2021年4月14日水曜日

おもちゃの国 (2007)

日本がミッドウェイ海戦で大敗(1942年6月)し、ドイツがスターリングラードで降伏(1943年1月)した後は、各地で戦闘が継続していましたが、映画化された大規模なものはしばらく鳴りを潜めます。

しかし、衝撃的な事件が発覚しました。一般に「カティンの森事件」と呼ばれる、ソビエトによる、捕虜となったポーランド将校に対する大量虐殺です。

1939年9月の開戦時に、ポーランドに侵攻したソビエトによって捕虜となったポーランド兵は、将校は約1万人、一般兵士は18万人と言われています。その後。ドイツがソビエトに侵攻したため、ポーランドとソビエトは捕虜開放で合意します。しかし、行方不明のポーランド兵士20数万人のうち、解放され確認が取れたのはその1/10程度でした。ポーランドは何度もソビエトに問い合わせをしましたが、スターリンは「彼らは開放された」の一点張りだったのです。

1943年2月、ソビエト内のカティンの町に近い森の中で、侵攻したドイツ軍によって捕虜だったポーランド兵の厖大な遺体が発見されました。赤十字が中心になって行われた調査では、遺体の死亡時期は1940年春で、様々な状況証拠からソビエトに責任があると推定され、ドイツはソビエトを、対するソビエトはドイツをお互いに虐殺の張本人として非難し続けます。

しかし、事件から半世紀近くたったゴルバチョフ政権下の1990年に、スターリンが殺害を指示したことを示す文書が見つかり公開されたことで、自ら公式にソビエトの独裁体制による犯罪と認めるに至りました。結局、殺害されたポーランド兵は2万~2万5千人ということがわかっています。

おそらく、ポーランド民族主義の中核となりうる将校たちが将来的に邪魔な存在であったことが、この事件の原因の引き金だったと考えられていますが、真相についてはいまだに謎が残る事件になっています。

ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ監督は、自身も父親がカティンで謀殺されており、2007年に「カティンの森」でこの事件を取り上げました。

戦争の中で攻撃してくる敵を殺すことは犯罪には当たらないことになっていますが、武器を放棄し戦う意思を示さない相手、ましてや民間人を殺傷することは厳しい批判の対象になります。日本も含めて、このような事案は多数発生していて、戦争が人間性をいかに狂わしていくか怖さしか感じられません。

特にナチス・ドイツがおこなったユダヤ人絶滅を目的とした大量殺戮はホロコースト(ドイツ語、丸焼きの供物という意味)と呼ばれ、ドイツ国内はもとより占領地のユダヤ人を強制収容所に集め、特にアウシュビッツに代表される絶滅収容所では信じられないくらい多くの人々が虐殺されました。亡くなった方は600万人とも、それ以上ともいわれています。

この極端な民族主義によってあまりに多くの悲劇を生み出したことは、人類史上けっして忘れてはいけない、そして絶対に繰り返してはいけないことであることは疑いの余地がありません。日本でも、遠藤周作が著した「海と毒薬」のモチーフになった九州大学生体解剖事件(1945年)があり、アメリカ兵捕虜を生きたまま解剖するというおぞましい事件があることを忘れてはなりません。

今回紹介するのは、実はDVDなどのメディア販売はありません。しかも、たったの13分間というドイツの短編映画です。そして、戦闘シーンがあるわけではないし、人が死ぬところが出てくるわけでもありません。しかし、この13分間の中に凝縮されたホロコーストに対する痛烈な思いは2時間の映画に負けない、むしろ短いだけに濃密なインパクトを与えてくれるものです。

監督・脚本はヨヘン・アレクサンダー・フライダンクで、この映画はデヴュー作ですが、アカデミー短編実写映画賞を受賞し、その他のいろいろな映画祭でも高く評価されました。

幸い、YouTubeで英語字幕付きで見ることができますので、是非ご覧になることをおすすめいたします。おかしな日本語ですが、自動翻訳も利用できます。ただし、物語はいくつかの違う時間の流れのシークエンスが、複雑に交差するような作りになっていることと、ベースになるユダヤに対する事象についての説明は特にありませんので、十分に予備知識を整理しておくことが求められます。

