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2009年10月2日金曜日

東京オリンピック

自分の人生の中で「東京オリンピック」と言えるのは、もちろん1964年、昭和39年の東京オリンピックです。当時はまだこどもですから、当然記憶に残っていることは多くはありません。

昭和39年といえば、まさに日本の高度成長期のピークだったんでしょう。オリンピック直前には、東海道新幹線が開業。東京から大阪までひかり号で3時間10分という、まさに超高速で駆け抜ける「夢の超特急」でした。

東名高速道路も、オリンピック直前に全線が開通したわけです。確か、ちょっと前に幼稚園の遠足で通ったときにすぐに終わってしまったように思います。それに上下線の間が空いていて、したが見えたような覚えがあります。

それまで一回の乗降客が数えることができるほどだった山手線の原宿駅は、国立競技場と代々木体育館という二つのメイン会場の入り口として一躍有名になりました。

しかし、逆に青山通りを渋谷から青山一丁目に走っていた路面電車、つまり都電はオリンピックの直前に財政難から廃止になりました。

当時、紀伊国屋まの近く青山通りから入って数軒目に住んでいたので、小さいながらもこれらの変貌を直接肌で実感化することができたのです。

いざオリンピックが始まると、カラーテレビが話題になりました。うちには白黒しかなかったので、隣の家で見た覚えがあります。

重量挙げの三宅。体操の遠藤。バレーボールの東洋の魔女。女子体操ではチャスラフスカ。柔道のヘーシンク。そして男子マラソンのアベベと円谷。

こども心にも、数々の名場面が思い浮かぶのです。最近のような商業オリンピックとは違い、純粋に国の威信を賭けて戦う素晴らしい大会であったのであろうと思います。

そして、2016年のオリンピック招致をめぐって東京が名乗りを上げて、いよいよあと数時間で結果が発表されようとしています。

冬期は札幌と長野がありましたが、夏期はすでに東京オリンピックから半世紀が経過しているのです。いろいろ言われてきましたが、もう一度、選手はもちろん自分のような見るだけの人にとってもいろいろな夢をかなえる場として実現してもらいたいと素直に思います。