夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2013年5月31日金曜日

焼ける

ぼけぼけの写真になってしまいましたが、今日はしっかり夕焼け空になりました。

西の空が真っ赤に染まると、まぁ普通は翌日は好天に恵まれる事が多い。ということで、入梅したというわりには、明日も比較的天気はいいかもしれないと思ったりするのです。

 夕焼けは「一日の終わり」みたいなイメージがあって、妙なノスタルジーを誘うものです。カラスが鳴いて、こどもたちが「じゃあね、バイバイ。またあしたねー」といいながら走っていく。

このあたりは、昭和も平成も同じですね。

2013年5月30日木曜日

伸びる

クリニックのベランダで、出来ればラッキーという程度の野菜を毎年作っている(あすなろ菜園)のですが、今年は自宅でもちょっとやってみています。

 もともとはGWのときにピーマンとさやえんどうの苗を植えてみたのですが、さやえんどうの方がみるみる枯れてしまいました。

蔓性の植物ですから、植えたときにつるがちゃんとつかまれないと、どうしても重みで折れ曲がってしまったのが原因のようです。

気がついて、ちょっと手直ししてみましたが、時すでに遅しだった様です。そこで、駄目もとで、その時点でなっていたいくつかの豆をそのまま地面に蒔いてみました。

そしたら、2週間たたないうちに、出てきました。最初は周りの雑草とあまり見分けが付かなかったのですが、数日すると先端が複雑な形になってきて、明らかに差がついてきた。

おー、これは確かにさやえんどうの葉っぱ。ジャックが登るにはまだまだですが、今一度上へ上へ成長してもらいたいと思います。ただ、入梅して日照が少なくなるのが心配なんですが。

2013年5月29日水曜日

湿る

今年は早めの入梅・・・でもって、その後は灼熱の夏とか言われています。今日は朝から降ったり止んだりで、何ともぱっとしない天気でした。気象庁からは「入梅したと見られる・・・」と曖昧な発表もありました。

梅雨時は、なんと言ってもじめじめ・むしむしで、あまり楽しい事はありません。入梅してしまう前に、是非やっておきたいことがあったのですが、この前の日曜日にやっておいたので何とか間に合いました。

入梅前にやりたかったこと その1
家の周りの雑草の取り除く事。これは、なめくじや蚊などを減らすことに役立つだろうと。

入梅前にやりたかったこと その2
ゴキブリ対策。残念ながら出るんですよね。今年は新兵器のブラックキャップというものを、あちこちに置いてみました。さて、効果のほどは・・・

入梅前にやりたかったこと その3
バスタオルの洗濯。もちろん、普通に洗濯はしているのですが、だんだんカビっぽくなってきて、変な匂いがしみついてくるものです。そこで、キッチンハイターを丸々1本使って、大々的に漂白しました。

入梅前にやりたかったこと その4
風呂場の掃除。風呂場も、当然黒カビがだんだん増えてくる。そこで、カビキラーをまきました。

入梅前にやりたかったこと その5
そして、天気が悪いと部屋干しが増えてしまうので、除湿機兼衣類乾燥機を使える場所に置く事。今まではほとんど必要が無かったので、隅っこに置いていましたが、効率的に使えるように起き場所を整理しました。

まぁ、十分かと聞かれると何とも言えませんが、とりあえず思いつく対策はだいたいできたかと思うわけです。


2013年5月28日火曜日

呑まれる

自分は酒飲みかと言うと、正直そんなことはありません。もともと父親が家で晩酌とかする習慣がなかったものですから、あまり食事に酒は付き物と言う感覚はありませんでした。

結婚してから、だんだん夕食のときとかにビールを飲むようになり、最近は、350mlの缶で1本か2本程度を飲む事がほとんど。もっとも、実際は発泡酒だったりリキュール類だったりと、内容にこだわりはありません。

いずれにしても、外で飲むときもひたすらビールばかりを注文する事がほとんど。たまにワインかサワーとかも飲みますが、焼酎そのものとか日本酒やウイスキーは飲まないし、そもそも美味しいと思わない。

