2011年4月30日土曜日

Martha Argerich / Chopin & Schumann Concertos


現役の中で、最も優れたクラシックピアノ奏者は誰か?

完璧に譜面を弾きこなすことが絶対条件と考えるか、多少のミスよりも心を動かす情感に重点をおくか、はたまたヴィジュアル重視で選択するか。まぁ、いろいろな基準があるので、あまりこんな問いかけに真面目に考えない方が良いに決まっています。

しかし、アルゲリッチは少なくとも大方の人が最高峰の一人という認識を持っている数少ない現役ピアニストであることは、疑いの余地はありません。かつてはその聡明な美貌で、幾多の男性音楽家を虜にしてきたアルゲリッチも、今年の6月5日で70歳になろうとしています。

主として60年代から始まるキャリアは、ドイツ・グラモフォン、フィリップスそしてEMIというそうそうたるレーベルに集約されます。今年は、EMIが集大成のBOXをもうすぐ発売し、アルゲリッチの演奏を再確認しやすい環境が整いました。

アルゲリッチは日本との関わりも多く、毎年のように来日していますが、昨年は11月から12月にかけてちょうど生誕200年というショパンとシューマンの協奏曲のライブを行っています。

それが、わずか半年足らずで急遽CDとして発売されることになりました。これは、東日本大震災のチャリティとして、アルゲリッチをはじめ指揮者のアルミンク、新日本フィルなど演奏者全員が印税を放棄しています。震災で楽器や楽譜などを失った人々への支援として売り上げが使われるということです。

いろいろな立場の人が、それぞれのできることで日本を盛り立てようとしていることが、素直に嬉しい気がします。廉価盤ばかりを買っている身としては、一枚3000円という値段は今時ずいぶんと高い気がしますが、内容もさることながら、その発売の主旨を考えるとファンとして購入しなければと思います。

2011年4月29日金曜日

The Royal Wedding

今日は、現地時間の午前中から、イギリスの国をあげてのお祝い。

日本人としては、もちろんあまり関係ないと言えばそれまでですが、何かと明るい話題が少ない今日この頃ですから、便乗してもばちは当たらないでしょう。
それにしても、古い歴史を幾重にも重ねてきた英国らしい荘厳な雰囲気ですね。会場となったウエストミンスター寺院は、11世紀からあるゴチック様式の代表的な建築物とされています。我々凡人が、中まで入ってみることはないでしょう。

まぁ、何にしてもめでたいことです。世界に向かって、幸せを振りまいてもらいたいものです。

2011年4月28日木曜日

飛び石連休

・・・って言葉も今や死語。国民みんな仕事をしないで、遊んで金を使えという国策により、やたらと休みが増えてとまいましたからね。

昔だったら、今年のゴールデン・ウィークは、まさに飛び石。

4/28 4/29 (天皇誕生日) 4/30 5/1 (日曜日) 5/2
5/3 (憲法記念日) 5/4 (昔は平日) 5/5 (こどもの日) 5/6

昭和の時代なら、一日ごとに休みが入っていたはずですが、最近は簡単に休んでしまおうという人も少なくないようで、テレビなどでも平気で「明日から8連休」なんていう表現をしたりする。

少なくとも、医者なんて商売をしていると、おいそれと連休など楽しんでいることはほとんどないわけで、とりあえずうちのクリニックも毎年カレンダー通りなわけです。赤い日は休み、黒い日は通常通り。

クリニックのある医療ビル、自分たちでは「センター南医療ヴィレッジ」と称していますが、なんと3階の眼科と耳鼻科がぶち抜きで休むんです。これには、ちょっとびっくり。

特に5/2の月曜日は小児科も休みですから、この日は3階は完全休業。自分たちの4階の内科・泌尿器とうちの整形外科だけになってしまうわけです。

まぁ、日頃大忙しの3階の先生方なんで、こういう時にゆっくり骨休めをして、またがんばってもらえればと思います。

2011年4月27日水曜日

医師会班会 @ Al bolgo in センター南

アル・ボルゴはうちのクリニックのあるセンター南駅近くのイタリア料理の店。今夜は、医師会の班会で利用させていただきました。お店はそれなりに定評のあるので、今更こんなブログで紹介する必要は無いくらい有名店になってきました。

