2025年3月31日月曜日

我が音楽愛好歴


似たような話は過去にも小出しにしていた気がするんですが、そもそも自分の音楽好きの一面の来歴をまとめて書いておくことにします。

そもそも父親が主として歌謡曲好きだった。家には8トラックテープ・・・って、まずほとんどの人はわからないけど、それがいくつかありました。小川知子とか、黛ジュンとか、西田佐知子などの昭和女性歌手のヒット曲がテレビ・ラジオ以外で聞くことができた。自然と音楽に触れあうことがあったのですが、決定的だったのは小学校の同級生の文房具店の倅のK君の影響です。

K君はクラリネットを習っていて、日本のジャズ・クラリネットの草分け的な存在である北村英二氏とも知り合いだった・・・と思います。自分の家にはモノラルのレコード・プレイヤーしかありませんでしたが、彼の家に遊びに行くと家具のような立派なステレオ装置があって、いろいろな音楽を聞かせてくれました。

今でも記憶に強く残っているのは、ビートルズの「Let It Be」のLPで、豪華な分厚い写真集が付属している特別限定版。他にも牛の写真がドーンと写っている「ピンク・フロイド/原子心母」みたいなプログレッシブ・ロック、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズのようなポップス、そしていろいろなクラシックのレコードが次から次へと出てくるので楽しくてしょうがない。

さらにK君は、近くの河合楽器の店を紹介してくれました。当時は楽器だけでなくレコードを扱っていて、担当の店員さんと懇意になれたので、レコードをいつでも2割引きで買えるようにしてくれたのが大きかった。

そのころSONYがレコード業界に進出して、アメリカのコロンビア・レコードを独占的に日本で販売するようになりました。最初はCBSソニーというレーベルを知ってもらうために、バーゲン価格のレコードをいろいろと出したので、これはねらい目でした。

初めて買ったクラシックのレコードはそういったセットで、レナード・バーンスタイン指揮、フィリップ・アントルモンがピアノの「ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番」が含まれていました。他にはカザルス四重奏団による「モーツァルト/クラリネット五重奏曲」とかカール・ベーム指揮の「ベートーヴェン/交響曲第9番」などが記憶にあります。

そういったごく初期に買ったクラシックの中にグレン・グールドの「バッハ/2声と3声のインベンション&シンフォニア」もあったんですが、この頃はまったく良さがわからず、なんでハープシコードの曲をピアノで弾いてんだくらいにしか思いませんでした。

K君からいろいろなジャンルの音楽を聴かされたおかげで、天地真理、石川さゆり、小林幸子なんてのも買ってましたし、中学生になるとビートルズを卒業して本格的なロックに傾倒していくのは自然な流れだと思います。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルはもちろんのこと、ユーライア・ヒープ、ピンク・フロイド、EL&P、イエス、キング・クリムゾンなどを中心に聴くようになるわけですが、高校生になるとジャズ好きの同級生がいて新たな次元に突入することになります。

たまたま入ったdisk unionの店で、一番前にあって目に付いたのがマイルス・デイビスの「'round about midnight」のジャケット。サングラスをかけたマイルスのドアップ写真がめちやくちゃかっこいい、というだけで衝動買いです。「ロックなんてこどもだぜ。大人はジャズ」とでも思ったのか、そこからは学生のうちは主として聴きまくっていたのはジャズでした。

そんなわけで、学生時代までに集めてLPレコードは200枚くらいあったと思いますが、社会人になった頃から時代はレコードからCDに変わり、これらのレコードは部屋の隅の棚に眠ってしまうわけで、ある日気がついたら全部が湿気でカビだらけ。もう、泣く泣く捨てるしかないという・・・今はまたレコード盤が有難がられているので、ちゃんと保管していればけっこうな価値があったかもしれません・・・

まぁ、こんな話、誰も興味は湧かないところなんで、このくらいにしておきます。

2025年3月30日日曜日

SAKURA 2025 @ 早渕川 向岸


去年より、1週間ほど早く桜の便りが届いています。

毎年の光景ですが、やはり「満開の桜」というのは春代表的な風物詩ですから、思わず足を止めて見入ってしまうのは日本人の本能みたいなもの。

クリニックの裏手に流れる早渕川の川岸は、ちょっとした桜並木になっています。特に、クリニックから見て向岸、市営地下鉄の高架脇には、真っ先に咲き始める桜が並んでいます。

よく見るソメイヨシノよりもピンク色が濃い目なので、山桜の種類なのかなと思っていますが、数日前にほぼ満開となりました。すでに花見を楽しむ人がたくさん集まっているようです。