まぁ、そういうところが根本的に酒飲みではないと思うところなんですけどね。そもそも、じゃあビールばかり飲むのはどうしてかと聞かれると、量が多いのでおなかが苦しくなって、悪酔いするほど飲む事ができないからと答える事にしています。

実際のところ、ビールでも飲みすぎて、後で吐いたり、翌日も頭痛が残って二日酔いになったりすることはないわけではありません。そういうことは数年に一度くらいですが、やっぱり後で飲みすぎを後悔することになります。

若い頃・・・主に学生の頃には、自分で進んで、あるいは他人に勧められて、ずいぶんと無茶な飲み方をしたことがあります。こういうのは、酒が好きな人の飲み方ではありません。どうやって家に帰ったのか、記憶が定かではないという経験もあったりします。

でも、救急でアルコール中毒が運ばれてくると、はっきり言って最も嬉しくない仕事の一つです。多くは、自分で蒔いた種ですから、そのままゲロまみれで街中に放置しておけばいいのにと思ってしまうのは、こちらも人間ということ。

それでも、しょうがなく点滴をしたりして医者としての義務を果たすのですが、そういうのを見ていると、絶対に自分はこうなりたくないと思うものです。

4月から5月は、あたらしく酒を飲み出す若者が増えて、まだまだ自分の酒の許容も知らずにつがれるままに無茶な飲み方をするわけで、早くどんだけ酔っ払っている自分の姿がかっこ悪いか知ってもらいたいものですね。

2013年5月27日月曜日

J.Galway & M.Argerich / Franck・Prokofiev Sonata

音楽を聴いていると、お気に入りの演奏家というものが出てくるもの。そのうち何人かは、全デイコグラフィを制覇してみたくなってくることはよくあることで、それがマニアの始まり、いわゆるコレクターの仲間入り。

自分の場合、洋楽ではエリック・クラプトン、邦楽では松たか子。何ともいえないバランスですが、好きだからしょうがない。ジャズの場合は、もちろんマイルス・デイビスがだんとつで一番ですが、もう一人ビル・エバンスを忘れてはいけない。

こういう時に、あまりマイナーな人を好きになると集めるのが大変。メジャーだからと言って、特にブートレグに手を出したら、もう地獄のような底なし沼になりかねない。

クラシックの場合は、さらに困った事にいろいろなタイミングの録音が入り交ざったバージョンが多数存在するのが当たり前で、CDごとに集めようと思ってもどこまでいけばいいのか分からないことがしばしば。

さらに、聴きたいとも思わない他の人の演奏とカップリングされていたりすると、購入意欲は激減するものの、そういうのに限って名演奏だったりして、ホント困りものです。

クラシックで制覇したい一人は、グレン・グールド。この人の場合は、比較的簡単。すでに亡くなっているので、基本的に新しいものはめったに出てこないので限りがあるということ。さらに、原則としてコロンビアに生涯専属で録音していたので、カタログがはっきりしている。さらに、早くにコンサート活動をやめてしまったので、ライブ録音があとから出てくる心配がほとんどない。

それに比べて、制覇したいもう一人、マルタ・アルゲリッチの場合は困りもの。数年前に、ドイツ・グラマフォンが、アルバム単位を崩さずに40枚のCDで過去の集大成をしてくれたので、これは大変分かりやすい。とは言っても、それはあくまでアルゲリッチ名義のものについてだけ。やたらとある共演盤の大多数は、個別に拾い上げていくしかありません。

グラマフォンに倣って、EMIレーベルも集大成を出してくれたのは良かったのですが、じつはこれいわゆるベスト盤だったのです。どこのアルバムに入っているかを確認するので一苦労。丸々CD一枚分入っているものもあれば、まったく入ってこないアルバムも出てきたりする。

さらに困った事に、最近のアルバムは毎年のルガーノ音楽祭のライブが中心なのですが、アルゲリッチが加わっていない演奏もCDに含まれている。またEMIも最初のうちは、いろいろな形で分散して発売していたので、もう複雑怪奇な状態になっている。

ネットには、それらを事細かに調べ上げてくれている人がいるので、そういう資料を一つ一つ虱潰しに探していくしかないのですが、これがまたライブが多くて、さすがに全部を集めると言うのは難しいし、だいいち古いものは入手困難です。