町からはユダヤ系住民が、どんどん収容所に送られている時期、つまり1942年頃の話です。小さな二組の手がピアノの連弾をしているところから映画は始まります。とても仲の良い二人のこども、ハインリッヒとダビッドでしたが、ハインリッヒはドイツ系、ダビッドはユダヤ系なのです。

ハインリッヒは母親に、ダビッドの母親が悲しそうにしている理由を尋ねます。母親は正直に答えることができず、一家は「おもちゃの国」に行くことになったと説明します。ハインリッヒは「おもちゃの国」という言葉に魅力を感じ、ダビッドとも離れたくないので自分も行きたいと言い出します。

ある朝、ついにダビッドの一家は親衛隊らによってトラックに乗せられ駅に向かいます。後を追うハインリッヒは、トラックには乗ることができませんでした。しかし、母親はベッドにハインリッヒがいないことに気がつき、一緒に行ってしまったと思い駅に走ります。

親衛隊に頼んでまだ出発していなかった車両のドアを開けてもらうと、ダビッドの一家がいました。振り向いた子供の顔は・・・ダビッドでした。しかし、母親はあらためて「ハインリッヒ、こっちに来なさい」と呼びかけます。ダビッドの両親もそっとこどもを押し出すのでした。最後は年老いた二組の手が連弾をしているところで終わります。

平和な日常が、ユダヤ人だからというだけで理不尽に壊される現実。こどもに真実を伝えられず、思わず嘘をつく母親。その嘘を真に受けてしまう純粋なこども心。ユダヤ人かどうかで大きく変わる親衛隊の態度。自分たちの運命を予見しているユダヤの人々。そして、自分の子ではないとわかっていても、こどもだけでも救い出したいと思う気持ち。この子だけでも助かってほしいととっさに願う両親。

おそらく父親は出征しているのか、すでに亡くなっているのかはわかりませんが、母親だけで二人のこどもを育て上げたことは間違いなく、それは相当過酷なことだったに違いない。そこには自分たちの同胞がユダヤ人に行った多くの残虐な行為に対する贖罪の気持ちがあったかもしれません。


2021年4月13日火曜日

スターリングラード (1993)

1941年12月にモスクワ攻略に失敗したドイツ軍でしたが、翌年6月、ドイツは今度はソビエト連邦の工業都市スターリングラード(現ヴォルゴグラード)に進軍しました。これは、周囲の豊富な資源に目を付け、ソビエトの補給路を断つ目的がありました。

ドイツは、第6軍を中心に40万人近い兵士を送り込み、当初は優勢に戦っていましたが、ソビエトの挙国一致体制による徹底的な抵抗により一進一退のまま膠着状態に陥ります。


広大な国土を持つソビエトは、いくらでも後退が可能であり、ドイツ軍はすでに補給路が脆弱なっていて極端な前進もできない。そして厳寒の冬が来れば、ソビエトに圧倒的な地の利があることは明白でした。

11月にソビエトは大規模な反抗を展開し周囲からスターリングラードを包囲することに成功し、ドイツ軍は町の中に孤立した状態になります。第6軍のバウルス司令官は撤退の許可を求めましたが、ヒットラーは却下。パウルスを元帥にまで昇格し奮起を求めますが、1943年1月31日についにパウルスを含めに生き残っていた10万人ほどが降伏しました。最終的には双方ともに100万人程度の死者がでる悲惨な結果となり、ヨーロッパ戦線のターニング・ポイントの一つと言われています。

この映画は「Uボート」を制作したドイツのスタッフが再集結して作ったもの。映画としての知名度は落ちますが、戦争映画の隠れた名作として知る人ぞ知る作品です。

冒頭から、勲章をもらうというのに軍服の襟を開いたまま直そうとせず授与取り消しになるドイツ兵士がいたり、ロシア兵捕虜に対する暴力的な扱いに抗議するなど、今までアメリカ映画中心に描かれてきたドイツ兵のイメージとはかなり違うことに驚きます。