昨日はあいにく雨模様でしたが、今日天気は回復して絶好のお花見日和になりそうです。

2025年3月29日土曜日

グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜 (2020)

太宰治という名は、誰もが知っている昭和の文豪の一人ですが、どこか屈折したイメージがつきまとう・・・というのも、愛人と入水自殺し38才の短い生涯を閉じたこともあり、およそコメディを想像させることはありません。ところが、太宰治が生前、最後に執筆し未完のままとなったのが「グッドバイ」で、モテ男が多くの愛人とグッドバイするため偽装結婚をするという、喜劇性の強い小説でした。

内容の面白さだけでなく、未完ということで様々に想像を膨らませることができるところから、何度も戯曲化もテレビドラマ化もされ、演出家・脚本家のイマジネーションを刺激し続けています。今作は2度目の映画化で、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(小林 一三)が舞台用に戯曲化したものを、自ら映画用脚本に手直してして、「ソロモンの偽証」などを手掛けた成島出が監督をしています。

終戦直後の東京。雑誌編集長をしている田島周二(大泉洋)は、優柔不断のくせに女性に対して大変優しくもててしまうため、望んだわけでもないのにあちこちに愛人がいるのです。青森に疎開している妻とこどもがいて、こどもに胸を張って再開するために、愛人を整理する決心をした田島は、小説家の漆山(松重豊)に相談しました。漆山は誰か女性を連れて行って、妻だと紹介すれば別れられるだろうと提案します。

田島は闇市で知り合いだった永井キヌ子(小池栄子)が、ふだんは汚れた格好をしていますが、実はなかなかの美人であることを知り、キヌ子に妻の役を頼み込みます。キヌ子を連れて、花屋の青木保子(緒川たまき)のもとを訪れた田島は「グッドバイ」と言って別れることに成功します。

次に挿絵画家の水原ケイ子(橋本愛)を訪ねると、保子が2階に間借りしていて失恋を苦に飛び降り自殺を図ろうとしていたため、あわてて引き上げました。漆山にキヌ子をものにしておけば、後がやりやすくなるとアドバイスし、取材で青森に行くから奥さんとこどもによろしく言ってあげると言うのです。田島はキヌ子に迫りますが逆に2階の物干し場から投げ出される始末。しかも、ケイ子にも事情が知られてしまい「グッドバイ」されてしまいます。

次に出かけたのは病院。医師の大櫛加代(水川あさみ)は、逆に田島の妻からの手紙を見せます。そこにはもう田島には愛想が尽きたので、好きにどうぞと書かれていましたが、加代はそんな田島にはこちらから「グッドバイ」だと言って去っていきました。助けを求めて漆山の家に行くと、ちょうどそこへ漆山が田島の妻、静江(木村多江)とこどもを連れて帰ってきました。驚く田島に、漆山は二人のことは自分が面倒みることにしたとと説明するのです。

絶望した田島は、飲み屋でキヌ子に愚痴りまくって、手持ちの金をばらまいて店を出ていきます。道端にいた占い師(戸田恵子)が田島に声をかけ、いろいろあるだろうけど、実は身近なところにあんたを一番理解し気兼ねなく接することができる女性がいると教えます。田島はそれがキヌ子のことだと気がつき、店に戻ることにしますが、占い師はそっちは大きな厄災があるから、反対の方角に行くようにという忠告を無視して店への近道を急ぐのでした。

太宰治がどのような結末を考えていたのか、誰にもわかるはずはありません。少なくとも「たくさんの女性と別れていったら最後に妻からグッドバイされる」という滑稽話として構想されたことだけは確からしい。

最初の女性には「グッドバイ」と言えた田島ですが。これはあくまで前振り。この後は、すべて逆グッドバイされ、最後は妻からの強烈な一撃を食らうという流れはなかなかよく出来ていると思います。ただし、コメディとしてはOKかもしれませんが、妻と作家がいとも簡単にできてしまい田島を捨てるというのは、やや強引すぎる。もう少し早い段階から匂わせるか、コメディ色を強調してもよかったように思います。

大泉洋は普段はあからさまに人から笑いを取るキャラクターとして認知されていますが、映画の中では大真面目だけどその行動が笑いを誘うような役柄が多い。この作品もそういう意味でははまり役で、何度か共演経験がある小池栄子とも息ぴったりです。

キヌ子は闇市をたった一人で生き抜いてきた女性なので、たくましいけど実はどこかに人恋しさを隠しているはずで、そのあたりは小池栄子は上手に演じていると感じました。ただ演出上の仕掛けだと思いますが、ずっとだみ声でしゃべるところはやや耳障りが悪く、わざとらしさを感じてしまいます。

