2021年4月12日月曜日

トラ! トラ! トラ! (1970)

ヨーロッパで1940年までに占領地域を順調に拡大したドイツは、短期間に戦力を一地域に集中させけ電撃的な攻撃が成功していましたが、拡大路線はそれぞれの戦闘地域がしだいに分散する結果となり、少しずつほころびが出始めていました。


1941年の次の大きな動きは、6月のドイツ軍のバルバロッサ作戦と呼ばれるソビエト侵攻です。これにはフィンランドも、冬戦争で奪われた領地回復のためドイツ側で参戦(継続戦争)しています。フィンランドの戦いは「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場(2017)」で映画化されています。バルバロッサ作戦についての映画は多くはありません。

9月にはレニングラードを包囲しますが、これは2年を超える長期にわたり市民は想像を絶する忍耐を強いられます。さらにモスクワに迫るも冬の到来とともに補給路を断たれ苦戦し、12月を前にしてドイツ軍は初めて敗北を喫することになります。ナチスは秘密警察ゲシュタポや親衛隊による統制を強化し、さらにヒットラー独裁による恐怖政治を押し進めるのです。

この年、日本軍は東南アジア方面への侵攻を開始します。12月7日にマレー半島のイギリス軍に攻撃をしたことで、実質的な太平洋戦争が開始されたとされています。さらにその数時間後に、ハワイ・オアフ島のアメリカ海軍基地を強襲し、ついに何とか中立を保っていたアメリカを戦争にひきづり込みました。

日本にとって、この真珠湾攻撃はある意味、実質的に敗戦国となる命運を決定づけたのかもしれません。戦線の拡大は、兵員の分散と補給路の不確実性を増大させることにつながり、冷静に考えれば連合国軍に比べ人員的・物質的に限界のある日本は圧倒的に不利としか言いようがない。アメリカとの戦争が長期化すれば不利であることは、日本の一部の軍人にはわかっていたようです。

当時、中国に進出し領土を拡大する日本に対して、徐々にアメリカは対決姿勢を強めていました。そして、真珠湾にはアメリカの太平洋艦隊の主力戦艦が集結しており、マレー半島に進軍する日本にとっては脅威になっていました。しかし、アメリカは、日本からの攻撃は不可能と考え油断してことは否めません。

11月末にハワイに向けて出発した日本軍の機動部隊は、決行日を示す「新高山(ニイタカヤマ)登れ一二〇八」の電信を受けます。ハワイ現地時間12月7日早朝、艦隊から発進した200機弱の戦闘機、爆撃機が一気呵成に襲い掛かり、太平洋艦隊に甚大な被害を与え、「トラ・トラ・トラ」の電信が伝えられたのです。

モールス信号のトラ・トラ・トラは、「我奇襲ニ成功セリ」という意味と解釈されていますが、「突入セヨ(ト)、雷撃機(ラ)」の意味で、第1波で相手の迎撃態勢を崩したことで、重たい魚雷を搭載し動きが鈍い雷撃機に出された指令だったという意見もあります。

短期決戦の勝利でアメリカの戦意を喪失させ主導権を握るはずだったこの作戦は、直前に宣戦布告するはずだったのが、実際にアメリカ側に伝えられたのが真珠湾が火の海になった後のことでした。実質的に宣戦布告なしの奇襲攻撃として「リメンバー・パール・ハーバー」のスローガンのもと、むしろアメリカを戦意高揚へ向かわせることにつながります。

真珠湾攻撃にまつわる映画としては、そのものすばりの「パール・ハーバー(2001)」がありますが、これは親友同士と恋人との三角関係の話で、どちらかと言うと恋愛物。アメリカ国内でも、真珠湾攻撃の扱い方には批判的でした。ちなみにヒロインは「アンダー・ワールド」のケイト・ベッキンセイルです。

20世紀フォックス社のD・F・ザナックは、ノルマンディ上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」のヒットに気をよくして、今度は太平洋戦争物を日米合作で企画したのが「トラ! トラ! トラ!」でした。しかし、アメリカにとっては屈辱的な展開の出来事であったのと、日本側スタッフとのトラブルだけでなく、アメリカ国内でも議論が巻き起こり興行的には成功とは言い難い結果になりました。

日本側とのトラブルは、監督に起用された巨匠・黒澤明との間に生じたもので、最終的に黒澤の降板という、日本映画史としては重大事件に発展しました。制作サイドが細かく管理するアメリカ式に対して、すべてを掌握したい黒澤の手法が相いれないのは当然です。また、いつもの東宝ではなく東映だったため、手慣れたスタッフ(いわゆる黒澤組)がいないこと、リアリティを重視して演技経験のない人を自らたくさん配役したことも黒澤をいらだたせたようです。

最終的には舛田利雄と深作欣二のダブル監督が決定し、アメリカ側のリチャード・フライシャーとの3人体制で映画が作られました。軍が協力してアメリカの本物の戦闘機や艦船が登場し、ゼロ戦などの日本の戦闘機は、アメリカの飛行機を可能な限り本物そっくりに改造し、実機が飛び交う様はかなり迫力のある仕上がりです。

アメリカの過信からの油断、そして日本の過信から増長を比較的正直に映画化したことは評価されますが、その分ドキュメンタリー色もあり、ストーリーとしての面白さは2時間半もたすのはちょっと厳しい感じもします。

日本は、マレー半島も手中にし。さらにフィリピン、シンガポールにまで侵攻します。主にイギリスの植民地が次々と陥落していくため、ヨーロッパでのイギリスのドイツ戦略にも影響を及ぼしました。「戦場にかける橋(1957)」は、この頃のタイで日本軍の捕虜収容所を舞台としたストーリーですが、映画として名作ではありますが、ほとんどフィクションです。

年が明けて、1942年初頭より戦線は南はニューギニア、ソロモン諸島に及び、しだいに日本の軍事行動にも行き詰まりが出始めます。そして6月に太平洋のど真ん中、ミッドウェイ環礁において、半年で立て直したアメリカ軍と大規模な海戦が起こり日本軍は完敗します。映画では1976年のものと、最近の2019年のものがあります。