北アフリカ戦線で成果を上げたドイツ軍第6部隊の戦闘工兵らは、イタリアでつかの間の休暇を楽しんでいました。そこに新任の若く前線未経験のヴィッラント少尉が赴任し、彼らを引き連れスタリーングラードに向かいます。そこでは、激烈な市街地での近接戦が繰り広げられていました。恐怖に動けない者、敵を倒して失禁する者など、ドイツ兵も一人の人間として描かれています。

ヴィッラントの小隊は、次第に仲間を失い残り数名で地下水道から脱出しますが、その途中で仕掛けられていた爆弾で一人が瀕死の重傷を負います。彼を連れて何とか大隊の仮設病院にたどり着きますが、治療を早くしろと騒ぎ逮捕されてしまうのです。

そして長期化した戦闘は12月、ロシアの厳しい冬将軍が到来します。スターリングラードで包囲されつつあるドイツ軍は、ヴィッラントら囚人兵も突破口の要員として刈りだします。すでに軍としての統制力は無くなっており、マイナス50度という想像を絶する寒さの中で軍隊は崩壊し、誰もが人間性すら失っていくのでした。

結局、この映画では主だった登場人物は、戦闘で死ぬのはいい方で、凍死、餓死、自殺など兵士としての自尊心などを保つことができないような極限状態に全員が生を全うできません。救いがない結末しかそこにはありませんので、ダイレクトにナチス・ドイツ上層部に対する強烈な批判が見て取れます。ただ、その反面ドイツ軍最大の悲劇ともいわれるこの戦いに参加した兵士たちを英雄視はしていないものの、望まない悲劇の主人公にしてしまっている部分は否定できません。

日本も同様ですが、敗戦国側としては当然、戦争を美化するような描き方はできません。運命に翻弄され抗うことができなかった人々という視点は、映画の中に入ってくるのはやむをえないのかもしれません。

双方のスナイパーが対決する「スターリングラード(2001)」はアメリカ・イギリスなどの制作した映画で、どちらかというと戦争アクション物。ロシアが作った「スターリングラード  史上最大の市街戦(2013)」は、東日本大震災に救助隊として参加したロシア人がドイツ人を救助したことから、過去を回想するという不思議な展開の映画です。

2021年4月12日月曜日

トラ! トラ! トラ! (1970)

ヨーロッパで1940年までに占領地域を順調に拡大したドイツは、短期間に戦力を一地域に集中させけ電撃的な攻撃が成功していましたが、拡大路線はそれぞれの戦闘地域がしだいに分散する結果となり、少しずつほころびが出始めていました。


1941年の次の大きな動きは、6月のドイツ軍のバルバロッサ作戦と呼ばれるソビエト侵攻です。これにはフィンランドも、冬戦争で奪われた領地回復のためドイツ側で参戦(継続戦争)しています。フィンランドの戦いは「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場(2017)」で映画化されています。バルバロッサ作戦についての映画は多くはありません。

9月にはレニングラードを包囲しますが、これは2年を超える長期にわたり市民は想像を絶する忍耐を強いられます。さらにモスクワに迫るも冬の到来とともに補給路を断たれ苦戦し、12月を前にしてドイツ軍は初めて敗北を喫することになります。ナチスは秘密警察ゲシュタポや親衛隊による統制を強化し、さらにヒットラー独裁による恐怖政治を押し進めるのです。

この年、日本軍は東南アジア方面への侵攻を開始します。12月7日にマレー半島のイギリス軍に攻撃をしたことで、実質的な太平洋戦争が開始されたとされています。さらにその数時間後に、ハワイ・オアフ島のアメリカ海軍基地を強襲し、ついに何とか中立を保っていたアメリカを戦争にひきづり込みました。

日本にとって、この真珠湾攻撃はある意味、実質的に敗戦国となる命運を決定づけたのかもしれません。戦線の拡大は、兵員の分散と補給路の不確実性を増大させることにつながり、冷静に考えれば連合国軍に比べ人員的・物質的に限界のある日本は圧倒的に不利としか言いようがない。アメリカとの戦争が長期化すれば不利であることは、日本の一部の軍人にはわかっていたようです。