それでも「店への近道を急ぐ」田島までは、うまく描かれていて楽しめます。ところが、見舞われる「大きな厄災」から後のオリジナル・ストーリー部分については、田島の部下の清川(濱田岳)のエピソードも取ってつけたような感じですし、ちょっと盛り過ぎのような感じがしました。ハッピーエンドは歓迎するところですけど、もっと素直な形の終わり方でよかったように思います。

2025年3月28日金曜日

グッモーエビアン! (2012)

吉川トリコの小説が原作で、2007年にはテレビドラマがすでに作られていますが、これを山本透が監督をして映画化されました。タイトルは「Good morning, everyone」をネイティブっぽく発音したものです。

名古屋で元パンクロックバンドのキダリストをしていた広瀬アキ(麻生久美子)は、17歳で産んだ中三になるハツキ(三吉彩花)と二人暮らし。数年前までは、アキのバンド仲間、ボーカルのヤグ(大泉洋)もなぜか一緒に暮らしていましたが、ヤグは世界を見ると言って出て行ったきり、たまにハガキが来るだけでした。

ある日、そのヤグが突然帰って来て、再びアキのもとに転がり込んできました。アキとヤグはしょうもないことで笑って騒いで、明日の事などお構いなし。無遠慮に日常の中に入り込んでくるヤグは、年頃のハツキにはうざい存在でした。進路指導の三者面談の話をしても、アキは自分の事は自分で決めればいいので、母親が出る幕じゃないと言って取り合いません。

ハツキの親友で、アキやヤグのことを羨ましく思っているトモミ(能年玲奈)は、ヤグから箱入りトモちゃんと呼ばれていました。トモミはヤグが父親だったらよかったと言い出すので、ハツキはそんなこと言わないでよと席を立ってしまいます。しかし、翌日学校に行くと、何とトモミが両親の離婚によって昨日で転校してしまったと聞かされます。

たまたま空港に向かうところだったトモミと出会ったヤグは、話を聞くと学校に飛び込んできて、ハツキに「サヨナラは言える時に言わなきゃいけない」と大声で叫びます。ヤグはハツキを乗せて自転車で空港に向けて全力疾走するのですが、出合い頭にトラックとぶつかってしまうのでした。

お調子者で騒ぐのが大好きというヤグのキャラクターは、まさに大泉洋のためにあるみたいな役どころ。でも、考えていないようでしっかりと心の中に仕舞っている人間として生き方を持っている人物で、アキも同類なのです。ハツキは、表面的な部分で二人を反面教師にして、優等生であることを崩そうとしません。

ほぼ実年齢だった三吉彩花は、少しずつヤグとアキの筋が通ったいい加減さを理解していき、無理していた自分に気がついてちょっと成長していくという役どころでしょうか。トモミの能年玲奈は「あまちゃん」でブレークする前で、ハツキに家族って何と考えさせる重要な役どころです。

家族の形はいろいろなものがあって、血族=家族とは限らないことが映画で示されています。互いを信頼し愛し守るなら、それが家族であるということ。家族になるためには互いの気持ちをしっかり考えることも重要だと、この映画ではいっているようです。

2025年3月27日木曜日

黄砂だけど・・・


この数日、大陸由来の黄砂が日本にまで大量飛来している・・・ということでした。

まぁ、実はこの写真は加工してある。昨日のクリニックから見たセンター南の風景ですが、いつもよりちょっと黄色を強調しちゃいました。

遠くになるほどややいつもより霞がかかったみたいな感じはあるんですが、そんなにはっきりしたものじゃありません。ただし、雲一つなく晴れているわりには、青味が少ない印象です。

でも、車のボンネットには明らかに細かい砂のような粒子が付着しているので、黄砂飛来は間違いないところだと思います。

花粉症の人は、黄砂に花粉が付着していると言われているので神経質になってしまいますが、何しろ3月だというのに25゚cを超えるような暑さ。ずっと窓を閉め切っているのも難しい。

いろいろなところで気候変動の影響を感じますね。

2025年3月26日水曜日

鶏唐揚げ or ザンギ ?


