

また何か新しいことが始まる期待のようなものが、ちょっとだけ感じることができます。

誰にとっても、今年が良い年であるといいですね。