当時、中国に進出し領土を拡大する日本に対して、徐々にアメリカは対決姿勢を強めていました。そして、真珠湾にはアメリカの太平洋艦隊の主力戦艦が集結しており、マレー半島に進軍する日本にとっては脅威になっていました。しかし、アメリカは、日本からの攻撃は不可能と考え油断してことは否めません。

11月末にハワイに向けて出発した日本軍の機動部隊は、決行日を示す「新高山(ニイタカヤマ)登れ一二〇八」の電信を受けます。ハワイ現地時間12月7日早朝、艦隊から発進した200機弱の戦闘機、爆撃機が一気呵成に襲い掛かり、太平洋艦隊に甚大な被害を与え、「トラ・トラ・トラ」の電信が伝えられたのです。

モールス信号のトラ・トラ・トラは、「我奇襲ニ成功セリ」という意味と解釈されていますが、「突入セヨ(ト)、雷撃機(ラ)」の意味で、第1波で相手の迎撃態勢を崩したことで、重たい魚雷を搭載し動きが鈍い雷撃機に出された指令だったという意見もあります。

短期決戦の勝利でアメリカの戦意を喪失させ主導権を握るはずだったこの作戦は、直前に宣戦布告するはずだったのが、実際にアメリカ側に伝えられたのが真珠湾が火の海になった後のことでした。実質的に宣戦布告なしの奇襲攻撃として「リメンバー・パール・ハーバー」のスローガンのもと、むしろアメリカを戦意高揚へ向かわせることにつながります。

真珠湾攻撃にまつわる映画としては、そのものすばりの「パール・ハーバー(2001)」がありますが、これは親友同士と恋人との三角関係の話で、どちらかと言うと恋愛物。アメリカ国内でも、真珠湾攻撃の扱い方には批判的でした。ちなみにヒロインは「アンダー・ワールド」のケイト・ベッキンセイルです。

20世紀フォックス社のD・F・ザナックは、ノルマンディ上陸作戦を描いた「史上最大の作戦」のヒットに気をよくして、今度は太平洋戦争物を日米合作で企画したのが「トラ! トラ! トラ!」でした。しかし、アメリカにとっては屈辱的な展開の出来事であったのと、日本側スタッフとのトラブルだけでなく、アメリカ国内でも議論が巻き起こり興行的には成功とは言い難い結果になりました。

日本側とのトラブルは、監督に起用された巨匠・黒澤明との間に生じたもので、最終的に黒澤の降板という、日本映画史としては重大事件に発展しました。制作サイドが細かく管理するアメリカ式に対して、すべてを掌握したい黒澤の手法が相いれないのは当然です。また、いつもの東宝ではなく東映だったため、手慣れたスタッフ(いわゆる黒澤組)がいないこと、リアリティを重視して演技経験のない人を自らたくさん配役したことも黒澤をいらだたせたようです。

最終的には舛田利雄と深作欣二のダブル監督が決定し、アメリカ側のリチャード・フライシャーとの3人体制で映画が作られました。軍が協力してアメリカの本物の戦闘機や艦船が登場し、ゼロ戦などの日本の戦闘機は、アメリカの飛行機を可能な限り本物そっくりに改造し、実機が飛び交う様はかなり迫力のある仕上がりです。

アメリカの過信からの油断、そして日本の過信から増長を比較的正直に映画化したことは評価されますが、その分ドキュメンタリー色もあり、ストーリーとしての面白さは2時間半もたすのはちょっと厳しい感じもします。

日本は、マレー半島も手中にし。さらにフィリピン、シンガポールにまで侵攻します。主にイギリスの植民地が次々と陥落していくため、ヨーロッパでのイギリスのドイツ戦略にも影響を及ぼしました。「戦場にかける橋(1957)」は、この頃のタイで日本軍の捕虜収容所を舞台としたストーリーですが、映画として名作ではありますが、ほとんどフィクションです。

