夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2021年4月30日金曜日

ホイールカバー


これは車屋さんの店先じゃない。

うちのクリニックのあるビルの地下駐車場の出入り口の光景です。ほぼ通年で、外れたホイールカバーが何枚かおかれています。

なんでかって言うと、機械式立体駐車場であることと狭いことで、駐車する際にタイヤをレーンの角にこすりやすいから。

ご利用の際には、十分に注意してください。

昔の車のタイヤはほぼ「テッチン」と呼ばれた鉄製のホイールについていて、必ずこういったホイールカバーが付いていました。ところが、今ではほぼ全てと言ってもいいくらいホイールはかっこいいデザインのアルミ製で、カバーはつけなくなりました。

この駐車場を利用する車にテッチンが多いわけではありません。

見た目だけではなく、燃費優先で車体重量を軽くするため、鉄製よりアルミ製のホイールが一般的になっていますが、一部の車には、アルミホイールなのにカバーが付いているということがある。

これは、やはり燃費の関係。つまり走行時のタイヤの空気抵抗を減らす目的です。

外れてしまって、黒いテッチンが露出すればすぐにわかりますが、カバーが外れてももともとがアルミだと意外と気が付かないこともあります。

そんなわけで、いつもここに引き取り手の無いカバーが積まれているということかと。

2021年4月29日木曜日

自宅居酒屋 #35 肉豆腐


これは本当に居酒屋さんメニューで、もう何十年か昔に居酒屋であまりに美味しかったので、レシピを教えてもらって以来のレパートリー。

用意するは、豆腐。絹でも木綿でもいいのでお好みで。すき焼きに入れるくらいの大きさに切ります。煮込む時間が無いときは薄めにしましょう。

肉は、絶対に豚肉。しかもバラ。脂が多い方が甘味が出る。煮込んで出てくるあくと脂はできるだけ除きます。適当な大きさに小間切れにします。

そして玉ねぎ。これも甘みがでてきます。全部あわせて鍋にいれちゃいます。今回は余っていたしめじも入れちゃいました。

味付けは、基本は醤油と砂糖。煮込むので最初はちょっと薄いくらいの味付けでOK。そして大事なのは生姜。多めかなくらいが丁度よい。味の深みが足りないと思ったら、少しだけだしの素を入れてもいいかと。

5~10分くらい煮込んで出来上がり。あとは食べるだけ。以上。

2021年4月28日水曜日

カラス いけいけ ネット


朝、ゴミ出しをする人にはお馴染みの、カラスいけいけネットです。

折り畳み式で、ごみの集積場で広げて収集を待ってます。一番の目的は、カラスによってゴミが荒らされるのを防ぐというもの。

住民の誰か(自分じゃありません)が、粋なイラストを描いてネットに括り付けていました。

まぁ、なかなか、いいんじゃないかということで・・・

2021年4月27日火曜日

ワレキューレ (2007)

アドルフ・ヒットラーは、説明するまでもなくナチス・ドイツを率いた独裁者として知られ、第二次世界大戦を巻き起こした張本人であることは定説として認知されています。

出自などを含めて、ヒットラーの生涯については謎が多いことも事実ですが、少なくとも彼が率いた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)においては、晩年まで多くの心酔者が軍部のみならず、国民の中に大勢いたことは否定できません。

独裁体制は多くの敵を作ることは自明であり、国内では秘密警察ゲシュタポが国民の監視を強化し、ヒットラーに対して反旗を翻すことは大きな困難を伴ったことも事実です。しかし、ヒットラーの独裁に多大な危機感を募らせている人々が国の中枢にいました。

ヒットラーを暗殺しようという計画は、わかっているだけでも42回。ただし、実行されたものは数回で、最後に自ら命を絶つまで生き延びたことからも、すべての計画は失敗に終わっています。

この映画は、1944年7月の暗殺未遂事件を、その実行犯シュタウフェンベルク大佐中心に、事実に基づいて作られたものです。監督は「X-MEN」シリーズで名を上げたブライアン・シンガー、脚本には「M:I」シリーズのクリストファー・マッカリー。そして、製作総指揮と主演がトム・クルーズという豪華な組み合わせです。

ヒットラーは、国内で反乱がおきた時に予備軍を動員して戒厳令下に鎮圧にあたるワレキューレ作戦を用意していました。軍部内の反ヒットラー勢力は「黒いオーケストラ」と呼ばれ、まず1943年3月、トレスコウ少将らがヒットラーが搭乗する飛行機に爆弾を紛れ込ませ、飛行機ごと葬る計画を実行します。ヒットラー死亡確認後にワレキューレ作戦を発動し、混乱を収束させる予定でしたが、何らかの理由で爆発せず作戦は失敗。