というわけで、最近比較的珍しいレーベルからお宝の演奏を協奏曲と独奏で紹介しましたが、今回のお勧めは室内楽。今はSONYに吸収されてしまって無くなってしまいましたが、レッドシールで有名だったRCAへの吹き込みの一枚。

フランクのフルート・ソナタを、名手ゴールウェイと録音したもの。フランクにフルート・ソナタなんてあったかしら、と思ったあなた。あなたは正しい。そう、これは有名なバイオリン・ソナタのフルート版です。

アルゲリッチは、通常のバイオリンとの共演はいくつも録音しています。他に、マイスキーとのチェロ版というのもある。フルート版は、音色がやさしくて、比較的聴きやすくもともとフルート用に作曲されたのかもと勘違いしそうな出来。

アルゲリッチの室内楽としては、録音されたものとしては最初が72年にアッカルドとやはりフランクのソナタ。次が75年のこのフルート版で、そして次が76年のギトリスとのフランクと、すべて同じ曲と言うのも興味深い。

77年以降は、いろいろなピアノ・デュオを中心に室内楽の録音がどんどん増えていき、83年のシューマンを最後に2000年までソロのアルバムは消えてしまいます。

プライベートの事情とかもあるでしょうが、このフランクのソナタの中に、アルゲリッチをいろいろな室内楽へ走らせた何かがあるような気がします。そう思って聴いてみるのも、また一つ何かクラシックの楽しみになったりするわけです。

2013年5月26日日曜日

冒険家の森

この本は、自分のお気に入りの一冊で、発行は1982年。まだ、医学生だった頃に買ったもので、ずいぶんと繰り返し読みました。

サブタイトルに「サバイバル技術教書」と書かれており、いろいろな時代の世界中の冒険譚を紹介しつつ、その中で生き抜いていくための知識や技術を紹介する内容なんです。

冒険の紹介は、極点、高山、漂流、砂漠、密林など多岐に渡り、監修のCW.ニコルが前書き、田渕義雄が後書きを添える構成になっています。

サバイバルというと、何となく必死な感じがしますけど、とにかく冒険の話として面白い興味が湧くドキュメントが満載です。男児として、こういうものに対して、誰でも多少の憧れみたいなものはあるんではないでしょうか。

そういう少年のような、どこか心でくすぶっている部分を、絶妙にくすぐられる内容が、いまだに本を大切に保管している理由なんでしょう。

実際、この本を基点にして、エベレスト登頂のいろいろな本なども読み漁った事があったりするのです。監修のCW.ニコルという人にも興味を持って、何冊か読んだりもしました。

amazonで探してみると、いやいやあるもんですね。さすがに古本しかありませんが、1円からありますので、まぁだまされたと思って一度読んでみても損はないと思いますよ。

冒険家の森―サバイバル技術教書

2013年5月25日土曜日

80歳のエベレスト

5月23日にプロスキーヤー、登山家、冒険家である三浦雄一郎さんが、世界最高峰のエベレストへの登頂を成功させました。もちろん、すでに誰もが知っている通り、何と三浦さんは80歳。もちろん、エベレストへの最高齢登頂記録です。

こういうことには、素直に賛辞を述べるべきですし、実際素晴らしい事です。日本人としても誇らしく、心よりおめでとうございますと言わせていただきます。

80歳という年齢には本当に驚きますし、しかもエベレスト登頂が3回目ということも驚異的。さらに驚くのが、前回は75歳、さらに初めて登頂したのが70歳というから、もう人間技とは思えない。

そもそも、三浦雄一郎さんが世間で話題になったのは70年代。世界の名立たる山からスキーで滑降する偉業で一躍有名になりました。ところが、その後目的を失い、体重も増えてとても冒険家といえないような状況だったらしい。

しかし、高齢にもかかわらず挑戦する父親や、台頭してくる息子に刺激されて、再び気力を取り戻したのが最初のエベレスト登頂につながったということだそうです。もちろん、経済的な問題もありますからも誰でも同じことができるわけではありません。

