ワイマール時代は、毎月1曲ずつカンタータを作曲するようになり、時間もそれなりにあったのか、いろいろな試みをしていました。1717年末にケーテンの宮廷に移ると、ここではカンタータの仕事は無くなり、器楽曲中心の生活になります。
ケーテン時代には、妻マリア・バ
ルバラの死、そしてアンナ・マグダレーナとの再婚という出来事があり、またケーテン公には熱い信頼を寄せるようになります。しかし、ワイマール時代に芽生えた「整った教会音楽」の構想は日増しに膨らみ、その実践のためにライブツィヒへの転職を考えるようになりました。
そこで1723年2月7日、バッハはトーマス。カントルの採用試験を受けることになり、その時の課題作曲として披露したといわれているのが、BWV22 「イエス十二弟子を召寄せて」とBWV23 「汝まことの神
にしてダビデの子よ」の2曲。
鈴木盤のVOL.8では、この2曲に加え、トーマス・カントルとしての初仕事となるBWV75 「乏しき者は食らいて(1723年5月30日)」をまとめて聴くことができます。
当然、いずれも力作揃い。 採用試験用の2曲は、さすがにキリストの教えを説くためのカンタータとしては、内容はかなり重量級なのですが、それをコンパクトにまとめあげて、聴き所もたくさん盛り込んだところはさすがです。
カントルに正式採用になって、最初の市民向けのカンタータ披露となるBWV75は、ライブツィヒの2大教会である聖ニコライ教会で、そして翌週の1723年6月6日には聖トーマス教会でBWV76「もろもろの天は神の栄光を語り」が演奏されました。
サッカーの代表監督の初試合みたいなもので、市民は多くの期待を抱いて教会に集った事でしょうから、バッハとしても相当入念に準備をしたことでしょう。いよいよライブツィヒにおれるカンタータ年巻の開始です。
いずれも採用試験の時とは違って、2部構成の大作です。冒頭合唱からはじまり、前半が終了すると説教がはいり、第2部はシンフォニアからスタート、前半も後半もコラールで締めくくります。つまり、通常のカンタータ2曲分を違ったパターンで聴かせてしまうというもの。歌手も楽器奏者もほぼフル・メンバーで抜いたところがありません。
BWV76の後に続く2曲は、ちよっと一休み。短めでサラっと情感豊なBWV24 「まじりけなき心」、BWV167 「もろびとよ、神の愛を讃えまつれ」が続くわけですが、これらをあわせてVOL.9で聴くことができます。
後年の熟成した曲の数々に比べると、多少力みすぎというところはないわけではありませんが、新しい仕事の中で、自分が理想とする教会音楽を作っていける環境を手に入れたバッハの快進撃の幕開けですから、いずれも名曲としておさえておきたいものだと思います。