クラウス・フォン・シュタウフェンベルクは、名家の出身で自身は伯爵の位を持っていました。軍の中でもその実直な人柄は親しまれ、愛国者は「一個人ではなく国に仕える者」という信念を持っていました。1942年以後は、度々ヒットラー批判を口にしていましたが、1943年4月に北アフリカ戦線で重傷を負い、左眼、右手、左手薬指・小指を失います。

黒いオーケストラの一員であるオルビリヒト将軍の計らいでベルリン勤務となったシュタウフェンベルクは、転任になったトレスコウの後を継いで新たな暗殺計画の中心人物となります。

何度かの計画延期後、東プロイセンの大本営「狼の巣」において、7月15日にシュタウフェンベルクは爆弾を持ち込み作戦実行直前までいきますが、一緒に処分したいヒットラー側近の親衛隊トップのヒムラー不在のためぎりぎりで中止。待機させた予備群は演習と説明し、その場を切り抜けます。

そして次の機会は7月20日に巡ってきました。今回もヒムラーは会議に出席していませんでしたが、計画の実行が決断され、シュタウフェンベルクは会議室に爆弾を持ち込み爆発させます。しかし、数名が死亡したものの、肝心なヒットラーは難を逃れました。すでに後戻りできない暗殺グループはワレキューレ作戦を発動し、予備軍によるベルリンの制圧に乗り出します。

しかし、ヒットラー生存が確認されとるすべては水泡に帰すのでした。ワレキューレ作戦は大本営側から中止が指令され、その日の夜に主だった首謀者は逮捕・即刻銃殺に処されました。その後も終戦まで、加担した者たちの裁判が続き、数千人以上の多くの者が粛清されています。実は猛将ロンメル元帥も関与を疑われ、ヒットラーから自殺を強要され亡くなりました。

この「7月20日事件」の後、ヒットラーの猜疑心はさらに深まり、より近辺の警戒は厳重となったため、これが最後の暗殺計画となりました。ヒットラーの暴走を止める者は誰もいなくなり、結果としてナチス・ドイツの終焉を早める結果になったのかもしれません。

シンガー監督は史実にこだわり、できるだけ実際の場所で、当時の車両などを用意してリアリティ重視の映画作りをしました。トム・クルーズも久しぶりの演技派としての熱演で、結果はわかっていてもサスペンスとして上級の仕上がりです。

ですが、残念ながら、やはり「大スター」であるトム・クルーズが主役ということが、一番のリアリティを失う要素になっていることは否定できません。また、登場人物が英語を話しているのも、今時の映画としては無理がある。できるだけ。あまり知られていない俳優を使い、吹き替えでもいいからドイツ語で台詞を言わせれば、もっと内容が際立ったかもしれません。

2021年4月26日月曜日

ヨーロッパの解放 III (1971)

国策映画、あるいはプロパガンダ映画と呼ばれる類の政治宣伝が主目的の映画があり、一般の娯楽映画とは区別されます。特に戦時中においては、国民の意識を高揚させ団結を強固にする目的で各国で国策映画は盛んに制作されました。

アメリカもその例にもれず、ハリウッド作品の中にも見られます。名作とされる「カサブランカ(1942)」も、娯楽性を入れながら国策映画としての一面が含まれています。ヒッチコックも積極的な国策映画を作っていますが、一般向けのものとしても「逃走迷路(1942)」のような境界が曖昧な作品もある。

ロシア、旧ソビエト連邦は戦前から戦中、そして戦後にかけて国策映画の宝庫と言えます。共産主義国家として、映画産業すらも国営であったのですから当然と言えば当然のこと。

その大半は「モスフィルム」という国営スタジオで制作され、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ(1975)」もここで作られています。「ヨーロッパの解放」も、当然モスフィルムの制作で、一大国家事業として完成した作品。

全5部からなるこの作品の中で、一番長いのが第3部で「大包囲撃滅作戦」という邦題がついていて2時間を超えるもの。

1943年11月に行われたテヘラン首脳会議において、ソビエトからの強い要望に応え、イギリス・アメリカを中心とした連合国軍は、半年後にフランス北部に第二戦線を構築することを決定します(オーバーロード作戦)。第3部はこの場面からスタート。この議事録はスパイの手によってナチスにもたらされますが、猜疑心の塊のヒットラーは偽情報として取り合いません。例によって、スターリン以下、そっくりさん俳優が登場し、スターリン以外の外国語台詞はボイス・オーバーがかぶさります。

ドイツ対ソビエトの東部戦線は、ソビエトが1943年夏にクルスクの戦いを制し、その勢いでドニエブル川を渡河し、1944年初頭にはウクライナに進軍していました。ソビエトは夏の攻勢について、フィンランドを叩く北部、ベルリンへの最短距離にある白ロシア(現ベラルーシ)に進軍する中央、そしてルーマニア、ブルガリア、ハンガリーなどのバルカン諸国を制圧する南部に分けて、一気に広域で決起することにし、ナポレオンのロシア遠征で功をなしたバグラチオン将軍の名を冠した作戦を立てました。