一般人で80歳というと、寝たきりになっている方もめずらしくはありません。しかし、昔に比べると、本当に元気な方が多くなりました。自分が医者になった頃、もう30年くらい前のことですが、そのころは70歳代というと十分お年寄り、80歳代ともなると・・・

とにかく、三浦さんの活躍で、お年寄も、自分たちのような中高年も、そして若者も、もっともっと元気になったことでしょぅ。次は85歳での登頂を目指してもらいたいものです。

2013年5月24日金曜日

ボンカレー

インスタント食品というのは、昭和を代表する文化みたいなもので、ラーメンについては1962年発売のチキンラーメンが製品としては元祖らしい。ですから、まぁだいたい自分が物心ついたころにはあったわけで、それほどの感動はありませんでした。

カップ麺は、1971年のカップヌードルの登場は中学生の自分にとっては、かなりの驚愕的な出来事でした。それまで煮ないと食べれないものが、お湯をかけるだけで食べれると言うのですから。

だいたい、その頃の人なら、普通の試しにインスタントラーメンに熱湯をかけて、中途半端にほぐれたものを食べた経験があるものでしょう。昼に買うパンが、いきなり暖かいラーメンに変わったものでした。

もう一つ忘れてはならない、食文化に革命を起こしたのがレトルト食品。1968年のボンカレーの登場が、やはり画期的でした。もうできている、暖めるだけ、かけるだけで、すぐにカレーライス(ライスカレー?)が食べれるというのですから、こちらも驚愕物。

それまでは、簡単に保存が効く食品は缶詰しかありませんでしたから、レトルト食品の登場は家庭の奥様方にとって救世主だったかも。なにしろ手間がかからないし、汚れ物も少なくてすむ。

家電の進化もあって、奥さんたちはどんどん自由に出来る時間を拡大していった裏には、こういう食文化の変革も大きく関係していた事は間違いありませんね。

2013年5月23日木曜日

Martha Argerich Live in Tokyo 2000

負け惜しみみたいですが、凡人でよかったと思うのがマルタ・アルゲリッチの人生。

アルゲリッチは、アルゼンチンの天才少女として幼くして脚光を浴び、ヨーロッパに渡ります。そこから、同じ年代の少女のような楽しみは無くなり、周りは大人ばかり。世界がどんどん狭くなり、気持ちのよりどころをなくしたアルゲリッチはコンサートをドタキャンしたり、いろいろなところでかみついたりするようになったとのこと。

しかし、それがアルゲリッチの個性となり、時には褒め称える材料になったりしたのは、彼女にとって幸であり不幸であるのでしょう。ただし、外から見れば、自由奔放とか天衣無縫というような表現で、好意的に見られることの方が多かったわけで、今でもそういうところが音楽として面白いわけです。

しかし、本人は一人で演奏していると、ひたすら鍵盤を見つめて気持ちがどんどん突き詰められていくと言い、時に鍵盤が動物の口のように見えて怖くなったと告白しています。それが、コンサートでも録音でも独奏をする機会がどんどん減っていった理由だそうです。

おそらく、その不安定な精神状態がピークに達したのが、1980年の国際ショパンコンクール審査員辞任事件に象徴されるのでしょぅ。自分の推すピアニストが落選した事に腹を立てて、コンクールの途中で帰国してしまいました。

 そのあとから、残された録音は2台のピアノあるいは4手ピアノ作品、クレメールやマイスキーらとの競作を中心とした室内楽が圧倒的に増えて、ピアノ独奏を聴く事はなくなるのです。

ところが、2000年ごろに再びアルゲリッチの心に変化が出てくるのです。ピアノ独奏を再開し、日本でもソロ・リサイタルを行っています。そのときの奇跡的な記録が、東日本大震災のチャリティとして10年を経て発売されています。ライブ録音とは言え、ソロとしては1983年のシューマン以来のもので、得意のショパン、バッハ、プロコフィエフ、ラベル、スカルラッティを演奏しています。

これは、もともと2000年始めに行われる予定だったミケランジェリ追悼のプログラムだったのが、恩師グルダが亡くなったために延期となっていたもので、 いろいろな意味でアルゲリッチにとっては思いのこもったコンサートだったようです。