みんな大好き、鶏肉の唐揚げ。

いつ頃からか、巷には唐揚げの事をザンギと呼ぶものが登場していました。なんか、地方の方言かなんか? と思っていましたが、あまり深く追求することもなく何年もたってしまいました。

そもそもザンギとは・・・って、知ったのは数年前だったか、北海道での唐揚げの呼び名のことだと。

一般には、しっかりとした味を付けた鶏もも肉の唐揚げのことをザンギと呼ぶのですが、鶏肉以外他の肉で作った唐揚げでも呼び方は同じらしい。

それはともかく、我が家の唐揚げは・・・

ずっとずっと前から、食べやすい大きさにカットした鶏もも肉を、醤油、ニンニク、ショウガなどで漬け込んで、片栗粉2、小麦粉1くらいの割合でまぶして揚げるというもの。

・・・って、これザンギじゃんか!! !!

何と我が家で作っていたのは、まさにザンギだったんです。唐揚げと単純に呼んでいたことに対して、慙愧(ざんき)に堪えません。

2025年3月25日火曜日

騙し絵の牙 (2021)

塩田武士による小説が原作ですが、もともと大泉洋をイメージして当て書きされた物。これを「桐島、部活やめるってよ(2012)」の吉田大八が監督しました。大泉洋自身は、自分に当て書きされたわりには一番自分らしくない作品と言っていますが、出版業界の今を描いたスリリングな映画になっています。

出版大手の薫風社が発光する文芸誌「薫風」は、日本文学界にとっても重要な役割を果たしてきましたが、昨今の本が売れず本屋も減っている状況では苦戦を強いられていました。薫風社の社長(山本學)が病死して、後継者と思われていた息子の惟高(中村倫也)は実力者の新社長の東松(佐藤浩市)によってアメリカに飛ばされてしまいます。薫風を守る編集長の江波(木村佳乃)とその後ろ盾になっている常務の宮藤(佐野史郎)は、抵抗しますが東松は薫風を月刊から季刊に変更してしまいます。

最近、薫風社のカルチャー雑誌「トリニティ」の編集長に迎えられた速水(大泉洋)は、東松からトリニティも廃刊候補と言われ、まず薫風の大御所作家である二階堂(國村隼)に自身が生き残るためにトリニティに連載するマンガの原作を書かせることに成功します。

そして、薫風から外された高野(松岡茉優)を自分の編集部に向かい入れます。高野は本屋の娘で、本当に良い本を真に理解している人材で、薫風では却下された新人の矢代聖(宮沢氷魚)の小説を高く評価していました。速水は、矢代の小説もトリニティで利用していくことにします。

また以前にジョージ真崎というペンネームで面白いエッセイを書く人物が、実は人気モデルでガンマニアの城島咲(池田エライザ)であることをつきとめた速水は、咲を表紙の顔にしてエッセイを連載することにします。

高野は20年来筆を折り行方不明になっている幻の作家、神座(リリー・フランキー)に注目し、最後の作品の原稿を細かく調べ上げます。そこから、ある飛行場でセスナを所有していることを推察し現地に向かいますが、丁度離陸するところで直接会うことに失敗します。

咲はストーカー被害にあっていてましたが、いよいよトリニティが発行される直前についに直接ナイフを向けられてしまいます。咲はとっさに持っていた改造銃で発砲してしまい、警察に逮捕されてしまうのです。速水はたとえ広告が無くなっても、咲への同情も手伝って必ず発行部数が増えて赤字にはならないと東松を説得し、予想通りの売り上げ増に成功します。

宮藤と江波は、トリニティに奪われた矢代を説得し薫風に鞍替えさせますが、その発表の記者会見で、矢代は実は自分は作者ではなく行方不明の友人の作品であることを暴露してしまいます。責任を追及された宮藤は取締役から外され、ついに薫風は休刊が決定してしまうのでした。

確かにユーモアはほとんど無いので、大泉洋らしくないと言えばそうかもしれません。登場人物が何かしら誰かを騙しているというところはありますが、大泉洋が演じる速水がその中心にいて、だからと言って悪者にはなりきれていないあたりは、らしいと言えばらしい点かもしれません。

矢代、咲、神座という3人のエピソードがバラバラのようで最後につながっていくあたりはなかなか面白い構成なんですが、謎を作り出している速水と、謎を追いかける高野の存在によって、やや話が複化していることが難点になっているかもしれません。2時間弱の映画ですが、あと30分くらいは長くても良いと思います。

それにしても、出版業界の苦境は明快に示されていて、関係する仕事に就いてる方には耳の痛い話になっています。ネット社会になって、文字を粗末に扱うようになったというのは実感するところで、時代と共に文化も変化していくのは必然だと思いますが、コミュニケーション手段として重要なところなので、ネット社会が取って代わるのではなく上位互換となってもらいたいものだと感じています。

2025年3月24日月曜日

浅草キッド (2021)