班会というのは、まわりで診療をしている先生方とFace to Faceの関係を作るのに大変有意義な会であるといえます。今夜はいろいろな先生と映画にまつわる話をずいぶんとさせていただきました。

内容の無い話題で申し訳ないのですが、いつになくワインを飲みすぎたので今日はここまで。事実関係の報告だけにしておきます。

2011年4月26日火曜日

だから映画だって

こいつ調子に乗ってる、と思われるかもしれない連日の映画の話。最初からヒッチコックが好きだったわけではありません。

映画館に足を運んだのは、当然親に連れられて渋谷界隈が最初。もちろん、こどもの時ですから、たぶん楽しんでいたのは東映マンガ祭りだと思います。とりあえず、記憶に残っているのは「わんぱく王子の大蛇退治」という1963年の作品。今でこそネットで検索できるのでタイトルがわかりましたが、雰囲気だけは覚えていましたがうろ覚えでしたね。

続いて覚えているのは、大映のガメラ・シリーズでしょうか。第一作は劇場では見ていないので、知っているのはギャオスとバイラス。テレビでは見れない、映画専属の怪獣は貴重でした。だって東宝専属のゴジラでさえ、えりまきをつけてウルトラマンに出演していましたしね。

まぁ、こどもらしいものばかりでしたが、何しろ映画館に行く最大の楽しみは・・・たぶん、ポップコーンだったと思います。まぁ、昭和のこどもですから、お菓子といえばチョコレートとキャラメル、スナック菓子といえばポテトチップとポップコーン。特にポップコーンは大好物だったんですよね。

映画館では、たっぷりのポップコーンをばりぼり食べながらというのが最高に楽しかったんです。飲み物はというと、うーん、やはりコカコーラでしょうかね。しかも、当然ビンですよ。懐かしいナイスバディの奴です。

こどもにとっては、映画の内容もさることながら、映画館に行くというイベントが楽しいわけで、結局実際に何を見たのかはあんまり覚えていなかったりします。

洋画は、テレビで必ず毎日洋画劇場があったので、むしろそっちから入ったというところでしょうか。特に淀川長冶の解説が聞ける日曜洋画劇場は、けっこう楽しみにしていました。年末年始の深夜もふだんなかなか見れない洋画をふんだんに放送してくれるので、助かりましたね。

つまり、ヒッチコックにしても、イーストウッドにしても、こういうテレビの洋画劇場の常連ということなんですね。ふだん、テレビには辛口の話を書いてしまうことが多いのですが、やっぱりテレビで育ったことは否定できませんかね。

2011年4月25日月曜日

されど映画なんです

もう、何度か好きな映画監督として、アルフレッド・ヒッチコックのことは書いてしまいました。いくら書いても書き尽くすことはないのですが、素人批評なんてものはいつも同じことばかりですから、あまり面白いわけもなく、読む人も「ああ、またか」と思うのが関の山。

じゃあ、好きな映画俳優でクリント・イーストウットのことは・・・これもまた、何度も取り上げていますから、まぁ同じですよね。たまには、違った映画の話でもと思うのですが、いかんせん、映画館にせっせと足を運ぶ真面目なファンではないので、どうもネタが思いつかない。

いっそ、日本に目を向けて・・・やっぱ黒澤でしょう。浪人生の頃に友達と池袋の名画座でオールナイトで見ました。いゃ、もう、映画の内容よりも、お尻が痛いこと痛いこと。そして、終わってから、まだ人もまばらなゴミが散乱した盛り場の朝の殺風景なことばかりが脳裏に残っています。

ちなみに、たぶんその時に見たのは、「どですかでん」と「天国と地獄」と「野良犬」、そして「生きる」の4本立てだったと思うのですが、とにかくいずれも名作というにふさわしいインパクトがありました。

また。別の機会にはルキノ・ヴィスコンティ監督のオール・ナイトもありました。これは、これは内容的にハードすぎて、とても眠い頭では理解不能なだけ。しかし、難しい内容の哲学的な雰囲気が、かっこつけたがりの年頃には妙に合っていたようで、ビデオが手に入るようになってから何度か見ているうちに、しだいにはまっていったものです。

1977年は特殊撮影を駆使したSF映画元年ということができるわけですが、これはひとえに「スター・ウォーズ」がきっかけでした。「スーパーマン」、「未知との遭遇」、「ブレード・ランナー」などのアクションやファンタジー、さらにホラーの「遊星からの物体X」など、この手の特撮にもずいぶんと入れ込んだものです。