この頃から、アルゲリッチは後身の教育に力を入れるようになり、スイスのルガーノ(2002~)と日本の別府(1998~)で毎年プロジェクトを行うようになりました。これらでは、若い演奏家を積極的にパートナーに登用して、ソロからオーケストラまで様々な形態の音楽を楽しく提供するようになり、演奏家としてより音楽家として充実した活動をおこなっているのです。

2013年5月22日水曜日

Martha Argerich / Thaikovsky・Schumann Concerto

アルゲリッチは、1965年にショパン国際コンクールで優勝し、一気にスターダムに上りました。70年代は、人気も実力も鰻上りで、多くのコンサート、レコーディングを精力的にこなしていました。

その裏では、孤独感を強く感じ、様々な思いがあったようです。グレン・グールドもかつて、デヴューして10数年したところで、コンサートからのドロップアウトを宣言し、以後はスタジオだけに生きて伝説となりました。

アルゲリッチは、おそそらくピアノ・デュオや室内楽に力を入れるようになり、音楽を仲間と作り上げて行くことで、音楽家としての活動をさらに充実させる事に成功したのだろうと思います。

アルゲリッチのレパートリーは多岐にわたりますが、オーケストラとの共演する協奏曲で特に好ん演奏するのはショパン、シューマン、チャイコフスキー。

それぞれ、CD化されているものは複数合って、どれも「アルゲリッチに駄作なし」というところの証明になっているので、その中でベストはどれかと選ぶのは大変難しい。それをあえてするならば、このアルバムを選択する事には異論が少ないのではないかと思います。

1979年、1980年にワルシャワで録音されたもの。特に1980年は、ショパン国際コンクールでボコレリッチの選出にまつわる問題でアルゲリッチは審査員を降りた年。それまでの築き上げたアルゲリッチの自信が最高潮に達していた年なのかもしれません。

チャイコフスキーは、もう冒頭の出だしから音が違う。この力強さは一体何でしょう。ものすごい集中力で、圧倒的な演奏を繰り広げます。まさにじゃじゃ馬と称された若き日のアルゲリッチの集大成とでも言うような演奏です。

シューマンも同じで、もうピアノに神があるなら、その神がアルゲリッチに乗り移ったかと思うばかりの熱演です。ワルシャワ・フィルの面々も、よくぞこの荒れくれピアニストをサポートしたものだと思います。

とにかく、どちらもアルゲリッチの代表的な演目のカップリングで、しかも記録されている最高の演奏ならば、もう文句のつけようがありません。しかも、アンコールのソロのおまけでついているとなれば、聴かなきゃ損、買わなきゃ損というしろものです。

ちなみにamazonだと、かなりの高額になっていますが、HMVだとまとめ買いで1500円ほどで手に入りました。

2013年5月21日火曜日

痛風の季節?

このところ、なんのきっかけもなく足の急な痛みで来院する方が増えています。

痛いのは、足首だったり足の甲だったり、あるいは小指だったり、そして一番多いのが親指の付け根あたり。たいてい、腫れて赤くなっていて、ずきずきする痛みで患者さんは歩きにくくて困っているわけです。

これは、ご想像通りで、いわゆる痛風発作。痛風というのは、それ自体が病気ではなく、高尿酸血症という病気の症状の一つ。痛みが取れてしまえば、それでおしまいと思っている方が多いのですが、大事なのは高尿酸血症をコントロールすること。

5月になって気温が上がっており、汗をかいて脱水傾向になりやすくなっていることが関係しているのだろうと思います。体の水分が減ると、血液が濃縮して尿酸が溶けにくくなり、結晶のまま血管からしみだして関節の周辺にたまりやすくなります。

痛風の本を探してみると、中に「ビールを飲んでも治る」みたいな話を書いているのが見つかります。ビールは高尿酸血症にとっては大敵とされていますが、それだけが原因ではありません。確かにビール以外の原因となる飲食を徹底的に控えれば、飲んではだめとは言い切れない。

でも、少なくとも飲めば悪化させる可能性は高まるし、その分薬に頼る部分が増えてしまうので、そういうことを推奨するような本を信用する事は相当注意が必要です。まして、その著者が医師ならば、はっきり言って、本として出版するのどうかと言わざるをえません。