お笑い芸人の劇団ひとりの監督第2作で、ビートたけしの自伝的小説を原作に脚本も劇団ひとりが担当しています。制作はNetflixで配信のみで視聴となっていて、現在までDVDなどは発売されていません(中国製の怪しげなものは出回っています)。

ビートたけし、北野武は大学を早々に退学して1972年に浅草フランス座の見習いとして楽屋で寝泊まりするようになります。当時の浅草フランス座は、基本はストリップ劇場で、踊りの合間にコントを上演していました。ここから有名になった者には、渥美清、東八郎、コント55号などもいましたが、「浅草の師匠」と呼ばれた芸人、深見千三郎が経営も担っていました。

深見は古いタイプの舞台一筋の芸人でテレビに背を向けていたため、ほとんど世間に知られることはありませんでしたが、人を笑わせることには秀でていて、誰もが一目置く存在であったと言われています。

フランス座でエレベータボーイの仕事についたタケシ(柳楽優弥)は、深見千三郎(大泉洋)のコントに憧れ、弟子入りを志願します。深見は何も芸を持っていないタケシにタップダンスを教えますが、それ以来ずっと真剣にタップの練習をしているタケシを見て弟子入りを許可するのです。

踊り子のチハル(門脇麦)は、実は歌手志望でしたが流れに流れてストリップをしていました。それでも舞台が終わった後に、一人で歌の練習をしているところをタケシに見られて話をするようになります。チハルは、「あんたはこれから始まるんだからいいよね」と言うのでした。

深見はふだんの生活の中でも、すぐにボケ倒すことを修行として、「客に笑われるんじゃない、笑わすんだ」と教え込みます。タケシは、少しずつ舞台にも立たせてもらうようになり、深見も陰でタケシの才能を認めるようになっていきました。しかし、テレビが普及するにつれフランス座の経営は悪化し、深見の妻で踊り子の麻里(鈴木保奈美)は芸者としても働き続けついに体を壊してしまいます。

舞台が先細りなのに対して、テレビの漫才がどんどん人気になっているのを見て、タケシはついに先にフランス座を辞めたキヨシ(土屋伸之)の誘いで二人で漫才をするため深見の元を辞すのでした。

初めは普通の漫才で目立ちませんでしたが、ツービートに改名して毒舌漫才を始めてからはどんどん人気者になり、10年かけてついにテレビの漫才大会で優勝するまでになります。タケシは優勝した夜、フランス座を手放し、麻里を亡くして、工場で働くようになっていた深みを訪ねます。賞金をそのまま深見に「小遣いです」と言って渡すのでした。

まず冒頭、度肝を抜かれるのは特殊メイクでビートたけしになりきった柳楽の演技。そこまで似せるためのコーチは松村邦洋というのが面白い。一気に何が始まるんだろうという興味を沸かせるのに十分なんですが、ちょっと間違うと柳楽タケシの違和感も作るかもしれないという、けっこう劇団ひとりが賭けに出ているようなところがあります。

ただ、劇団ひとりのビートたけし、そして深見千三郎に対する強いリスペクトは全体に満ち溢れていて、実にていねいに練られた展開であることに拍手を送りたい。

1作目でも主役を演じた大泉洋は、深見の人物像があまり知られていないので柳楽よりは演じやすかったかもしれませんが、大泉らしさもありながら頑で不器用な昭和の芸人を実に見事に演じました。それにしても、前作の手品にしても、今回のタップダンスにしても大泉洋は劇団ひとりからずいぶんと高度な要求をされても、ちゃんとこなす所がすごい。

劇団ひとりは、映画監督としてはまだ2作だけですが、いずれも自分のテリトリーの中で作っているので、俳優、特に大泉洋のおかげで映画として成立させている感じはありますが、違う角度からの映画が作れれば今後が楽しみかもしれません。

2025年3月23日日曜日

クラシック音楽の聴き方 2025


ずいぶん昔に、「クラシック音楽の聴き方」というタイトルで書いているんですが、久しぶりに「今」はどうしているのかという話をしてみたい思います。

クラシック音楽は小学生の時からけっこう聴いていて、ロック、ポップス、歌謡曲、時には演歌もコンスタントに聴き続けています。大人になってからはジャズが中心になり、クラシックはしばらく忘れていました。その理由は、誰が演奏しても同じと思ったから。

ところが、グレン・グールドのピアノを聴いて、同じ楽譜でも演奏者の解釈の仕方によってこんなにも違う音楽になるんだということがわかってからは、どんどんクラシックが面白くなりました。

