2008年2月5日火曜日

幼稚園まで遡る

いろいろ思い出そうと考えるんですが、なかなかまとまった話は出てこない。時代を遡れば遡るほど記憶はあやふやになるのです。写真もほとんどないし、自分は熊本市内を流れる坪井川の橋の袂で拾われたという伝説を否定する材料も持ち合わせていないのです。

人生最初の記憶は何ですか? 今の子はビデオとかも一杯残っていて、記憶をつなぎ止めておけるので、大変幸せなことです。自分の場合は、たぶん幼稚園のことが散発的に思い出されるのが、最も古い記憶なんだと思います。

青山通りと表参道の交差点、こっちにはみずほ銀行、昔の富士銀行、むこう交番があります。表参道は石畳の参道で、ほとんどビルはありませんでした。何しろ東京オリンピックの直前、原宿駅は山手線が止まっても数人の乗り降りしか無かった頃のことです。

交番の奥にはいっていくと善光寺というお寺があります。長野の善光寺の別院ですが、実はここに40数年前には確かに幼稚園があったのです。自分は確かに善光寺幼稚園に通いました。尼さんの角田(つのだ)先生や普通の関先生といった方々の名前を思い出します。いつだったか閉園してしまい、自分の過ごした学舎の最初の二つはすでに消滅したのです。

ひな祭りの仮装行列をやって、NHKのこどもニュースに映った(らしい)のが生まれて最初(かつ、今のところ唯一の)のテレビ出演。青山通りには「乞食」がいて、通園する時に怖くて通り抜けられませんでした。富士銀行の裏にはモルモン教の教会があって、やたらと背の高く金髪を短く刈り上げた外人がうろうろしていました。

幼稚園ではどんな遊びをしたかはあまり覚えていないのですが、一つだけ記憶にあるのが、今風にいうと「ボディ・ペインティング」です。赤とか黄とか緑とかの色のバケツに入った大量の絵の具を手ですくって、そこらに手形をつけたりするのです。なんで覚えているかというと、とてもすごい臭いがしたからなんです。何だったんでしょうか。口に入ってもいいように、小麦粉か何かを溶いて食紅とかで色をつけたのでしょうか。とにかく楽しいのだけど臭い、ただそれだけで記憶のROMに書き込まれてしまったようです。

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