どうしてもビールを飲みたい高尿酸血症の患者さんの治療法はそれなりにありますが、それが少なくともベストではないことは理解しておくべきです。

なんにしても、重要な事は気がつかないうちに腎臓の機能が低下していて、腎不全という状況になってからでは遅い。自覚症状が出てからでは手遅れかもしれません。ある程度の自己コントロールは覚悟して、がんばって乗り切りましょう。

2013年5月20日月曜日

因幡のしろうさぎ

頂き物です。

いずもおおやしろ、と呼ぶのが正式名称だそうで、今年は御遷宮という行事で話題です。そう、大國主大神をお祭りする、国宝にも指定されている出雲大社のお土産。

ちょうど「ひよこ」みたいな感じでしょうか。いわゆる、焼き饅頭という種類の和菓子です。出雲は因幡のしろうさぎ伝承のある土地ですから、当然あるべくして存在するお土産品というところ。

それにしても、御遷宮は60年に一度ということで、なかなか遭遇しない大イベント。でも、意外とはじまったのは、出雲大社の歴史からすると新しい話。

1744年に最初の御遷宮があって、それ以後は1809年、1881年、1953年ときて、今回が5回目だそうです。それでも、その間に300年近い歴史があるわけですが・・・

2013年5月19日日曜日

小林愛美 / Debut

世界に名だたるピアニストが大勢いる・・・と言っても、どんな世界でも同じ事ですが、それだけ知れ渡るわうようになる人は全職業ピアニストのごく一握り。世の中には、大多数の人知れず消えていくピアニストであふれているはずです。

日本人は、どうしてもヨーロッパ中心のクラシック音楽の世界では「異邦人」的な存在で、世界で活躍している邦人ピアニストは一体何人いるんでしょうか。実質的に、世界で認められて活躍できているのは、内田光子、小川典子くらい、あとはジャズの世界ですが上原ひろみでしょうか。

最近話題になったのは視覚障害を持った辻井伸之ですが、2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した以降は、めだった活躍ができているとは言えません。彼の場合、視覚のハンディはかなりあり、フィーリング重視の演奏活動の方が目立っているのはやむをえない。

さて、ひょんなことから「きっと気に入る」と言われて、なんと小林愛美のCDを知人からいただきました。しかも、本人直筆サイン入り。

まったく中途半端な音楽マニアで、このピアニストについてはまったく知りませんでした。ネットに公開されている主な経歴を見てみると・・・

1995年山口県の生まれ。3歳からピアノを始め、7歳でオーケストラと共演、8歳よりメディアでも何度か取り上げられ、9歳で国際デビュー。2009年アジア太平洋国際ショパンピアノコンクールでJr部門優勝。2011年ショパン国際コンクールin Asia、コンチェルトの最高部門で金賞。

カーネギーホールへの出演4回、パリ、モスクワ、ブラジルでも演奏会を行っていて、2010年EMI Classicsより16歳でCDメジャーデビュー、2011年3月EMI Classicsよりセカンドアルバム「熱情」をリリース。桐朋学園在籍。

う~ん、思わずうなってしまうしかありません。現在18歳にして、なかなかのキャリアを積んでいる。恐るべし十代。しかし、本当の勝負は成人してからでしょう。ここまでは、ただの天才少女としのサクセスストーリーです。

天才的なこどもとして一躍有名になっても大人になってからはまったく輝きを失った例は、どの世界にも大勢います。よけいな肩書きがなくなって、ただの一人のピアニストとして世界で活躍できるようになるかどうかは、この数年が勝負だろうと思います。

ですから、16歳の高校生の演奏だと思えば圧倒される素晴らしいCDなのですが、期待を込めて他の名だたるピアニストと同列に扱いたい。特に、このCDには自分が好きなベートーヴェンのソナタ第21番「ワルトシュタイン」が収録されているので、けっこう本気で聴きました。

まず最初にすぐに気になったのが、冒頭の左手C単音の連打が弱い。ここが一番の特徴ですが、ここで注意をひかないと、続けて聴く気持ちがトーンダウンしてしまいます。それと、何でしょうか、独特の間がある感じ。慣れないと違和感になっていまいます。