最初は器楽曲、あるいは小編成の室内楽曲を好んで聞いていましたが、カラヤンの重量級のオーケストラの音が苦手で交響曲は敬遠していました。ところがJ.E.ガーディナーの古楽オーケストラによってオーケストラに覚醒してからは、交響曲もすごく楽しめるようになりました。

J.E.ガーディナーによるもう一つの恩恵は声楽。古楽では多くが声楽が付き物の宗教曲なので、一緒に聞いているうちにクラシックの歌手に対する偏見みたいなものも無くなったわけです。その勢いでオペラも制覇しようと思ったのですが、実はこれだけは何度挑戦してもダメ。好きになった歌手が主役でも、どうしてもピンと来ないので、もうなかばあきらめています。

そんなこんなで、オペラを除いてほぼクラシック音楽の全ジャンルを聞き倒してしまうと、あらためてクラシックが有限資産であることを切実に感じます。つまり過去の有名な作曲家の残した偉大な遺産であって、いくら演奏者によって違ってくるとは言っても、ベートーヴェンの交響曲なら9曲、ピアノ・ソナタなら32曲で終わりという具合にそれ以上の新曲は無いということ。

さすがに演奏者による違いを楽しむとしても、3~4種類くらい聞けば十分で、なんでもかんでも全部を集めるなんて所詮、経済的にも、時間的にも、そして空間的にも無理と言うものです。ですから、もう何年か前から急激にクラシックのCD購入意欲が落ちてしまいました。

また、それに合わすかのように音楽産業の環境がCDという物理媒体からストリーミングに移行して、CDの発売数そのものが減ってしまい、安く全部そろうボックス物の発売も急激に減少しています。これはクラシック好きにはけっこう痛いところで、例えばバッハのカンタータ全集はボックスなら数万円ですが、バラでそろえるとなると数十万円かかってしまうかもしれません。

ただ、今年になって新しい楽しみ方が見つかりました。今まではすでに亡くなった大家の作曲家の作品をすでに名声が確立した巨匠による演奏で聞いていたわけですが、YouTubeには日本の若手の瑞々しい演奏の映像がたくさん転がっていることを知りました。

まだまだ未完成の演奏家に金と時間を使うのはもったいない・・・と思っていたわけでは無いのですが、いやいや若い人も若いからこそできる実に新鮮な感覚の音楽を演奏していることに気がつきました。これはすでに巨匠になった演奏家にはできない芸当だと思いますし、そもそも「楽譜通り」に縛られない自由な発想は若者の特権かもしれません。

巨匠の演奏は「デフォルト」として一定の評価が確立していますが、必ずしもそれが正解とは言えません。芸術は主観的なものですから、時代や社会的な背景によって評価はいくらで変化してかまいません。また若い演奏家は、成長していく過程でその演奏もどんどん変わっていくかもしれないというのも魅力です。

自分の感性にマッチする若手を見つけたら、その人を追いかけてみる、CDがあれば聞いてみるというのは、今後のクラシック音楽の勢いを減らさないためにも意味のある楽しみ方かなと思います。

2025年3月22日土曜日

トワイライト ささらさや (2014)

加納朋子によるファンタジー小説が原作。監督は深川栄洋、脚本は深川と山室有紀子。夫婦愛、親子愛など家族愛をテーマにして、笑いどころはありますがキュンとくる作品になっています。

売れない落語家のユウタロウ(大泉洋)は、自分の落語を一生懸命だったからと唯一笑ってくれたサヤ(新垣結衣)と結婚し、息子のユウスケが産まれたとたんに・・・交通事故で死んでしまいます。葬儀にユウタロウからは死んだと聞かされていた父親(石橋凌)が現れ、ユウスケは引き取ると言い出します。

この世の未練、サヤのことが心配でたまらないユウタロウの霊は、師匠(小松政夫)に乗り移って、サヤにここからユウスケを連れて逃げろと言うのです。サヤはとにかく、かつて世話になっていた佐々良にある亡き叔母の家に身を寄せます。

ユウタロウは、近所の認知症を装っているお夏(富司純子)に乗り移りますが、一人に1回しか乗り移れないらしいと話します。そして、乗り移れるのはユウタロウの気配を感じることができる者だけで、乗り移られたものはアレルギーが出てしまうので長くは乗り移れない。

それ以来、お夏さん、久代(波乃久里子)、球子(藤田弓子)というおせっかいな三人お婆らに助けられる生活が始まります。そして、強気のシングルマザー、エリカとも知り合います。エリカには言葉を失った息子のダイヤ(寺田心)がいましたが、亡くなった夫は今でも近くいるという話をエリカが信じてくれないので、ユウタロウはダイヤに乗り移って事情を話し出すのです。