連合国軍のオーバーロード作戦の開始、ノルマンディ上陸、そして西部第2戦線が開始されたことに呼応して、あらかじめ白ロシア内のドイツの主要補給路である鉄道を破壊し、6月23日にバグラチオン作戦が始動しました。ウクライナ方面を主戦場に見せかけ、白ロシアの沼地・湿地帯を戦車が突破していく、ドイツ軍の想定外の突撃によりソビエトは深くドイツ占領地域に深く切り込み、ついにポーランドの土を踏むことに成功します。

一方、ドイツ国内では、東西からの攻勢により、危機感をつのらせた上級士官らがヒットラー暗殺および連合国軍との講和を画策しクーデターを起こします(7月20日事件)が失敗し、国内の混乱を露呈しました。イギリス首相チャーチルは、ヒットラー暗殺失敗よりも、ソビエトにポーランドを取られたことを悔しがるのでした。

今回も、ソビエト将兵と従軍看護師ゾーラとの恋愛模様が少しだけ盛り込まれていますし、たぶんこのシリーズで最大のセクシーな見せ場としてゾーラの川での沐浴なんてものもあります。もっとも、素肌が見えるのは足だけですが・・・単なる記録映画にしない努力なんでしょうけど、ほぼ意味が無く浮いているのはご愛敬。

相変わらず、空撮による平原での戦車部隊の戦闘は迫力があります。ただし、8月のワルシャワ蜂起についてはまったく触れずに1944年が終わってしまいます。カティンの森事件の根本と同じで、ソビエトとしては終戦後民主化運動の旗頭になりうるレジスタンスがドイツ軍に一掃されることを期待して、一時進軍を停止し見殺しにしたという見方はあながち間違いではないように思います。

この映画のDVDは以前発売された(2003年)ものは、まるで8mmで撮影したものかというくらいひどい画質でした。音声も画面とずれているようなかんじもあったりと、正直見るに堪えない感じ。ところが2012~13年に日本のテレビ・アニメとして「ガールズ&パンツァー」という萌え萌え系が放送され、その余波でなんとこの映画がリマスターされるという不思議な展開になりました。

2014年に発売されたリマスター版は、十分に鑑賞に堪える画質となり、音声もステレオ化して映画ファンも納得。DVDケースは、アニメのイラストのタイプと、通常のタイプが用意されています。

2021年4月25日日曜日

史上最大の作戦 (1962)

1941年12月、真珠湾を日本に攻撃されたアメリカ軍はついに参戦し、1942年6月にミッドウェイ環礁において日本海軍に圧勝しました。1943年になると、日本とアメリカは一進一退の攻防を繰り広げていましたが、1944年には日本は侵攻した南西諸島やマレー半島などから、じりじりと後退を余儀なくされます。

7月にマリアナ諸島(グァム島、サイパン島)を手中におさめたアメリカ軍は、ついに日本本土への爆撃が可能になりました。1944年10月、アメリカ軍はフィリピンに上陸、レイテ沖海戦でほぼ日本海軍はほぼ壊滅という状態に陥ります。

この頃から、海軍の残存部隊による神風特攻が始まりました。また、各戦地で降伏より自決を選ぶ日本兵がアメリカ軍兵士に異様な恐怖を与えたようです。この日本の自殺攻撃は、終戦まで続き、少年兵も駆り出され、時にはわずかな訓練で出撃させられました。日本の制作した映画では、今でも多く取り上げられるテーマになっています。

1944年のヨーロッパは、東部戦線では6月にソビエトがこれまでに無い大規模な「バグラティオン作戦」を展開し、ドイツが侵略した土地の大半を奪還します。撤退し続けるドイツ軍に対して、8月にポーランドのレジスタンス組織がソビエトより先に武装し自国開放を目指したのが「ワルシャワ蜂起」です。

しかし、いくらじり貧のドイツ軍といえど、民間人の武力勢力が立ち向かえるほど弱体化していたわけではありません。約5週間でレジスタンは鎮圧され、20万人が戦死・処刑されました。この時ソビエトは、ワルシャワのすぐ近くまで進軍していたものの、レジスタンスに対する援助はせず静観し、西側諸国の連合軍の援助の申し出にも協力を拒否しています。ヒットラーは、ワルシャワを徹底的に破壊することを指示し、町は廃墟と化しました。

ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダは、ワルシャワ蜂起におけるレジスタンスの様子を「地下水道(1956)」で映画化しています。また、ソビエトの「見殺し」に対する反ソ感情を見て取れる「灰とダイアモンド(1958)」も作っており、ポーランドが戦後共産圏に取り込まれたものの、禍根を残したことは間違いないようです。

