落語のすごいところ、人を魅了する最大の理由は、一つの噺の中にそれぞれの人生をつめこんで、それを一人の演者が会話だけで描き分けていくところにある。
・・・と思っているんですけど、そう思いませんか。さらに演者はほとんど扇子と手拭い以外には小道具らしい小道具も使わず、仕草を演じ分けていくわけです。そんじょそこらの俳優さんには、とてもできる芸当ではありません。
今日はひさしぶりに、いくつかの落語をじっくりと聞き直して、そんなことをあらためて考えていました。
今でこそ「古典落語」と呼ばれる演題も、最初は新作だったわけで、特に人情噺というと江戸時代の噺のように思われがちですが、実際は明治時代の三遊亭圓朝によって作られたものが多い。
ところが、少なくとも戦後に作られた新作で残っているものはほとんどない。ほとんど掛け捨てになってしまったようです。実際、中身がなくその場の笑いを取るだけの噺では、二度三度聴く気にならない。
落語が「古典」になってしまったのは、そういう後世に残って演じ続けられるような噺がなくなったのも大きな要因にありそうです。
そうなると、研ぎ澄まされた芸よりも、時代にあったギャグに磨きをかけるだけで、今のテレビに出てくるような落語家と呼ばれる人は、普通のお笑い芸人との差は見いだしにくい。
しかし、古典落語をやろうにも場所がないし、さらに時代のずれによって内容が説明抜きでは伝わらなくなって、今のメディアからすれば扱いにくい文化になってしまったようです。
まさに江戸落語の正統的な継承をしていた古今亭志ん朝が平成13年に亡くなって、もはや真の落語は途絶したといっても過言ではありません。
先日の圓樂の死去によって、最後の砦、三遊亭も風前の灯火といえます。春風亭小朝は古典落語の継承者として期待されていましたが、どこかで何か勘違いしたのか、もはや落語家としての魅力は消えてしまいました。
時代の流れの中で、人々の生活様式や考え方は変化していくことは必然ですから、しょうがないと言えばそれまでですが、熊さん、八つぁん、与太郎、ご隠居、若旦那、棟梁といったおなじみのキャラクターが生き生きとしていた時代というのも悪くはなかったと思います。
失ってもいいものと、失っては困るものがあるわけで、日本人がどこかに忘れてきてしまった何かの一つなのかもしれません。