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2017年2月25日土曜日

荒野のストレンジャー (1973)

1973年、アメリカ映画。クリント・イーストウッド 監督・主演の西部劇。

イーストウッドは、1964年にイタリア西部劇「荒野の用心棒」でブレークし、1968年「奴らを高く吊るせ」でハリウッドへ凱旋。その後、西部劇だけではなく、戦争もの、ミュージカル(!?)、犯罪もの、スリラー、コメディとさまざまなタイプの映画に立て続けに出演します。

1971年は自身の代表作となる刑事もの「ダーティ・ハリー」シリーズの第1作と、そして長年の夢であった監督をすることを実現した「恐怖のメロディ」によって、イーストウッドのハリウッドでの評価は確固たるものになりました。

「荒野のストレンジャー」は2作目の監督作品で、典型的な勧善懲悪の「水戸黄門」的な西部劇とは一線を画する内容で、興業的にはヒットし、評価も低くはありません。

出演オファーされたジョン・ウェインが、「民衆がアメリカ開拓者の精神を持っていない」と批判したことは有名ですが、今ではこの映画に描かれる「アメリカ」も真実の側面であり、イタリアで成功し外から客観的にアメリカを見れる、イーストウッドの冷静な感覚の勝利と言えるのかもしれません。

かげろうが揺らめく荒野に、一人の馬にのったガンマンが浮かび出てきます。ガンマンは湖のほとりの町に入ると、いきなりいちゃもんをつけてきたチンピラを撃ち殺します。それを見た町の人々は、咎めるどころかガンマンに用心棒を依頼。

この町は鉱山で成り立っていたのですが、その鉱山が実は国有地で採掘は違法行為でした。それに気がついた前任の保安官を、町ぐるみでならず者を雇って殺させ、またそのならず者を騙して刑務所に送った過去がありました。

刑期を終え出所するならず者が復讐のために戻ってくることがわかり、ガンマンになんでも好きにしてよいと話をもちかけたのです。ガンマンの好き勝手に、町はがまんする側と怒りをつのらせる側に二分され、ついに反対派はガンマンを排除を実行しますが返り討ちにあいます。

いよいよならず者がやって来る時には、ガンマンは町から出ていき、無抵抗に近い町は簡単にならず者に制圧されますが、戻って来たガンマンとの対決で倒されます。ならず者は倒れながら「お前は誰なんだ」と叫びます。

翌日、前保安官の墓に、それまで書かれていなかった墓標を入れた町民はガンマンに「あんたの名前は何だっけ」と質問しますが、ガンマンは「知っているはずだ」と答えて、かげろうの荒野の中に溶け込むように消えていくのです。

原題は"High Plains Drifter"で、直訳すると「高原の漂流者」となるんでしょうか。ガンマンの名前は無く、「荒野の用心棒」での「名無し」がふらっと町に入ってくるところとオーバーラップします。

映画の中で、墓標の無い死人は亡霊になるということが言われているので、このガンマンは前保安官の亡霊であることは間違いないでしょう。ならず者たちの復讐の形を利用していますが、実際は町から裏切られ殺された前保安官の町への復讐だったのです。

つまり、登場する人物が全員悪人であるわけで、そこが「開拓者の精神が無い」と批判されるところのなのかもしれません。ですが、利益が正義というのは究極の資本主義の形であり、まさしくアメリカ的なところではないでしょうか。

ガンマンが浮き出るように登場し、そして消えていくのは、後年、「ペイ・ライダー」にも受け継がれていきます。 イーストウッド流西部劇として、忘れることができない一本と思います。