本作は、是枝監督が最も得意とする「家族」の日常を描いた作品の一つです。そして、前作で進めたドキュメンタリーよりも「映画的」に作ることを明確に出して、誰かがどこかで書いていたんですが、「芥川賞なんだけど直木賞」という作風を確立させました。
また、このあと是枝作品の常連として度々登場する、樹木希林、阿部寛という二人の俳優が初めて登場する作品としても記憶しておきたいと思います。
海辺の住宅街の廃院した診療所に年老いた医師だった父親(原田芳雄)と母親(樹木希林)が住んでいて、長男は海で溺れていたこどもを助けて自ら命をおとし、長女(YOU)は現実的でしっかりもの、次男(阿部寛)は仕事がうまくいかず前夫と死に別れた子連れの女性(夏川結衣)と結婚しています。
夏のある日、毎年、亡くなった長男の命日に家族が集まった一泊二日の話です。次男は、いまだに、頑固でプライドの高い父親に認めてもらえません。実際、仕事もうまくいかず、細かい所で虚勢を張るしかありません。母親も、亡くなった長男を年々美化していくため、次男はこの家に来るのは気が進まないのは当然です。
一つ一つのエピソードは、ごく普通の家庭にいくらでもありそうな話だし、特別な事件が突発するわけではありません。しかし、その会話の自然な流れ、いかにもありそうな行動が、普通の人にとって共感しゃすくしている。
その中で、それぞれの家族のメンバーが、家族だらこその無遠慮と同時に、いちいち口に出さないけれどお互いを信頼していることが伝わってきます。これは、是枝が描きたい映画というフィクションの中の「リアル」だろうと思います。
その中で、特に印象的なのは、さすがと言うべき樹木希林がらみのシーン。長女との何気ない調理シーン。墓参りの帰りに、長身の阿部寛と並んで「弱々しく」歩くところの年老いた母。
長男が助けた相手を毎年命日に招き、「簡単に忘れてもらっては困る。一年に一日だけは、ここで辛い思いをしてもらう」という残酷な母の本音。
認知症があるわけではなさそうなのに、部屋の中に迷い込んだ蝶を長男が帰って来たと思って追いかけまわす母の狂気。
次男の嫁に対して、「死に別れなら嫌いあって別れるからいいけど、死に別れはね・・・」と思っており、着物を譲るけど破るに破れない見えない一枚の壁をしっかり作っている感じ。
そして、昔浮気中の夫のもとに乗り込もうとして踏みとどまり、部屋の中から聞こえて来た歌謡曲のレコードを買って帰ったと初めて告白するところ。そのレコードは昭和44年のいしだあゆみの大ヒット曲の「ブルーライト・ヨコハマ」でした。
その中の有名な歌詞が「歩いても、歩いても、小舟のように・・・」です。この歌詞の続きは「私は揺れて、揺れて、あなたの腕の中」と続く。つまり、ずっとあなたを信じてついていくわ、という内容なんですよね。
本当に何も起こらない映画なんですが、ずっとさざ波は立ち続けていて、その要素は登場人物の会話と仕草、さらに画面には映っていない周囲の音、全体を包むやさしい自然光などに凝縮され、また見たくなりました。