第1作がヒットして、続編が作られるというのは定石になっているようですが、本作は第1作の原作とはまったく関係が無く、寄せられた意見を取り入れてスタローン自身が脚本を書いています。また、ジェームス・キャメロンが、共同脚本として参加しプロットに奥行きを追加しました。監督は「カサンドラ・クロス」のジョージ・P・コスマトスです。音楽は、前作に引き続きジェリー・ゴールドスミスが担当しました。
(前作の件で)服役中の優秀な特殊部隊隊員であったベトナム帰還兵、ジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)のもとを元上官であるトラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)が訪ねてきます。ベトナム戦争が終結して10年以上、今も現地に捕虜として捕らえられているアメリカ兵が存在するらしい。大佐はランボーに、彼らを確認し証拠となる写真を撮ってくるという極秘任務を特赦と引き換えに依頼するのでした。
タイのアメリカ軍基地で、CIAのマードック司令官(チャールズ・ネイピア)から今回の作戦を説明されたランボーは、早速準備をして飛行機に乗り込みます。ランボーの回収は24時間後という約束でした。予定地点で飛行機から飛び降りたランボーでしたが、ロープが機体に絡まるトラブルが発生します。自らロープを切ったランボーは、機材の多くを失いながらもパラシュートで降下しました。
時間に遅れたものの、現地の協力者である女性情報員のコー・パオ(ジュリア・ニクソン)と接触し、何とか収容所にたどり着きます。捕虜の存在を確認したランボーでしたが、檻の外に縛り上げられたアメリカ兵を発見して救出するのでした。敵との接触・交戦は禁止されていたランボーでしたが、助けたアメリカ兵を連れ、敵に追われながらも回収地点にたどり着きます。
しかし、ランボーが捕虜を一人連れていると連絡を受けたマードックは、作戦を中止し救出用ヘリコプターはランボーを残して帰還するように命令するのでした。大佐が強く抗議しても、マードックは頑として受け入れません。マードックは、形式的にアメリカが捕虜捜索をしていること示すだけの作戦と割り切っていたのです。敵に取り囲まれたランボーはベトナム兵に捕まり、彼らを支援するソビエト連邦軍将校の拷問を受けるのです。
コーの助けで収容所を脱出したランボーでしたが、コーが銃撃され亡くなるとついに敵の兵士や自分を見捨てたマードックに対する怒りが爆発し、ソビエトのヘリコプターを奪取し収容所に引き返すのでした。
ベトナム戦争では、アメリカ兵は6万人近い戦死者・行方不明者を出していますが、アメリカ唯一の「敗戦」という現実は、アメリカ全体に大きな影を落とします。ケネディ・ジョンソン・ニクソンという大統領たちが遠いベトナムの地で戦争を行ったことに対する批判は、しだいに70年代末には映画の世界でもはっきりしてきました。
帰還兵の現実を描いた「帰郷」、悲惨な戦地の現実を描いた「ディア・ハンター」を皮切りに、「地獄の黙示録」、「プラトーン」、「フルメタル・ジャケット」などが相次いで公開され、明確にベトナム戦争を「アメリカの狂気」と位置付けていきます。その一方で、行方不明となっている兵士の中には、いまだに捕らえられたままの者をいるはずだという考えも根強く残っていました。
80年代に入ると相次いで「地獄の七人」、「地獄のヒーロー」、そして本作が立て続けに制作されます。これらはいずれも、いまだに捕虜となっているアメリカ兵を救出するというプロットが土台となっていて、当時のレーガン大統領の強いアメリカに立ち返る姿勢と相まって、アメリカ国民にとってどん底に落ちた国の威信を大いに盛り立てることに関与しました。
そういう意味では、この「ランボー・シリーズ」の第2作は、ベトナム戦争の現実を暴く作品として、少なくともコンセプトは作り手にとっても見る側にとっても受け入れやすいものだったのかもしれません。ただし、内容的には前作に引き続き、有りえないくらいの不死身のランボーが大活躍するアクション映画として成立していて、興行的成功を狙ったエンターテイメント要素が見所であることは間違いありません。
90年代には、アメリカとベトナムの国交が復活し、アメリカよりも多くの犠牲を払ったベトナムが行方不明のアメリカ兵の捜索にも力を入れており、現実には長期間抑留されたアメリカ兵はおそらく存在していないことが明らかになっています。
となると、基本コンセプトの誤りが明確化した今の時代からすれば、本作は単なる「戦争アクション映画」ですが、スタローンの人気と強靭な肉体、そこから生み出された本格的アクションにこそ見所があるものとして一定の存在感を残した作品と言えるのかもしれません。