まだ日本ではNECの最初の家庭用パソコンPC-8001が発売されるか否かの年ですから、これらの映画の特撮は基本的にアナログだったわけです。今になって古いスター・ウォーズなどを見ても、その撮影テクニックは色褪せていませんね。90年代の三部作のほうが、むしろいかにもCG的なあざとさが感じられ魅力を感じません。

さらにその一世代以前のSFというと、「ミクロの決死圏」や「2001年宇宙の旅」があげられます。いずれも現実には見ることの出来ない世界を映像化して、見るものの想像力を掻き立てるという意味で、いかにも映画的な作品。

もちろん、言うまでもなく「2001年」はまさにSF映画の、いやすべての映画の歴史の中でもベスト3に入るくらいの傑作であることは、異を唱える人は多くはないでしょう。この映画を見た後、あれは何だ、どういう意味があるのか、とにかく誰かと議論をしたくてしょうがなくなる。ある程度の解答が知られている現在でも解釈の仕方は様々で、本当の正解など無いのかも知れません。

一方、70年代以降のアメリカン・ニューシネマと呼ばれる人間ドラマにも秀作が多い。ここでは、必ずしも主人公はかっこよくないし、幸せな結末が用意されているとは限らない。本音で語られる物語は、人間の欲望を正直に描き出し、人間の美しさとともに醜さも正直に映像の中にあらわしていくのです。

しかし、90年代以降になってくると、エンターテイメントという名の元に映画の世界もバラエティ的な部分、とにかく楽しめればいいというような作品が増えてきました。特にアクションものは、どばーっとやって、ずがががっとうなって、だだだーんと終わればいいみたいなものばかり。内容を議論するような必要はまったくありません。

そんなわけで、最近でもなかには見るべき作品があるとは思いますが、もう新しいものにはほとんど期待することがないいい加減な映画ファンとしては、過去の名作を振り返るだけでも時間的に精一杯です。ゴールデン・ウィークには、お気に入りのヒッチコックをまとめて見かえす計画中でして、そのためのあらたな評論集をただいま仕込み中なのです。

2011年4月24日日曜日

たかが映画ですけど

根本的に映画とテレビドラマは箱が違う。最近は境界が不鮮明なものが増えていますが(いいのか悪いのかよくわかりません)、映画は一定の時間枠の中にすべての作品の起承転結が詰め込まれていて、完結した世界を持っています。

時間の制約故に、映像の中に製作者の意図するメッセージがあふれていて、たった一つのセリフの裏にはたくさんの言葉が隠れているのです。ですから、見る側は表に出ている部分以上に隠された部分までを読み取る力を求められており、そこに思索の楽しみがあるからこそ映画が芸術として成り立っている。

おおきな画面で見て迫力があったとか、はやりの3Dでびっくりしたとか、リアルなサラウンドの音響に感激したとか、こういうことはあくまでも商業的な修飾の方法論の一つであって、映画の本質とはかけ離れたものといわざるを得ません。

一方、大多数のテレビはスポンサーが存在して、基本的にCMを見せてスポンサーの利潤が上がることが目的であることは否定できません。テレビドラマは極論すれば、CMを見てもらうための道具に過ぎない。テレビの芸術性を議論するのは、テレビが映画に比べて下に見られれるある種のコンプレックスを解消するためなのかもしれません。

というわけで、なんやら小難しいことを書き出してしまいましたが、要するにたとえ2時間でもテレビの前にじっとして番組を見続けるなんてことは、年に数回あるかという生活をしてきたので、来週に続くみたいなテレビドラマをかかさずみるなんていうのはどうも性に合わないというだけのことなんですけどね。

去年は子役の加藤くんがさんざん道具として引っ張り出されていましたが、今年は女の子です。ドラマも何本も出でいますが、バラエティにまでやたらと使いまわされている。これは、まさにテレビ業界のタレントの消耗品扱いを絵に描いたような状況です。

テレビは、今旬なもの、つまりCMを見てもらうために視聴者が興味を持つものを最優先で番組に組み込んでいくわけで、そこには番組自体の内容の良し悪しは二の次という態度が明白じゃありませんか。

だからこそ、映画業界にも「続きは来年」みたいな作り方はやめてもらいたいものです。本当にいい映画なら、3時間でも4時間でも見ることはできるのです。2時間で話の途中で終わるものを「傑作」とか持ち上げているマスメディアはどうかしていると思いませんか。