枢軸国と呼ばれる主な三か国のうちイタリアはすでに降伏し、残るドイツ、日本もこの年後半から敗戦に向けて着実に追い詰められていました。それでも、勝利を信じているのか、あるいは敗北を知らないのか、各地での兵士の命を消耗するだけの戦いが続いていました。

西部戦線は、何といっても連合国軍により「オーバーロード作戦」の発動が大きな出来事でした。ある意味、第二次世界大戦のハイライトと言ってもいいかもしれません。これは連合国の首脳会談で、スターリンが東部戦線の負担を減らすために、西部戦線の再構築を米英に迫ったことにも起因します。

計画は何度も討議されてきましたが、ついに1944年6月6日(一般にDデイと呼ばれる)、イギリスからドーヴァー海峡を渡りフランス西岸に上陸、いわゆるノルマンディ上陸作戦から始まり、ライン川を越えてドイツ本土に迫るというものです。

映画でのノルマンディ上陸作戦の再現は、何といってもスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン(1998)」が、驚愕のリアリティで見るものを圧倒します。映画開始から30分近く使って描かれる、兵士が吹き飛ばされて死体の山ができていくところは、まさに阿鼻叫喚の修羅場で、戦場を知らないものを恐怖のどん底に突き落としてしまいました。

この作戦の一部始終を比較的事実に基づいて忠実に映画化したのが、「史上最大の作戦」で、「クレオパトラ(1963)」で倒産しそうになっていた20世紀フォックス社が、社運をかけたオールスター・キャストの群像劇です。

監督は、イギリス部分はこのあと「バルジ大作戦(1965)」でもメガホンをとったケン・アナキン。アメリカ部分はアンドリュー・マートン、ドイツ部分はベルンハルト・ヴィッキという三者が共同で行いました。音楽はモーリス・ジャールですが、有名なテーマ曲は出演者の一人、歌手のポール・アンカが作りました。

ただ、この手の作品に付きまとう欠点としては、どうしても登場人物が多くなり、軍の位と名前がいきなりわんさか出てきて混乱します。まぁ、有名な俳優が多いので、ある程度そこで見分けをつけていくしかありません。

基本的には、作戦を決行する数時間前からの24時間のストーリー。ドイツのロンメル将軍が、連合国軍の上陸を許すまじ、その戦いは長い一日になると言うところから、原題の「The Longest Day」が来ています。

イギリスからドーヴァー海峡をフランスに渡るには、距離が一番短く、ドイツへも近い北寄りのカレーの町付近に上陸するのが比較的楽と考えられたため、連合国はドイツが恐れるアメリカのパットン将軍を囮部隊としていかにも本物の大軍勢が待機しているようにふるまいます。ドイツはカレー上陸を警戒しますが、一部の将校はノルマンディを心配していました。

じつはイギリスとしては、自国から離れていて、ソビエトも牽制できるバルカン半島への上陸案を出していましたが、それではドイツまでの距離が遠すぎるため採用されませんでした。そこで、意表をついてドーヴァー海峡の最も広がったところから上陸することになり、選ばれた場所がノルマンディでした。

しかし、5月から待機していた連合国の大部隊は、6月に入って天候が荒れ、なかなかタイミングが掴めない。6月5日に、一時的に天気が回復するという予想により、ついに決行が決定しまた。ドイツ軍は天候の悪さで、油断していたのです。

映画では、まずイギリスのグライダー部隊が、ノルマンディの北、ベヌヴィルの町のオルヌ川にかかるペガサス橋を敵の補給路を断つために攻略します。フランスのレジスタンスは鉄道を破壊、ノルマンディ近くのカーンの付近には、人形をパラシュートで降下させ攪乱。アメリカの第82空挺師団と第101空挺師団は、カレーのすぐ近くサント・メールにパラシュート降下し後方を急襲。

そして夜明けとともに、ノルマンディの海岸には6千隻にも及ぶ艦艇が接近し、砲撃を開始。イギリス軍が上陸したソード・ビーチ、カナダ軍が上陸したジュノー・ビーチ、そしてイギリス軍が上陸したゴールド・ビーチは、死傷者(合わせて死者3000名)をだしつつも比較的早くに上陸に成功します。

しかし、オハマ・ビーチに上陸したアメリカ軍は、ドイツ軍の要塞化した防御態勢による間断ない砲撃と浜に設置された地雷などにより最も過酷な状況に陥り、ここだけで2400名の死者を出します。そして最西端のユタ・ビーチは潮流により着岸地点がずれたため比較的簡単に上陸に成功します。そして、連合国軍のそれぞれの部隊が、この長い一日を何とか乗り切るところで映画は終わります。

