2021年4月17日土曜日

戦後のこども

いわゆる「戦争を知らないこどもたち」である昭和のこどもである自分は、こども時にはまったものの一つにプラモデルがあります。

パーツを接着剤でくっつけて、完成品に付属のシールを貼ったり、時には「プラカラー」という塗料を塗ったりして完成させます。当時、悪ガキが有機溶媒を吸ってラりっているというのがありましたが、プラモデルに色を塗る作業は、なかば合法的な「シンナー遊び」みたいなもの。

それはさておき、プラモデルで作るものというと、戦争が終わって20年近くたったいましたが、日本やアメリカ、ドイツの戦闘機とか軍艦とか戦車が多かった。もちろんレーシングカーみたいなモダンなものもありましが、まだまだテレビのアニメとかは「鉄人」とか「アトム」くらいなものでプラモデルはほとんどなかったように思います。

そういえば、漫画も「青の6号」、「サブマリン707」、「紫電改のタカ」、「0戦はやと」といった戦争を題材にしたものがたくさん少年誌に連載していたものです。戦争の悲惨さよりも、戦争に登場する各兵器のカッコよさだけが生き残っていたような時代です。

日本の漫画の元祖といえば、田川水泡の「のらくろ」シリーズで、これもそのころ復刻されてうちにもありましたが、これで軍隊の階級とか覚える教科書みたいなものでした。まぁ、戦争関連が商売になる最後の時期だったのかもしれません。

こどものカルチャーは、昭和40年代にはいって「サイボーグ007」とか「巨人の星」、あるいは「あしたのジョー」などのヒットによって急速に戦争から離れていきます。

今になって考えると、確かに当時の日本の教育は、加害者側の「戦争の反省」という点については置き去りになっていた感があるかもしれない。地球上で唯一原爆を落とされた国、敗戦国として占領された国といった、被害者的な意識がどこかにあったことは否定できないところで、もしかしたらそれがいまだに世界の中、特に近隣国との関係で影響を残しているのかもしれません。

今の時代は、戦後75年たっても第二次世界大戦後の枠組みを大筋で維持しています。しかし東西冷戦後は、共産圏の再編成、宗教対立などの枠組みが変化しつつある中で、日本は戦争をどのように認識し消化してきたかが問われている部分がありそうです。

おそらく戦後教育で(少なくとも自分にとっては)十分とは言えない戦前・戦中の歴史上の事実を、しっかりと整理して認識することは現代社会の中で忘れられていた重要なポイントです。それを自分が興味のあるもの、小説でもマンガでも、あるいは映画などを通して知ることは意味があることだと思います。