第2楽章は、もともと「きわめて遅く」と指示されている通りで、きわめて遅い。もともと主題があまりはっきりしないので、遅すぎるとだれてしまう。自分はピアニストではないので、譜面を追って聴いたりはしませんが、楽譜に忠実なだけなら誰の演奏でも良くなってしまいます。

それとペダルを多用する印象もありました。ころころところがっていくような、単音の連続が楽しい曲なので、せっかく見事な乱れのない運指が濁ってしまうところがもったいない。

まぁ、わかったみたいな評論家調のことを書いてしまいましたが、あくまでも個人的な感想なのでお許しください。確かにちゃんと聴きたくなる素晴らしい出来映えな ので、今後に多いに期待したいと思います。コンクールだけがすべてではないのですが、2015年のショパン国際コンクールは目標にしていることだろうと思いますので、是非がんばってもらいたいものです。

2013年5月18日土曜日

リウマチ治療の理想と現実

関節リウマチ治療で、生物学的製剤 - 通称バイオと呼ぶことが多いのですが、登場してから10年でバイオを使用することはかなり浸透してきて、今や(バイオを使用した上で)治ることを期待する病気となりました。

しかし、色々な制約があって、簡単にバイオを使用できないところもあり、偉い先生方が推奨するような理想的な治療がすべての患者さんに実践できているわけではありません。

それは、ほとんど医学的な問題ではなく、社会的なところに原因があり、まさに理想と現実のギャップと呼ぶにふさわしい悩みと言えると思います。

まず、日本の皆保険制度のもとでは、厚労省の決定した治療方針(実際には診療報酬という形で決められています)に沿ったことしかできません。原則として、バイオを関節リウマチと診断したあと最初に選択する薬剤として使用できません。


バイオは、あくまで内服薬の効果が無い場合に使用してよいという決まりになっているわけです。確かに、内服薬でも十分にコントロールがつく患者さんは大勢いらっしゃいます。しかし、病気が治るという期待は低いと言わざるをえません。

こういう決めは、医療費(薬剤費)の抑制の目的であることは明かです。高齢化社会になり、医療費はどんどん増大している中で、一定の理解はされるものではあります。しかし近年、国際的にT2T(ティーツーティ)と呼ばれる治療の指針が強く推奨されていますが、ここではほぼバイオの使用を前提にしての治癒にもっていく戦略が唱えられているのです。

最近は、一部のバイオは最初から使用してもいいということも出てきてはいるのですが、一番問題なのは薬の値段です。いくつもあるバイオは、一ヶ月に3割負担の方で、\35,000~\40,000程度の薬剤費負担が発生します。

少なめに使用したり、工夫次第では\20,000程度に抑えることはできますが、内服薬だけの治療をしている場合とはゼロが一つ増えてしまうのです。

やみくもにバイオを使用すると、医療費は莫大なものになることは容易に想像できます。当然、患者さん自身の負担もばかにはできません。しかし、治癒 - 実際には再発の可能性を残している寛解状態にできれば、一生続くかもしれない治療を中止できて、生涯の負担は患者さんも国も少なくできるかもしれません。

これは、学会も、自分たちのような実地医療を行う医者も率先して行うべき課題といえそうです。一定のルールを確立して、診断が確定した時点で早期からのバイオの使用により一定期間内に寛解に持って行き治療を中止できるようになることが重要と言えそうです。

初めて内服で使用できるバイオとして期待されている新薬(ゼルヤンツ)については、薬の値段は最も高い方の注射製剤とほぼ同じ設定になりました。厚労省の認可は出てはいる物の、まだまだ実際の使用のルール作りが間に合っておらず、実質的な使用開始は白紙状態のようです。

しかし、こういう薬がもっと増えてきて価格も下がり、風邪薬のように一般医も気楽に使用できる環境が整うことが患者さんのためにもいいのかもしれませんが、まだまだそうなるにはうまくいっても10年以上はかかるでしょう。実際には、現在の状況を考えると、さらに専門性が高くなる一方の方が可能性が高いような気がします。

いずれにしても、せっかくの強力なリウマチ制圧の強力な武器を、もう少し自由に使用できる環境が望まれていることは確かです。