あまりにたくさんのスター俳優が登場するので、名前を挙げていたらきりがない。メイン・キャストと呼べるのは、第82空挺師団を率いるジョン・ウェイン、オハマを攻めるロバート・ミッチャム、ドイツ軍将軍のクルト・ユルゲンスでしょうか。ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートンもちょこっと登場します。人気が出る前のショーン・コネリー、ロバート・ワグナーの顔も見えます。

ごく一部に、事実と異なる部分があるようですが、概ねノンフィクションに近く、映画のドラマ性という意味では、正直ぱっとしませんが、それぞれの立場から連合国軍の反攻とドイツの敗北の始まりが、この一日で決したという意味では大戦中もっとも大きなイベントだったことはよく伝わります。

製作されてから60年近くたちますが、当然後の映画のような特撮やCGを駆使したリアル(過ぎる)戦闘シーンはありません。まだ物量で勝負できたハリウッドが作った、第二次世界大戦物の映画としてはやはり外すことのできない傑作という評価は間違いありません。

2021年4月24日土曜日

チキンラーメン キャベサラダ


新発売!! 今度の日清のチキンラーメンはサラダにびったり!!

・・・というわけで、早速食べてみました。

袋を開けると、こどものげんこつ大の麺のかたまりと、普通の袋麺についてくるスープ袋くらいの香味醤油だれで1セット。

千切りキャベツとあえるだけ。簡単です。

すでに、皆さん、お気づきのことと思いますが、これ大ヒットしたマルちゃんの「無限キャベツのもと」の何匹目かのドジョウで、まぁ出るべくして出た、あるいは満を持して出たという感じ。


さて、そのお味は・・・

これもありだとは思いますが、無限シリーズの圧勝としたいと思います。

ラーメンが固くて、バリバリします。キャベツと分離してる感じです。

無限キャベツは細い皿うどんみたいな感じでパリパリ。キャベツと違う食感がうまく混ざり合うところが抜群です。

というわけで、日清さんには申し訳ありませんが、いっそうの奮起を期待します。とは言っても、「こどもがよろこぶ」としてありますから、大人の感想はどうでもいいのかもね。

2021年4月23日金曜日

自宅居酒屋 #34 ニンニク春菊


和え物は、時短ですぐ出せる肴となるので居酒屋メニューとしては重宝します。

これも和え物ですが、ニンニクで味付けした春菊です。レシピとしては簡単。

春菊を適当に切ったら、茎から先に入れて数分間ゆがきます。

基本の味付けは、シンプルにおろしニンニクと醤油で味付けをするだけ。調理時間は5分以内です。

今回は、ちょっと中華風に醤油半分、オイスターソース半分。さらに豆板醤をちょっと、ごま油をちょっと足してみました。

これはこれで、風味が豊かになりますが、まだ食べたことが無い方は基本でどうぞ。

2021年4月22日木曜日

骨模型


診療をする時、患者さんに説明するために便利なツールは骨・関節の模型。

もう今は、まったく無理なんですが、以前は製薬会社が自社の製品の宣伝を兼ねて、手ごろな模型を配っていた時期があります。

おかけで、だいたい必要なものはそろっているわけで、診察室の手が届く棚に並んでいます。

その中で、一つだけ木彫りの物。これ肘です。目立つせいか、時々、患者さんに「なんであれだけ木なの?」と聞かれることがある。

じつは、開院前・・・台風の強風で折れた街路樹の枝を拾ってきて、ナイフで自分で削ったものなんです。

ですから、関節部分の可動性はありませんが、まぁ、うまくできたかなと思っています。

内装工事をしている時期だったので、業者さんについでに頼んでニスを塗ってもらいました。自分ではけっこう満足しています。




2021年4月21日水曜日

八朔



はっさく、といえば柑橘系、みかんの仲間。

みかんよりは大きめで、重さもある。

食べ頃は、初春で今だとちょっと盛りを過ぎたかんじでしょうか。

ちょっとだけ苦みがあるのが、好き嫌いの分かれるところです。

ちなみに、都筑区の隣、横浜市緑区には北八朔という町名があります。

もともとは都筑郡八朔村と呼ばれていた場所で、さらにその前は針折、あるいは罰佐久と申したそうな。

果物のはっさくとは関係なさそうです。

2021年4月20日火曜日

コレール


食器の材質にもいろいろありますが、まぁ一番陶器が多いですかね。

ガラス製というのもあるし、中には金属製のものもあります。金属製は壊れませんが、たいてい見た目が味気ない。

陶器やガラス製だと割れやすいのが一番の難点。そこを何とかしましょうと登場するのがこれ。

これ・・・これ・・・コレールというわけで、1970年にアメリカで誕生した「Vitrelle(ビトレル)」と呼ばれる三層のガラスを熱圧縮させて、衝撃に強く割れにくくしたもの。

熱にも強く、電子レンジやオーブンに入れても大丈夫というのがウリになっています。

こどもが小さいときキャンプにせっせと出かけて、ブラ食器ではつまらないので少しはおしゃれに・・・と思って、少しずつコレールを集めました。何しろ、荒い扱いになりやすいキャンプでは重宝します。

ところが、ある時一瞬でほとんどのコレールが消滅したのです。

洗い終わったコレールをまとめてしまおうと長男が持ったのはいいのですが、期待通りというか、当然のように落としてしまいました。

さすがに大小20枚くらいを重ねていたので重たい。一枚なら割れなかったかもしれませんが、まとめてだといくらなんでも無理があったようで、ガッシャーン!!

