2019年1月18日金曜日

網走番外地 (1965)

このタイトルは、好き嫌い、見た見ていないにかかわらず、たぶん昭和世代の人は必ず聞いたことがあるはず。

高倉健をスターダムに押し上げた映画であり、制作した東映の思惑に反して大ヒットしたためシリーズ化されています。

基本的に、ヤクザ映画、あるいは暴力映画みたいなものは好きじゃないので、自分としては見るべきものとは思ってはいませんでした。ただし、後年の人間味あふれる高倉健は嫌いではなく、2014年に健さんが亡くなったことで、一度は見てみようと思い立ちました。

「網走番外地」は、もともと網走刑務所に収監されていた伊藤一が書いた小説であり、1959年に日活が映画化していましたが、東映は三国連太郎の持ち込み企画をいただき、タイトルこそ使用していますが、中身はアメリカ映画「手錠のまま脱獄(1958)」を監督の石井輝男が換骨奪胎したものでした。

北の果て網走刑務所に到着した橘(高倉健)は、厳しい寒さの中、黙々と日々の作業をこなしていましたが、母親が病気で一目でもいいから会いたいと考えていました。保護司の妻木(丹波哲郎)は、何とか保釈の手続きに奔走します。

ところが、房内で脱獄の計画が持ち上がり、作業場に行くトラックから権田(南原宏治)と鎖でつながった橘は無理やり飛び下ろされます。二人は逃亡の途中で妻木の家に立ち寄り、道かった妻木の妻をケガさせます。

やっと列車の線路まで来た二人は、線路に横たわり鎖を列車の通過で切断に成功しますが、その衝撃で権田は崖を落ちて重傷を負いました。一度は権田を置いたまま逃げようとした橘でしたが、権田の「母さん、母さん」といううわごとを聞いて、助けることにしました。

そこへ、追いかけてきた妻木が到着し、「お前は人間の屑だ」と罵倒しました。橘は「俺はどんな償いもするが、こいつを病院に連れて行って欲しい」と懇願します。妻木は馬そりに二人を乗せ、病院へと向かうことにし、橘に「お前は、お人よしなのさ、底抜けのな」と言うのでした。

高倉健はキャラクターとして、ヤクザでありそれが元で刑務所に送られてきたわけですが、この映画の中では母親思いで、道から外れた境遇を少しずつフラッシュバックしていきます。また、そこで実際に受刑者の間に伝わっていた歌をもとに高倉健自ら歌う主題歌が効果的に繰り返し流れることで、人との付き合い方が不器用ですが、人としてはずれたことはしたくないという、まさに健さんの原点が作られていました。

映画としては、今では突っ込みどころ満載であることは否定できませんが、雪原の逃亡、トロッコに乗ってのアクションなどの見どころも多く、よくできていると思います。しかし、この映画のヒットもあって東映時代の健さんは、この後10年間、ひたすら網走番外地シリーズや、任侠物の映画ばかりに出演することになってしまいました。

とりあえず、その第1作は高倉健ファンならずとも、一度は見て損はしないでしょう。