年が明けて、1942年初頭より戦線は南はニューギニア、ソロモン諸島に及び、しだいに日本の軍事行動にも行き詰まりが出始めます。そして6月に太平洋のど真ん中、ミッドウェイ環礁において、半年で立て直したアメリカ軍と大規模な海戦が起こり日本軍は完敗します。映画では1976年のものと、最近の2019年のものがあります。

2021年4月11日日曜日

自宅居酒屋 #32 イイダコの煮付け


イイダコは小さいので4~5個が串刺しになって、バーベキュー用みたいな売られ方をしているのを見つけます。

でも、その機会はごく稀で、めったに手に入らない・・・なので、これを見つけた時はできるだけたくさん買っちゃう。ただし、バーベキューではなくて、串から外して煮付けにします。

ふと、思いついて、Amazonで探してみたら、なんだ普通に売っているじゃん。

生のまま冷凍したものは、たぶんいろいろと前処理が必要でめんどう。ボイルしてから冷凍したものなら、その手間が省けるだろうと注文したら正解でした。

おそらく、ボイルしてすこし縮んでいるとは思いますが、さらに味をつけるのに煮るので、ちょうど一口で頬張れるサイズになります。

流水でざっと解凍して、味付けは基本は醤油だけで十分ですが、少しだけミリンをいれるとより美味になる。

煮すぎると固く縮まってしまうので、5~10分くらい煮たら、あとは自然に冷めるのを待ちます。そうすると味がしみ込んで出来上がり。

肴にばっちり。最高です。

2021年4月10日土曜日

極楽鳥花


大変珍しい花をいただきました。

名前は四文字熟語のような「極楽鳥花(ゴクラクチョウカ)」という。

ストレリチアと学名で呼ばれることが一般的な観葉植物の一つですが、南アフリカ由来です。

美しく華やかな花が咲くと羽を広げて飛んでいる極楽鳥に似ているということですね。

2021年4月9日金曜日

Uボート (1981)

映画で理解する第二次世界大戦としては、ヨーロッパ戦線については、ドイツと連合軍の動きをひろっていけば理解できると思ったのは「大甘」でした。そんなことも知らずに生きてきたのかと怒られそうですが、世界大戦というくらいですから、本当に多くの国が巻き込まれていたことには驚くばかりです。

ドイツがポーランドに宣戦布告無しに侵攻した1939年9月1日に続いて、今度は9月17日にはソビエト連邦が東からポーランドに攻め込んできます。勢いに乗ったソ連は、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を制圧し、さらにフィンランドに迫りました。

フィンランドは、19世紀初めに実質的にロシア帝国の一部となっていたのですが、第1次世界大戦終結後に独立していました。再び傘下に収めようとするロシアに対して、人員・物量とも不利にもかかわらず、フィンランドは徹底抗戦します。1939年11月に始まったフィンランドの対ソ連の戦いは「冬戦争」と呼ばれていて、フィンランド映画の「ウィンター・ウォー 厳寒の攻防戦(1989)」でその戦いが描かれています。

一方、ドイツ軍も1940年4月に突如北上しデンマーク、ノルウェイに侵攻。5月にはベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)にも侵攻し、電撃的な攻撃により短期間で占領範囲を拡大していきます。

ダンケルクでイギリスを大陸から追い払ったドイツ軍は、6月にフランスを占領。ここタイミングでムッソリーニ率いるイタリアも枢軸国の一員として参戦してきました。イタリアは、北アフリカのリビア、エジプトに侵攻し、さらにギリシャにまで戦場を拡大していきます。

空軍の攻撃が成果をみないドイツ軍はイギリス上陸作戦をあきらめ、ソ連の動きに注意を払い、北アフリカのイタリアを支援することに集中します。また巨大戦艦ビスマルク、高性能潜水艦Uボートによる大西洋制圧に力を注ぐようになります。海戦物の映画としては、ビスマルクの進水から撃沈までを描いた「ビスマルク号を撃沈せよ(1960)」があります。