コレールは割れると、普通のガラスよりもこまかく四散します。

その時生き残った数枚が今でも食器棚にあります。キャンプをしなくなった今では、新たに増えることなく、それなりに活躍しています。


2021年4月19日月曜日

パットン大戦車軍団 (1970)

この映画は邦題からすると、いかにも第二次世界大戦で名を轟かせたアメリカのパットン将軍を中心とした戦争映画と想像しますが、原題は「Patton」だけであり、パットン将軍の一代記、人間像を描くことを主眼とするものです。


監督は「猿の惑星」などのフランクリン・J・シャフナー。この映画ではアカデミー作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞他7部門で受賞しました。ちなみに主役のパットンを演じたジョージ・C・スコットは、主演男優賞を辞退したことでも有名です。

映画開始早々、大星条旗をバックにジョージ・スミス・パットン・ジュニアが演説を行います。これはノルマンディ上陸直前に兵士たちに行った有名なスピーチで、実際の半分くらいに短縮していますが、6分間にわたる長いものでパットンの戦争に対する考え方のすべてが出し尽くされています。

1942年11月、パットン少将はモロッコに連合国軍として上陸(トーチ作戦)。映画は、実質的にはパットンがモロッコから勲章を授与されるところから始まります。ここで、最初のパットンの言葉は「私の楽しみはドイツと戦うことです」であり、結局これがすべて。

翌年3月、チュニジアのカセリーヌ峠でイギリス人の司令官が大敗した後を受けて、中将に昇進し司令官になり、旧知のブラッドレー少将(カール・マルデン)を副司令官に指名し緩んでいた軍を叩き直します。着任早々、兵営地のあちこちを視察し、厳しい戒律を決めていきます。病院では、「戦争神経衰弱」の患者を追い出し、ここは勇者だけが治療を受ける場所だと言い放ちます。

古代ローマ時代の戦場だった場所では、パットンは2000年前の戦いに思いを馳せ、生まれる前から軍人であった自分の信条を吐露します。指令部を空襲されると、外に飛び出し拳銃一つで相手に発砲する。しかし、戦死者の墓地では墓泥棒にあわないように見張りをつけさせ、勇者に対しての敬意は忘れません。

5月までに北アフリカのドイツ・イタリア軍を一掃し、いよいよイタリア本土への足掛かりとなるシチリア島攻略が開始されますが、イギリスのモンゴメリー将軍に花を持たせるため、自分が援護側に下がることに不満を持ちます。パットンは、命令を無視して島の北東端、イタリア本土の鼻先につながるメッシーナをモンゴメリーを出し抜いて先に確保してしまいました。この時に盟友ブラッドレーは、パットンに「あなたは意地で兵士を命の危険にさらしている。私は任務だから戦うが、あなたは戦うのが好きなだけだ」と非難します。

また、野戦病院では負傷兵には手厚くしますが、砲弾の恐怖に神経がすり減ってしまった兵士に対して「臆病者。俺が撃ち殺そうか」と言って追い出したことが事件になります。総司令官アイゼンハワーから公式に謝罪を求められ、1944年の新年早々に司令官の地位も失います。

いよいよフランス上陸作戦がせまっていましたが、連合国軍はパットンの実力を恐れるドイツ軍に、パットンがカレーに上陸するという偽の情報を流します。囮として何もできない忍耐の時期を耐えて、上陸後に大将に昇進したブラッドレーについに前線に呼び戻されたパットンは、師団を任されフランス国内を快進撃するのでした。

そして、また冬が訪れ、かの有名なバルジの戦い。ヒットラーの血迷ったとしか言いようがない、真冬の反抗作戦は連合国軍は予想をしていなかったため、虚を突かれ苦戦を強いられますが、ドイツ軍も補給が無く悪天候で思ったような進撃ができません。しかしパットンは積極的な対応で切り抜け、連合国軍の勝利の糸口を作ります。

そして、ドイツの敗戦。パットンの情報を収集していたドイツ士官は、資料を焼却処分しながら、「戦争が終わればあんたも終わりだ。偉大なる時代遅れだ」と、パットンの写真に向かっていうのです。あいかわらず政治的に利口に立ち回れないパットンは、引退同然の閑職に追いやられて映画は終わります。

