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2017年12月12日火曜日
史実の中の天皇記
一般的な日本の歴史年表は、次のように時代を分けています。
政治的・文化的な年代分類
旧石器時代 10万年前~
縄文時代 1万年前~紀元前3世紀 縄文土器
弥生時代 紀元前3世紀~3世紀 稲作始まる 集団の形成
古墳時代 3世紀~6世紀末 ヤマト王権の確立
飛鳥時代 6世紀末~ 聖徳太子、大化の改新
奈良時代 710年~ 平城京 記紀、風土記、万葉集
平安時代 794年~ 平安京 源氏物語、枕草子
鎌倉時代 1185年~ 鎌倉幕府 武家政権
室町時代 1338年~ 前半は南北朝時代、後半は戦国時代
安土桃山時代 1575年~ 織田信長と豊臣秀吉
江戸時代 1603年~ 江戸幕府 1853年黒船来航以後を幕末
明治時代 1868年~
大正時代 1912年~
昭和時代 1926年~
平成時代 1989年~
発展段階による年代分類
原始
古代 3世紀? 5世紀? 7世紀? 国家形成
中世 11世紀後半~ 荘園制度
近世 16世紀後半 太閤検地
近代 幕末または明治維新~終戦
現代 終戦後~ または 高度経済成長終了以後(バブル崩壊後)
これで、日本の歴史全体を・・・なんて大それたことは考えていません。あくまでも日本古代史を知るための俯瞰図みたいなもの。古事記を一通り読んだところで、今度は人代を中心に史実との関連を検討してみましょう。
とにかく、日本列島で、少なくとも人の痕跡として認められる最も古いものは約4万年前の石器です。もう少し古いかもしれないけど、(例の捏造事件発覚により)数十万年前ということはありません。
縄文から弥生の変化は、かなり大きな文化的な変革があり、稲作文化をもたらした朝鮮半島経由の大陸人の大量の渡来が大きく関わっていると考えられています。
縄文人が次第に弥生人になっていくことも否定できませんが、より巨大な先進性のある集団である弥生人により、縄文人は征服され、あるいは当時の辺境であった南九州や近畿へ追いやられたのかもしれません。
ただし、「騎馬民族征服王朝説」という有名な話がありますが、これは現在はほぼ否定されています。それほどの急激な変化ではないと考えられています。
紀元0年頃以降、弥生後半には地方単位の「国」が出来上がってきて、特に朝鮮半島との往来がしやすい九州北部が、より強力な力を持つようになります。教科書にたいてい掲載されている倭奴國金印は、「後漢書」によれば紀元57年に光武帝より与えられたもので、福岡圏志賀島で発見されています。
2世紀ごろに中国の歴史書、後漢書、三国志などの海外の史料から、倭国大乱の時期があったことが知られています。つまり、力をつけてきた地方豪族が互いに権力争いを行い、大陸側から見ると倭国、つまり日本の代表が誰なのか判断できなかったということです。
この時期に、近畿を中心に古墳が形成され始めたことは、しだいに日本の政治・経済的な中心が九州から近畿へ移動していったことを示しています。九州から勢力を拡大してきた弥生人が、縄文人が残る近畿を制圧したという考え方もあるようです。
これを記紀の記述に当てはめると、最初の文化的な人々(それをあえて神と呼ぶなら)が登場するスタートは弥生時代以後と考えるのが自然のように思います。ヤマト王権は、九州に始まり出雲付近までも勢力下に従えた集団の一つが始まり(天孫降臨?)だったのかもしれません。
彼らは、より経済的流通性に長けた東の地域への進出を狙うことになります(神武の東征?)。既存勢力を撃破して、ヤマトに初めての統一国家を作ることに成功します。これが魏志倭人伝でいうところの、(倭武命のようなスーパースターの活躍により)大乱を制して邪馬台国が倭国を統一という話とかぶってくることは避けられそうもありません。
魏志倭人伝から推定される卑弥呼が亡くなった年は、247年または248年です。邪馬台国はどこにあったかの論争はいまだに決着していませんが、スタート地点と思えば九州説ですし、ゴール地点と思えば畿内説ということでしょうか。
日本書紀の編者はおそらく畿内説の立場をとっていて、神功皇后を卑弥呼であると暗に示しています。ただし、日本書紀によれば、仲哀が亡くなるのが200年で、神功が摂政として采配を振るいます。そして、亡くなるのは269年ですから矛盾はしています。
さて、その次に記紀年代を特定するための重要な項目が「倭の五王」と呼ばれています。中国の複数の「史書」に登場する倭国の5人の天皇のことで、5世紀の宋の時代、武帝、文帝が活躍する時代です。宋の建国は420年、滅亡は479年です。412年~478年の間に讃、珍、済、興、武の5人の王との交流が記述されています。
この五王が誰なのかは、いろいろな説があり確定はしていません。それぞれが履中、反正、允恭、安康、雄略とする説、応神、仁徳、允恭、安康、雄略とする説が有力のようです。ただ、すべての天皇の実在が確定しているわけでもありません。
日本書紀の年代記載を信じるならば、各天皇の即位の年は、応神270年、仁徳313年、履中400年、反正406年、允恭412年、安康454年、雄略457年です。ちなみに続く清寧480年、顕宗485年、仁賢488年、武烈499年です。
とにかく、日本史の中では「謎の4世紀」とか「謎の5世紀」という言い方はよく出てくる、最も重要なのによくわからない時代。日本の国のそもそもの成り立ちの話ですから、できればタイム・マシーンとかできて確認できればいいんですけどね。