2015年4月3日金曜日

マタイ受難曲 Part 3 聖金曜日

今日は、聖金曜日です。受難週の最大のハイライト、イエスが十字架に架けられて亡くなった日とされています。

この日のために、多くの作曲が作った音楽が受難曲と呼ばれるもの。バッハも、当然ライブツィヒの「教会音楽監督」であるからには、受難曲にも当然力を入れました。

その中でも、マタイ受難曲は聖書の文言に自由詩を加えて、より感情的な盛り上がりを見せる構成とした、オラトリオ受難曲と呼ばれる形式です。

当然、物語としてのストーリーがあり、主人公のイエス、弟子たち、祭司長、ローマ総督ピラトなどの登場人物の音楽に乗せたセリフなどが満載です。つまり、オペラに近いものであると言えるわけですが、教会内での演奏ではあまり派手なことは許されません。

例えば近年の映画にもなったロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、受難週の1週間を描いたもので、通常のセリフは一つも無く、すべて音楽だけで進行する手法は、まさに自由詩のみによる現代風「受難オラトリオ」と言えます。

バッハは当時としてはかなりセンセーショナルな冒頭合唱から、最後の場面まで3時間近い長丁場を、劇的な構成で乗り切りました。ライプツィヒ市民は、現代の我々が「ジーザス・クライスト・スーパースター」に初めて接したときのような驚きをおぼえたのかもしれません。

合唱と楽団をそれぞれ2つ用意して、おそらく教会の正面と、列席者の後方に配置して、立体的な掛け合いを行ったりしたらしい。SACDの利点をいかしてそのような収録方法を取り入れたものもありますが、通常の演奏会やCDでは、それぞれのメンバーが左右に分かれて整列し、淡々と演奏する場合がほとんど。

しかし、マタイ受難曲を理解するためには、歌詞の理解は必須です。キリスト教徒であれば、常識として知っていることがらはたくさんあって、キリスト教徒ではない自分のような者にとっては、日本語字幕もついたヴィジュアル的な鑑賞は大変有意義です。

マタイ受難曲のビデオとしては、カール・リヒターのものが有名で、これはライブの収録ではなくビデオのためにわざわざ演奏しているものです。とは言っても、コンサート形式での演奏ですから、全員が整列し淡々と画面は進むだけ。

日本語字幕の入った邦盤がありますが、かなりプレミアがついています。お手頃価格の輸入盤は、たくさんの言語の字幕があるのに日本語は無し。残念です。

歌っている歌詞の内容がリアルタイムにわからないと、物語の理解にはなかなか到達できない。その点、安い輸入盤でも日本語字幕を含むトン・コープマンのDVDはお買い得。教会での演奏ですから、もちろん演奏は厳粛に整列して行われています。

そこで、お勧めなのがサイモン・ラトル。言わずと知れたベルリン・フィルの現在の常任指揮者で、現代クラシック界のドン。ベルリン・フィルはもちろん、モダン楽器の楽団ですが、マタイ受難曲では人数を絞って古楽器奏法を取り入れ、重くなりすぎない軽快な演奏じだいもなかなか良い。

ビデオとして、大変助かる事に日本語字幕がついていますし、その文章も比較的現代文に近い表記をしているのでわかりやすい。

最大の特徴は、歌い手が演技をするところです。独唱者も、合唱団員も、ステージの中を動き回り、同じステージにいる楽器奏者の存在は無いかのような動きを見せます。もちろん、完全なオペラほどはっきりとした演技をするわけではありませんが、歌手の動きと日本語字幕とが相まってたいへんわかりやすい。

基本的には、ステージに向かって左客席に少年合唱団、その近くの客席にイエス、ステージ左奥に第1合唱隊、その手前に第1オーケストラとサイモン・ラトル、中央奥に第2合唱隊、右に第2オーケストラ。手前にはエヴァンゲリストいて、イエスの物語を語ると同時にイエスとしての演技をします。

 3時間を越える長いステージですが、大変興味深く一気に見る事ができますし、今までなんとなくこんなことを歌っているのだろうという、霧がかかったみたいな状態が一気に晴れてくれる感じがしました。これが、スタンダードとは言えないところは多々ありますが、最初に見ておけば、マタイ受難曲という巨大な難曲を鑑賞する上で、大きな助けになることは間違いありません。