実際には、パットンは1945年12月に不慮の交通事故により頚髄損傷を受傷し急逝しました。まさに戦争だけが生きている証のような人生だったと言えます。映画で綴られたエピソードは、ほぼ事実と言えますが、それでもパットンの人間性に焦点を据えた劇的なドラマに仕立て上げたのは、脚本を書いたフランシス・フォード・コッポラの力量が大きいと思います。

当然、まさに戦争屋としか言いようがないパットンの考え方は、今時共感できるものではありませんが、戦時下においては実際に戦闘に駆り出される兵士たちには頼もしい上司であったことは間違いない。少なくとも、口先だけうまいことをいうような人物ではなく、何事にも本音で相対したところが一人の人間として魅力的なのだと思います。

戦闘映画では無いので実際の戦争シーンはわずか。戦争映画としてみると、少しがっかりするかもしれませんが、第二次世界大戦を駆け抜けた一人の軍人のドラマとしては大変興味深く、3時間近い長尺ですが意外と退屈しない作品になっています。

2021年4月18日日曜日

ヨーロッパの解放 I & II (1970)

第二次世界大戦というと、太平洋戦争は別として、ヨーロッパ戦線についてはアメリカ対ドイツというイメージがあります。自分の場合は、これは明らかにアメリカのTVドラマ「コンバット」の影響。

ドイツを中心に見ると、全方位的に戦線を拡大していたので、アメリカとの戦いはそのごく一部にすぎません。特に、東部戦線と呼ばれた対ソビエト連邦との戦いは、開戦当初こそポーランドの分割で合意しお互い不可侵で落ち着いていたものの、1941年6月の突然のドイツのソビエト侵攻(バルバロッサ作戦)により敵対関係が明白となり、最も熾烈を極めた戦闘が繰り返されたと言えます。


西部・南部への侵攻はある意味単純に領土拡大、北部は資源確保がその目的にあったと思いますが、東部、つまりソビエトに対してはイデオロギーの違いによる「ゲルマン民族の生存のための戦い」と位置づけていたようです。結局、ヒットラー率いるナチスは、ユダヤ人と同じようにソビエトに対しても人種的優越感を持っていたことがありました。

北から南までほぼ全域にわたって拡大した戦線は、1941年末までにドイツが優勢にソビエトを押し込みますが、12月に首都モスクワ攻略に失敗し、翌1942年6月からの南側のスターリングラート攻略(ブラウ作戦)も冬の到来により頓挫しました。これらの結果、ソビエトには勇気を与え、モスクワの南約400kmのクルクスにソビエトの支配地域が西に突出した形で残されます。

兵員・兵器をかなり消耗したドイツは、1943年5月に北アフリカ戦線でも苦戦を強いられ、チュニジアで敗北を喫します。3月から始まったクルスク突出部への進撃は、戦闘力の回復が間に合わず緩慢な攻撃になり、その間にソビエトに体制を立て直す余裕を与えてしまいました。

この戦いが本格化するのは7月になってからで、地上戦においては戦車を中心にした戦法が採用され、大戦史上、最大規模の戦車戦が繰り広げられたことで知られます。両軍合わせて動員された戦車は8000台にも及び、その半分が戦闘で破壊されました。

しかし、7月10日に連合軍がイタリア半島のつま先、シチリア島に上陸し7月末までにイタリア軍をが敗北し独裁者ムッソリーニはいったん権力の座を失い軟禁されます。この知らせを受けてヒットラーはクルスクからの撤退を決めています。ここにドイツは東部戦線の優位性を失い、じりじりとソビエト軍の前進を許すことになりました。

この年の末までに、ソビエト軍はウクライナの要所ハリコフからドイツ軍を追い出し、ドニエプル川(現ロシアからベラルーシ、ウクライナに通じる大河)を超えることに成功しキエフを奪還しました。

イタリアも連合軍本土上陸直前の9月に降伏しています。ドイツ軍はローマから以北を占拠し抗戦し、少しずつ北に撤退するものの、連合軍がローマを手中にするのは翌1944年6月4日、ノルマンディ上陸のわずか2日前でした。

さて、「ヨーロッパの解放」という映画は、旧ソビエト連邦が制作した、クルスクの戦いに始まるソビエトの反抗の開始、そしてナチスの懐に攻め込み最終的にベルリンが陥落するまでを描く全5部からなる8時間近い超大作です。

60年代末に3年間かけて、ソビエトの威信にかけて軍が全面的に協力し、本物の戦車が大挙して登場する大迫力の映画なんですが、ただし注意をしなければならないのは、まさにソビエトが正義一辺倒の国策映画であるという点です。とはいえ、連合国軍として形の上では味方だったイギリス、アメリカのことは悪者にはしていません。