好評だった映画が、続編を作るということは昔からあって、これは一つ一つが完結した世界でした。続くになったのは、さあて、どこからだったのでしょうか。

とりあえず、記憶に残るものでは、''STAR WARS(1977)''でしょうか。最初から大河ドラマ仕立てということでしたが、第一作はとりあえず話は一応完結していたました。第二作は3年後の''帝国の逆襲(1980)''で、最後に主役の一人がピンチのまま終了というのはかなり驚いた記憶があります。その結末が見れたのはさらに3年後の第三作''ジェダイの帰還(1983)''ですから、いやはや見る側もずいぶんと気が長かったものです。

それでも、この辺りは映画としての世界観が確立してるので、許せないわけではありません。最近の日本の映画は、もう目を覆うばかりです。映画産業がやや落ち目になったのをいいことに、完全にテレビ業界に乗っ取られてしまい、もう完全にテレビに隷属したかのようなものが目立ちます。わざわざ二つ、三つに分けてしまう正当な理由のある作品があるでしょうか。

2時間程度では短すぎて作れないから? だったら作らなければいい。映画化不能というものがあってもいい。つまり製作者が、その題材を映画として作る技量がないからというのが実際のところかもしれません。もちろん、商業的な理由が大きいことは当たり前ですが。

今日は、いつになく攻撃的な感想を書いてしまいました。勝手な言い草ですが、まぁ、それだけ、映画界・テレビ界にはがんばってもらいたいという気持ちの裏返しと思って許していただきたい。

2011年4月23日土曜日

春嵐

3月は大地震以後は、患者さんが激減するかと思っていたら、意外にそうでもありませんでした。他のクリニックも比較的同じような具合だと聞きましたが、どうも一種の「買いだめ」思考が働いたものと言われています。

それに比べて、4月は午前中は比較的患者さんは多めですが、午後はぱったり。特に夕方5時前後は、待合室はまったく閑散として、いやどうしたものかという感じです。地震以後、外出を控えている感がひしひしと伝わってきます。

今日は、朝から一日中春の嵐で、とんでもない天気ですからなおさら患者さんの数は少なくて、かなり気持ちはへこみました。

旅行業界は、さらにひどい閑古鳥状態でしょうから、そもそも病気や怪我でクリニックに来る人が少ないことを本来は喜ばないといけない・・・と、わかってはいても、うちもスタッフに給料を払い、家族を養っていかないといけないわけで、いやはやどうしたものでしょうか。

全日空に勤務する患者さんが「かなり厳しい状況」だと言っていましたが、今度のゴールデンウィークは、例年とは相当違う雰囲気なのでしょう。

自粛ばかりでは、いつまでたっても気持ちがネガティブのままですから、時間と経済的余裕があるところでは是非例年通り楽しい休暇を過ごしてもらいたいものです。

2011年4月22日金曜日

被災地医療

日本経済新聞社の日経××という雑誌類は山ほどありますが、どうやって収益を確保しているのかよくわからないのが日経メディカル。どこからともなく、特に購読を申し込んだわけでもなく送られてくる。

製薬会社の広告が山ほど詰まっていますから、スポンサー的にはただで配っても問題ないのでしょうが、考えてみると不思議な雑誌です。内容的には、今の日本が抱える様々な医療関係の問題を取り上げていて、悪いものではありません。

最新号は東日本大震災の緊急特集。思わずじっくりと見てしまったのは被災した病院の状況を図示したマップです。もともと病院は、そんなに山の中にあるわけはなく、茨城から福島、宮城、岩手までの主だった海外沿いの病院はほぼ壊滅的被害をうけたことがわかります。

これは、もう想像を絶するとしか言いようがない。横浜市でも、地震が起こったときにあーするこーするといろいろ医療の仕組みが考えられてはいますが、今回のような災害時にはおそらく何も機能しないのではないかと怖くなります。

被害がほとんどない首都圏より西では、いろいろな医療救援隊が組織されぞくぞくと被災地に向かいました。特にDMATと呼ばれる災害時派遣医療チームが中心となって、いろいろな活動をおこなったとのことです。

