ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930 - 2014)はフランス生まれの指揮者で、生後すぐにアメリカに移住したので一般にはアメリカ人という扱い。この人はまさに神童で、8才でニューヨークフィル、9才でフィラデルフィア管を指揮したというから驚くしかありません。
クリーヴランド管、ウィーン国立歌劇場などで活躍し、80年代はウィーンフィルとの良好な関係が続きましたが、てっきり自分だと思っていたカラヤン後のベルリンフィルのシェフをアバドに1989年にもっていかれて相当ショックだったらしい。
カラヤンがベルリンを去ることを予想していたわけではないのでしょうが、ベルリンとも良好な関係を気付いていたマゼールは、このマーラー全集が始まった時に、次は自分にという気持ちがあったかもしれません。
1982年 第5番、第6番
1983年 第2番、第4番
1984年 第7番、第9番、第10番(アダージョのみ)
1985年 第1番、第3番、亡き子をしのぶ歌
1989年 第8番
マゼールに対しては、いろいろ評論を探していると賛否両論が目立つように思います。かなり聴く人を選ぶ指揮者と言う印象です。それはマーラー全集にも言えることで、どちらかというと低い評価をする人が多いのですが、中には大絶賛もある。
すべてをウィーンフィルと録音するという偉業を初めて達成しながら、やっつけ仕事のように言われるのはどうしてなんでしょう。特に最後に録音された第8番は、それまでのペースから外れて4年後の1989年です。4月にカラヤンがベルリンを辞任したため、6月に全集完成のために重い腰を上げた感があります。
第1番、遅い。第2番、これも遅い。第3番、遅すぎる・・・、そして第4番、遅い。第5番、何か遅い。第6番、やっと普通・・・だけど、時すでに遅し。第7番、やっぱり遅い。第8番も、第9番も・・・もはや真面目に聴く気がしない。
こんな書き方をするとファンから怒られそうですが、必要以上に情感を溜めすぎ。器用さが仇となって、遅さの中にいろいろ詰め込んだのかもしれませんが、聴く側としては音楽の流れに乗り切れない感じです。
ただし、中にはこの流れにうまく乗ってしまえて、それが心地よいと思える人もいるわけで、まさに好き嫌いは紙一重みたいなところなのかもしれません。
20世紀末には、ワルトラウト・マイヤー(Ms)の歌唱で、歌曲集と大地の歌を録音していますが、こちらは普通のテンポで、歌手をうまく引きたてた素直な演奏をしているように思います。
21世紀になって、フィルハーモニア管との一連のライブ(2011年4~10月)が、2度目の交響曲全集(1-9番)として完成し発売されました。ただし、こちらはあまり話題に上ってきません。全体的に、さらにさらに間延びした演奏だからでしょうか。