ほぼ史実に忠実に話が進行しますが、ソビエトにとって都合の悪いことはすべて省略。自分たちの同胞がいかに勇猛果敢に祖国を守り、悪のナチスを倒したかを延々と見せられるわけですが、そこを理解した上で見るなら、1943~1945年の東部戦線の動きが理解できます。

当時の本当の映像も混ぜて、記録映画のような作りで、映画としての展開の面白さはあまり無いといえます。ただ、自分のところのスターリン、敵のヒットラー、ムッソリーニ、味方のチャーチルなどは、そっくりさん俳優が登場し、なかなか興味深い。すでにスターリン批判が行われていた時代なので、スターリンは冷酷な人間としてあまり持ち上げていません。

戦場のシーンはカラーですが、ソビエト以外の人物の描写の部分は白黒。それぞれの国の言葉でしゃべっていますが、これにロシア語の同時通訳のようなナレーションがかぶさってくる、いわゆるボイス・オーバーという方法はソビエト映画の得意なところなんですが、正直言って聞き苦しい。

第1部はクルスクの戦いまでで、本物のソビエトの戦車がこれでもかというくらい大量に平原を突っ走るのは壮観です。ドイツの戦車は、ソビエトのものを改造しているらしいのですが、これも本物そっくりと評判です。後にも先にも、これだけ実写で戦争を再現する映画はおそらくこれだけと言えそうです。

第2部はドニエプル川を渡河してキエフを奪還するまで。ダム湖になって川幅が長大な渡河作戦は激烈を極め、ここでも当時の実録かと思わせるほど大規模な戦闘シーンが続きます。幽閉されたムッソリーニをヒットラーの特命によってドイツが救出したり(1943年9月12日)、テヘランでのスターリン、ローズベルト、チャーチルのテヘラン会談(1943年11月末)といったイベントも盛り込まれ、1944年の新年が明けるところで終わります。

ところどころにフィクションと思われる、ドラマ的な兵士たちの様々な葛藤が描かれるシーンが出てくるのですが、それが膨らんでいく感じはなく散文的なもの。展開も唐突な場面転換が多いので、(ソビエトに都合が良い)歴史的な時間推移を知る以外はなかなか難しい映画かもしれません。

2021年4月17日土曜日

戦後のこども

いわゆる「戦争を知らないこどもたち」である昭和のこどもである自分は、こども時にはまったものの一つにプラモデルがあります。

パーツを接着剤でくっつけて、完成品に付属のシールを貼ったり、時には「プラカラー」という塗料を塗ったりして完成させます。当時、悪ガキが有機溶媒を吸ってラりっているというのがありましたが、プラモデルに色を塗る作業は、なかば合法的な「シンナー遊び」みたいなもの。

それはさておき、プラモデルで作るものというと、戦争が終わって20年近くたったいましたが、日本やアメリカ、ドイツの戦闘機とか軍艦とか戦車が多かった。もちろんレーシングカーみたいなモダンなものもありましが、まだまだテレビのアニメとかは「鉄人」とか「アトム」くらいなものでプラモデルはほとんどなかったように思います。

そういえば、漫画も「青の6号」、「サブマリン707」、「紫電改のタカ」、「0戦はやと」といった戦争を題材にしたものがたくさん少年誌に連載していたものです。戦争の悲惨さよりも、戦争に登場する各兵器のカッコよさだけが生き残っていたような時代です。

日本の漫画の元祖といえば、田川水泡の「のらくろ」シリーズで、これもそのころ復刻されてうちにもありましたが、これで軍隊の階級とか覚える教科書みたいなものでした。まぁ、戦争関連が商売になる最後の時期だったのかもしれません。

こどものカルチャーは、昭和40年代にはいって「サイボーグ007」とか「巨人の星」、あるいは「あしたのジョー」などのヒットによって急速に戦争から離れていきます。

今になって考えると、確かに当時の日本の教育は、加害者側の「戦争の反省」という点については置き去りになっていた感があるかもしれない。地球上で唯一原爆を落とされた国、敗戦国として占領された国といった、被害者的な意識がどこかにあったことは否定できないところで、もしかしたらそれがいまだに世界の中、特に近隣国との関係で影響を残しているのかもしれません。

今の時代は、戦後75年たっても第二次世界大戦後の枠組みを大筋で維持しています。しかし東西冷戦後は、共産圏の再編成、宗教対立などの枠組みが変化しつつある中で、日本は戦争をどのように認識し消化してきたかが問われている部分がありそうです。

おそらく戦後教育で(少なくとも自分にとっては)十分とは言えない戦前・戦中の歴史上の事実を、しっかりと整理して認識することは現代社会の中で忘れられていた重要なポイントです。それを自分が興味のあるもの、小説でもマンガでも、あるいは映画などを通して知ることは意味があることだと思います。