それ以外に、大きな医療法人が独自の医療チームを派遣しました。それぞれが×MATという名称で200チーム程度が活動したようです。ただ、被災地が広すぎて、また被災者も多すぎて現地の救援医療を統括できる組織がはっきりせず、それぞれがばらばらに活動するような状況と思われました。

あまりに大きすぎる災害においては、きちっとした組織だった活動はなかなか難しい。最初は、個別に動き出したグールプが、少しずつ連絡を取り合って集合体として連携するするようになるまでには、ある程度の時間が必要です。

今回のことを、しっかりと評価して、今後に生かしていくように出来るにはまだまだ時間がかかりそうですね。

2011年4月21日木曜日

超訳 ニーチェの言葉

いやはや、こんなん見つけてしまった。
まぁ、あまり哲学とか得意なわけもなく、ニーチェといえば「ツァラトゥストラはかく語りき」くらいしか知らないわけです。

しかも、精神世界の話はさらに不得意で、かっこつけとしてはわかるんですが、どうも人間が俗物的なもんですから、あまり興味はありません。

まぁ、たまたまこんなことが書いてあるというので、妙に納得してしまったのです。

「一日の終わりに反省しない」

普通は、一日が終わってからその日の問題があれば、反省して「明日は気をつけてがんばろう」と思うものです。ところがニーチェは、反省してはいけないと。

なんでやねん。ほんまでっか。

一日が終わったときは一番疲れている時。一番疲れているときに反省しても、ろくなことはなく「欝への落とし穴」だというのです。

というわけで、早速amazonで古本の安くなっているものを探して、ポチっとしてしまいました。連休明けごろには、少し思慮深い人間に変身しているかもしれませんよ。

2011年4月20日水曜日

辞書

辞書というと、だいたい英和・和英と国語辞典くらいがあれば、その他はあってもなくてもいいようなもの。

高校生くらいまでは、勉強する上で「必要」と言って間違いない。大学生になると、どうだったか。時には必要だつたかもしれないけど、必ず使うというほどではなかったかも、

医者になってからは・・・どうしても、英語の論文を読む機会が多かったので、かなり「必要」でした。

特に英語雑誌を呼んでいく抄読会というのがあって、当番になるともう大変です。興味があるものから無いものまで、あるいは基礎医学のやたらと難しいものとか、一度に10数編の内容を医局で紹介しなければならないので気が狂いそうでした。

まずは冒頭の抄録を呼んで、本編は考察だけなんとか理解してごまかしたりするのですが、とにかく辞書なしにはとても読めるものではありませんでした。

当時は、英和と和英が一緒になってコンパクトサイズの三省堂のデイリーコンサイスを愛用していて、ぼろぼろになったので2冊目を買ったものでした。

自分が医者になった頃から、パソコンというものが一般に使われるようになって、当然のようにパソコンで使える英語辞書というのはワープロ、表計算とならんで人気アプリケーションの上位の常連でした。

しかし、だんだんそういう真面目に勉強することが少なくなって、それとともに辞書を引くことも減ってきました。今使っているスマートフォンでも、辞書ソフトを入れていたりしますが
、実際使ったことは・・・無い。

今時は、本の辞書というのははやらない。電子辞書というミニチュアノートパソコンみたいなものが学生には人気。1万円くらいから、数万円で膨大な辞書がたくさん入っていて、そりゃもうすごいこと。

うちのこどもが使っているものなんて、100コンテンツとかで、もう一体何が入っているのかすら、使っている本人でもわかっていない。

医学辞典の入っているかなり高価なものもあるわけで、本で購入するより相当高額な感じがしますが、残念ながら自分としては、医学辞典ほど使わないものはないと思っています。

所詮、数行で用語を解説されても、ほとんど何の役にも立たないわけで、結局教科書でしっかりと勉強しないといけない。だいいち、日進月歩の世界ですから、数年前の解説文などはすでに古いことがしばしば。

つまり、専門にする人には辞書は不必要で、専門じゃない人に最低限の知識を与えることが最大のメリットということなんでしょう。ですから、やはり日本人にとって最も大切な辞書は英語辞書・・・多少古くても役に立ちますしね。

2011年4月19日火曜日

予知・予想・予測

物事が何でもうまくいく人、一見ついているという感じの人。

それは、偶然の話ではなく、実は、その人が未来をよく知っているということ。
予知能力というような、SF的な話ではありません。
きちんと先の予想ができるということです。

