2019年2月5日火曜日

海峡 (1982)

森谷司郎監督が三度、高倉健とタッグを組んだ作品で、前作「動乱」に続き、吉永小百合をヒロインに迎えました。

昭和29年9月、津軽海峡を渡る青函連絡船の洞爺丸が、台風により沈没し日本海難史上最大の被害(死者1155人)を出しました。これをきっかけに、戦前からあった日本国有鉄道(現JR)が津軽海峡の下をトンネルを作る計画が本格化。昭和60年にすべてのトンネルが貫通し、最終的に昭和62年に列車が通れる青函トンネルが完成しました。

この映画では、この青函トンネルをつくるために命をかけた男たちと、それを支えた女性たちの物語として、東宝映画の創立50周年記念作品として制作されました。

昭和30年、青函トンネルを作るための準備委員会の一員として、地質調査のために国鉄職員の阿久津(高倉健)が竜飛岬にやってきたところから始まります。

ある日、岬の突端で自殺しようとしていた多恵(吉永小百合)を助け、多恵はそのまま村の居酒屋で働くようになりました。数年後、転勤を命じられた阿久津は村人に戻ってくることを約束しました。実家に戻った阿久津は、父(笠智衆)の面倒をよく見てくれる佳代子(大谷直子)と結婚し、子供を授かります。その噂を聞いた多恵は、思わず持っていた皿を落としてしまうのでした。

そして、さらに数年して、いよいよ本格的なトンネル工事の着工が決定され、阿久津は再び竜飛岬に戻ることになりました。トンネル堀り職人の源助(森繁久彌)の協力をとりつけ、洞爺丸事故で両親を失い、そして自らも数少ない生存者であった仙太(三浦友和)を採用します。

工事は度々の出水に難航し、死者も続出します。多恵は、単身赴任の阿久津の身の回りの世話をしていました。佳代子は息子をつれて竜飛岬にやってきますが、厳しい冬に恐れをなして帰ってしまいました。

ある日、父死すの知らせに実家に帰ろうとしていた阿久津のでしたが、大規模な出水事故の発生により、源助をも失うのでした。それらを乗り越えて、家族をも顧みずひたすらトンネル工事に命を懸けてきた阿久津は、ついに貫通したときコブシを上げて涙を流します。

いつのまにか25年がすぎ、阿久津の髪にも白いものが目立ちます。遂に竜飛岬を去る日に、阿久津は多恵の酌で、久しぶりの酒を飲みました。そして、海外での工事のために旅立っていくのでした。

実質的にはトンネル工事に関わる男たちの話であり、「黒部の太陽」の石原裕次郎と三船敏郎ような難工事に立ち向かう「プロジェクトX」みたいな内容です。話の奥行きを持たせるために、阿久津を中心とした「帰ってこない夫・父親」についていけない家族、心に傷を持ち密かに恋心を持つもののそれを表に出すことのない女性を配しているのはわかりますが、はっきり言って消化不良です。

せっかく小百合さんを配していながら、おそらく出演シーンをすべてカットしても何ら問題はありません。映画を見る限り、小百合さんは相変わらず美しく、一服の清涼剤ではあるんですが、健さんに対してはひたすらプラトニックな片思いに終始しています。

トンネル工事に命を懸ける男たちから、彼らに翻弄される女性たちに視点を変えていればかなり違った映画になっていたかもしれませんが、少なくともここでは家族も男を見放しているので扱い方が難しい。

森谷監督、高倉健、吉永小百合による次の企画もあったそうですが、森谷監督が早世したため実現はしませんでした。「八甲田山」は視点がはっきりしていました。しかし、「動乱」では、歴史的重大事件を背景にしたため男女の関係が薄れてしまった感がありました。大作ばかりまかされていた森谷監督は、大勢の名優より健さんに肩入れし過ぎていたのかもしれません。