偶然、サヤがちょっと留守にした時に、久代の息子(つるの剛士)が泣いているユウスをあやしていました。ユウタロウの父親が差し向けた者と勘違いしたサヤは、思わず包丁を向けてしまいます。ユウタロウは、陽気でサヤに気がある駅員の佐野(中村蒼)に乗り移り何とかその場を鎮めました。

実は、この土地では佐野が乗り移れる最後の一人だったのです。ユウタロウはこれでお別れだと言うと、サヤはだからあなたの落語は独りよがりで面白くないと二人は言い合いになります。そして、それぞれの想いをぶつけ合ったことで、サヤはユウタロウの父親と会うことを決意します。しかし、やって来たユウタロウの父は、ユウスケを抱くとそのまま家の外へ逃げ出してしまうのでした。

最初に感じたのは悪者がいない作品ということ。ですから、最後まで見て泣きはあっても、安心できる仕上がりです。ガッキー初めての母親役というのも見どころです。また乗り移られた俳優さんたちの大泉洋風の演技が実に素晴らしく、特にさすが天才子役の寺田心くんには頭が下がります。

撮影で特徴的なのは、街並みなどの遠景ではティルトレンズを使ったミニチュア風撮影を多用していること。ササラという場所がファンタジーであり、リアリティを打ち消すことを目指しているようです。もっとも霊が誰かに乗り移るというのは、冒頭のユウタロウの「私はすでに死んでいます」という説明からしてフィクションなので、もしかしたら監督が意図したほどの効果は出ていないかもしれません。

2025年3月21日金曜日

銀のエンゼル (2004)

「水曜どうでしょう」で有名になったTEAM NACSの兄貴分で、北海道に強いこだわりを持つ鈴井貴之の監督第3作目の映画。今回の作品では、舞台は釧路の何にも無いところにポツンと一軒あるコンビニエンス・ストアですが、俳優陣は有名どころを取り揃え、TEAM NACSは脇役にまわっています。

もともと農家をしていた北島昇一(小日向文世)は、周りからの勧めもあってコンビニを営んでいました。店のオーナーは昇一ですが、実際に店を切り盛りしているのは妻の店長・佐和子(浅田美代子)です。高校三年生の娘、由希(佐藤めぐみ)は、東京の大学への進学を考えていて、昇一だけがそれを知りません。

ある日、佐和子が交通事故にあい入院してしまいます。昇一はしかたがなく店に立つことになるのですが、勝手がよくわからず、配送の六ッ木(大泉洋)からは、新米のバイトに思われてしまうのです。夜勤馴れしている寡黙な佐藤くん(西島秀俊)に助けられ、何とか店を開けていられましたが、佐和子はこれを機会に自分はもう店には出ないと言い出すのです。

由希は、東京に出たがっていることが狭い町の中で知れ渡ってしまい、そのような環境に窮屈な想いをつのらせていきます。そして、ついに昇一の耳にも伝わってしまいますが、怒っている昇一に、由希はずっと自分に無関心だったくせにいまさらと言い放つのでした。

ストーリーとしては娘を本心から心配している不器用な父親とそのことがわからない娘を軸に、コンビニに出入りする二人を応援するたくさんの人々の小さなドラマをたくさん散りばめた群像劇のような体裁になっています。

タイトルの「銀のエンゼル」は森永製菓のチョコボールの当たりマークのこと。常連客のスナックを経営しているシングル・マザー(山口もえ)が、自分の人生の運試しとしてチョコボールの当たりを集めているところからきています。いつも昇一に買う箱を決めてもらっていましたが、佐藤くんに自分で選べばはずれでも後悔しないと言われます。

北海道の空気感みたいなものはうまく焼き付けられていますが、強いメッセージがあるわけではなく、問題を抱えた人々がちょっとだけ前を向いていけるような気になる作品というところでしょうか。大泉洋の出演作としては、主役ではありませんが、適度なユーモアを出しつつも、なかなかかっこいい態度を出すあたりは大泉カラーが確立したような感じがします。

2025年3月20日木曜日

吹雪だけど・・・


昨日、早起きした人はさぞかし驚いたはず。

いやいや、吹雪じゃん・・・

こりゃどうなることやらと、えらく心配しましたが、8時ごろにはほとんどやんでしまいました。

何年か前に、桜が開花しているのに積雪というのがありましたが、今回はゲリラ豪雪という感じで、横浜北部では積もるほどのことはありませんでした。

昼からは陽も出てきたので、帰りはまったく問題なし。

そんなことより、ドジャース対カブスの開幕試合の方が、皆さん気になっていたんじゃないでしょうか。

もっとも、寝坊した方にはまったく関わりのない話ですけどね。

2025年3月19日水曜日

泡沫 (うたかた)