先の見通しが立つという言い方もあるかもしれませんが、
正しい予測の元に普段の行動ができれば、
自然と自分の周囲は良い方向に進んでいくものです。

あ~、そんな力はどうやって身に付くんでしょうかね。
星飛雄馬の大リーグボール1号がまさにこれ。
ちゃぶ台をひっくり返しながらの、相当な努力をしないと手に入らない力ですか。

まだまだ、人間ができていないな、と思う今日この頃でした。

2011年4月18日月曜日

品不足

震災直後には、コンビニの店頭から灯りに関連した電池、食料特にカップ麺が一斉に消えてしまいました。そして、ペットボトルの水も売り切れ。

昔だったら、まずろうそくというところでしょうが、今時コンビニでもあまり見かけません。仏壇以外にはほとんど使われていません。カップ麺は、お湯がでないとかじるしかないので、あまり緊急時には便利とはいえないかもしれません。

水は最初はミネラルウォータ、つづいてジュース類が消えました。何にしても一番大事なものと言えるかもしれませんから、消えたのは当然と言えば当然。コーラなんてのは、水がないのでしょうがなく買った人が多かったのではないかと思います。

さすがに、最近は一時的に消えたほとんどのものが店頭に戻ってきています。でも、いくつかはいまだに品不足。

水はだいぶ外国ものを中心に出回ってきましたが、いまだに品薄状態。それより、驚くのはコーラなどの清涼飲料水が大変少ない。水足りなくなったとか、ペットボトルのふたが震災で作れないとか、いろいろ理由は言われていますが、たぶん複合的なわけがあるんでしょう。

なんで品薄なのかよくわからないのがビール。まさか水のかわりにアルコールというわけではないでしょうが、とにかく非常に少なくなっていて、なかなか気に入った銘柄を手に入れることが難しい状態が続いています。

意外だったのがタバコ。どこのコンビニでも、レジの後ろに大量のタバコが陳列してありますが、そのほとんどが空。とくに日本オリジナルブランドが圧倒的な品薄のようで、外国ブランドばかりが目立っています。

結局、東北地方で作っているもの、つまり産地や工場が被災したことがいろいろと影響を出しているわけで、これからはいろいろなものが足りないことに気がついて、知らず知らずに東北地方に依存して生活していたことを思い知らされ続けるのでしょうね。

2011年4月17日日曜日

井上ひさし / 吉里吉里人

もうずいぶん昔でしたが、たしか高校生だったか、浪人していた頃かに昨年亡くなった井上ひさしの「吉里吉里人」という分厚い小説を読みました。

背の厚さが4cmくらいはあろうかという単行本だったので、1000ページ近くあったかもしれません。特に井上ひさしのファンというわけでもなく、他に本を読んだわけでもないのに、なんででしょうかね。

実際、小説の中身もよく覚えていないのです。とにかく東北の小さな村・・・吉里吉里村が日本からの独立宣言をして吉里吉里国となるという話。荒唐無稽な、ある意味SF的な発想が、面白いと思ったからかもしれません。

しかし、今回の東日本大震災で、すっかり忘れていたこの本を思い出しました。報道で岩手県に吉里吉里というところが出てきましたが、直接の小説の舞台ではありません。架空の世界、吉里吉里国は完全時給自足で、食物はもちろんエネルギーも外国(つまり日本ですが)に頼ることがない。

今の東京とはまったく正反対です。日本の首都と言って威張っていても、食料はほとんど外から入ってくるし、水も他県に流れているものを使っている。電気は・・・まさに地方に大いなるリスクを背負わせて、のうのうとIT社会とか言って使いたい放題でした。

ある意味、吉里吉里国は理想の世界なのかもしれませんが、もちろん机上の空論であって、やはりファンタジーです。現実には、せまい日本の中では、それぞれの地域がその特性を生かして共存していくしかありません。

この本の中で、とにかく大変面白かったと覚えいるのは、実は中程に100ページくらい使って大まじめに書き込まれている「吉里吉里国語」の文法解説です。要するに「ずーずー弁」の話し方の教科書。

大学に入ってから、ずーずー弁があまりうまかった(?)ので、東北出身の同級生に仲間と思われたことがありました。これはひとえに吉里吉里国語を勉強した賜でした。

今一度、この便利な生活というものを考えてみる材料として、「吉里吉里人」は格好の材料になるのではないでしょうか。