年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します

年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います

2017年12月25日月曜日

日本書紀 (4) 聖徳太子の実像


日本史の教科書の中でも、有名人ランキングの上位に間違いなく含まれるのが聖徳太子。

聖徳太子という呼び名は、後世につけられたもの。××天皇と呼ぶのと同じで、生前の本来の名前は、厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)で、厩戸皇子、厩戸王と呼ぶ場合もあります。

父親は、第31代の用明天皇です。母親は欽明天皇の皇女である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)て、用明天皇は異母兄で、蘇我氏との強い血縁にあります。

名前の由来は、厩の前で生まれたという説(この逸話から、キリスト教との関連を指摘する人もいます)、蘇我馬子の「うまこ」との関連を指摘する説などもあったりします。また豊聡耳は、10人の話を聞き分けたという逸話からきています。

日本書紀での厩戸皇子の記述は、生まれてすぐ話すことができたという超人的な話から始まります。最初の活躍は、587年に用明天皇が亡くなり、泊瀬部皇子(崇峻天皇)を推す親仏派の蘇我馬子が、排仏派の物部守屋が推す穴穂部皇子を抹殺し、さらに守屋を攻め立てた時の馬子軍への参加です。厩戸皇子は、苦戦する中四天王像を造り戦勝を祈願し、士気が上がった馬子軍の勝利に貢献したというもの。

そして、実権を握る馬子は、不満を持つ崇峻天皇を暗殺し、豊御食炊屋姫(推古天皇)を擁立した際、厩戸皇子は皇太子となり摂政に就任しました。

翌年、天皇は三法興隆(仏・法・僧を大切にせよ)を詔し、厩戸皇太子は寺の建立を行い、高麗の帰化僧の教えを受けます。また、斑鳩(いかるが)の地に宮を造り住むようになりました。

推古天皇12年に、厩戸皇太子は冠位十二階を定めます。これは中国に対する「ちゃんとした組織です」というデモンストレーションの意味もあるようですが、朝廷内の地位は氏族だけでなく実力も評価するということを示したものとも言われています。

さらに、皇太子は十七条憲法を定めます。これも朝廷内での臣下の儀礼を説くもので、天皇の権威を高めることが目的と考えられます。いずれも増長する蘇我馬子に対する牽制であり、厩戸皇太子と天皇は蘇我馬子との関係を絶妙なバランスで調整していたということらしい。

ある時、道端に飢えた者が倒れていたので、厩戸皇太子は食事を与え、来ていた服をかけてあげます。しかし、結局相手は死んでしまい埋葬しました。数日後、遺体は消え、衣服は墓に綺麗に畳んで残されていました。そこで、倒れていたのは仙人で、民は「聖は聖を知るとはこのことだ」と話し合いました。

推古天皇29年、厩戸皇太子は49歳で亡くなります。人民は大いに嘆いたといいます。亡くなる原因や経過については、記載はありません。母親と妻との合同墓に埋葬とされています。

・・・というのが、日本書紀の主な聖徳太子の活躍の記述。現代でも厩戸皇子という人がいたことはほぼ認められています。しかし、厩戸皇子を聖徳太子と呼び、推古天皇の右腕として聖人化している話は作り話、あるいは別人の業績、そもそも推古天皇も創作などの研究が、特に平成になって盛んになりました。

記紀ではほとんどの登場人物の実在性については疑いをもつ学者が必ずいます。なにしろ物的証拠がほとんどありませんから、グレーとなると白黒のつけようがない。

十七条憲法や遣隋使は、日本史の必須キーワードです。聖徳太子の肖像は、昭和までの紙幣に何度も登場し誰もがあの顔を知っています。いなかったとなると歴史教育上でも、当然混乱は避けられません。

虚構説の主な主張は、次のようなものです。

① 聖徳太子が関与したとされる法隆寺に伝来する複数の史料は、日本書紀にはまったく記載はなく、いずれもその当時にはなかった単語が使われていて、実際には記紀成立よりかなり後のものである。

② 日本書紀の中で、聖徳太子は、事実と認定できそう場面には一切登場しない。

③ 有名な法隆寺で発見された肖像画には、誰と記載があるわけではなく、当時の服装として考えにくく別人であり、髭についても後に書き加えられた可能性が高い。

④ 隋の記録から遣隋使は事実と認められるが、その時の日本の王には「奥さん」がいたとあって、女帝である推古天皇の存在てのものに疑問がある。

平成の歴史教科書からは、聖徳太子が消える傾向があります。従来、「聖徳太子が・・・」とされていた部分は、「厩戸王が・・・」あるいは「厩戸王(聖徳太子)」のように書き換えられました。

ただ、当然結論は出るはずもなく、最近では厩戸皇子に関する記述のいくつかは事実の可能性がありとするのが一般的。聖徳太子と呼称することで、仏教的な理念に基ずく政治家の理想像として編集されたものである(モデルについては、諸説あり)と考えるのが主流のようです。