 


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

2週間前に閉店してしまったセブン・イレブン。

開院以来、ずいぶんとお世話になりました。

前を通ってみると、確かに店はすでに「らしさ」は無くなっていて、あれほど繁盛してるように思えたのに見る影もありません。

いかにもオーナーかと思える太った無精ひげのオッサン、煙草を吸いながら新米の店員に講釈たれていた大柄なメガネ男。今となっては懐かしい。

この店は幸せなことに、人は変われど必ず数人のてきぱきと動けるしっかり者の店員がいました。彼ら、彼女らがいるおかげで、何かとても安心感がありました。

いくつかのセブンに寄ってみましたが、まだレギュラーとするほどの雰囲気の店は見つかりません・・・って、そんなに大袈裟なことでもありませんけど。

夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉

2025年3月18日火曜日

river (2003)

鈴井貴之の第2回監督作品で、脚本も自ら担当しました。北海道にこだわる鈴井が、今回はキャストもスタッフもほぼ北海道在住者で固めました。彼の育てたTEAM NACSのメンバーが総出演で、大泉洋は映画初主演です。

北海道の小学校の同窓会で、久しぶりに再会した4人。佐々木耕一(大泉洋)は警察官で、2か月前に通り魔に遭遇したものの、日頃から拳銃を銃弾を込めていなかったため被害者は殺され、犯人にも逃げられてしまいました。藤沢聡(安田顕)は殺された女性との結婚式を間近に予定していて、犯人と見殺しにした警察官を憎んでいました。

いじめに受けていた横井茂(音尾琢真)に誘われて、彼らは2次会としてバーにいきます。そこのバーテンダーはやはり同級生だった九重達也(戸次重幸)で、オリンピックを目指すスキージャンプ選手でしたが、交通事故で断念したのです。それぞれが口に出さずとも、忘れたい過去を引きづっていたのです。

そんな4人に謎の人物が接触してきます。北海薬品工業から「記憶を消す薬」を盗み出してほしいと依頼してきます。横井だけは、こどもが入院したと嘘をついて抜けてしまいます。転校生で半年しかいなかった横井は同窓会に呼ばれるはずが無いことに気がついた佐々木は、横井に対する疑惑を深めます。

流れに乗るしかないと思った佐々木は、藤沢、九重と製薬会社から首尾よく指定されたものを盗み出すことに成功します。しかし、藤沢は逃げ出してしまいました。仕方がなく、盗品の受け渡し場所とした、今では廃校になっている小学校へ向かいます。藤沢は歩いているところ、偶然を装って通りかかった横井の運転する車に拾われ睡眠薬を飲まされてしまいます。

廃墟となった小学校到着した佐々木と九重は、いきなり銃声を耳にします。佐々木は校舎に走っていきますが、足が悪い九重はその場にとどまります。そして、その後ろには銃を構えた横井が経っているのでした。

TEAM NACS総出演なのに・・・まったく笑いは有りません(ちなみにチームのリーダーである森崎博之は佐々木の先輩警官役)。サイコティックな要素も取り入れた陰湿なサスペンスです。映像は徹頭徹尾、暗めのブルーを基調として白黒に近い作りで、暗澹たる空気を増幅させています。またロングショットかアップで人物をとらえることで、極端な主観と極端な客観を表現しているようです。

おそらく大泉洋史上、最高に暗い口調で口数も少ない演技が見れると思います。これは、他のメンバーについても同じで、他の映画と比べても、これほど重たい雰囲気の作品はほとんど思いつきません。

結末は銃声のみで映像としては描かれていません。しかし、おそらく主要人物はすべて死んでしまったのではないかと想像させられる、最後まで希望を見出せない作品です。何故ならタイトルがそれを示している。

学校の浦に小川があり、生徒は毎年春に鮭の稚魚を放流していました。稚魚は皮を下り何年かして同じ川を産卵のため遡上し、産卵の後死んでしまう。つまり、元居た場所に戻ることは死を意味しているわけで、彼らは小学校に戻った時点で運命は決していたということ。

TEAM NACSを使って、真逆のキャラクターに挑戦したところは、彼らを良く知る鈴井だからこそできる芸当というところだと思います。中盤から横井の怪しさを出してサスペンスを盛り上げているのですが、残念ながら事件の動機としては弱いように思いますし、佐々木中心に展開していくので、もう少し丁寧に横井を描いてほしかったという感じがしました。