ドイツの潜水艦は、じつは第一次世界大戦でも数百隻が投入されていたのですが、第二次世界大戦の潜水艦の代名詞Uボートはさらに多くが建造され、フランス占領後に活発に活動し数千隻の船舶を撃沈しました。しかし、しだいに連合軍の対潜水艦対策が科学面で進歩し、大戦中を通じて最も死亡率の高い部隊となってしまいました。

Uボートとアメリカ軍駆逐艦の海面と海中での頭脳戦を見事に描いたのが「眼下の敵(1957)」で、映画としてはサスペンス重視のほぼフィクションですが戦争映画の名作として記憶されます。駆逐艦艦長のロバート・ミッチャムとUボート艦長クルト・ユルゲンスの駆け引きが素晴らしい。

ドイツが自ら製作した「Uボート」は、まさにドイツ潜水艦の真実を包み隠さず描いた潜水艦映画の名作です。監督はこれがきっかけでハリウッドに進出したウォルフガング・ペーターゼンで、もともとはテレビ用のミニ・シリーズとして全6話、約5時間の長さですが、先に約半分程度に編集した映画版が公開され、世界的にヒットしました。

実際にUボートに同乗した経験をもとにした小説が原作ですので、ほとんどのストーリーはフィクションといえど潜水艦内の緊迫感のある極限状態についてはかなり現実的な描写となっています。映画版でもすごい出来なのですが、テレビ版が、より登場人物の人間像が緻密に描かれドラマとしての深みが増していて、長くても緊張感が途切れることはありません。

フランスの大西洋に面したラ・ロシェル港に明日出航のUボートの乗組員が集まっています。身なりを整えた艦長(ユルゲン・プロホノフ)は、同乗記を書く報道班のヴェルナー少尉(ヘルベルト・グレーネマイヤー)を連れ立っていました。何度も航海を共にした機関長、航海長のほかに、いろいろな部下が前夜を羽目を外して大騒ぎしていました。

出航してしばらくは、何事もなく何日も静かに過ぎていきましたが、イギリス海軍の駆逐艦と遭遇して機雷攻撃を受けたり、補給船に魚雷攻撃をして沈没させたりと、やはりただでは済まない航海となります。そんな彼らは密閉した狭い艦内でどんどん心理的にも追い詰められていき、その上さらにジブラルタル海峡を突破してイタリアに進むよう指令がおります。

実際には、狭い海峡を突破できたUボートの記録はありませんし、イギリス海軍が拠点の一つにしている場所を通り抜けるというのは、ほとんど自殺行為です。当然、攻撃を受けて重大な損傷を受けたUボートは、海峡の海底に沈んでしまいます。彼らの生き残るための、必死の作業が行われるのでした。

実物大の潜水艦のセットを作り、その狭い艦内を前から後ろまでカメラが移動していき、各部署を緻密に描写していきます。実は、この潜水艦が「インディ・ジョーンズ / 失われた聖櫃」で使われています。

派手な戦闘シーンはわずかで、ほとんどが潜水艦内だけで進行するサスペンス色が強い作品ですが、ドイツ兵も一人の人間であり、上からの無理難題に翻弄される様を通して戦争の不条理を端的に表現することに成功していると言えます。

2021年4月8日木曜日

自宅居酒屋 #31 小松菜辛子和え


これも簡単レシピです。

ほとんど説明する必要が無い定番の料理の一つで、茹でた小松菜に和辛子と醤油を和えるだけ。味の濃さは個人のお好みです。

うちは辛子多めで、醤油少な目。

今回は、ちょっとバリエーションをつけて、フレークのツナ缶を開けてまぜています。

ツナと醤油は相性が良いので、違和感なく楽しめます。


2021年4月7日水曜日

7のカレーパン


神奈川県限定・・・というセブン・イレブンのカレー・パンが登場していました。

売りは、何といっても「店内揚げ」というところと、冷めてもカリっとしていることらしい。

売ってた。

買ってみた。

食べてみた。

モグモグ

うん、美味しいね・・・・普通に。

悪くはないです。中身のカレーはちょっと甘めかな。冷めてましたが、確かにカリっとしている感じはわかります。

ちょうと、小腹がすいたというときに売ってたら、また買うかもしれません。

2021年4月6日火曜日

空軍大戦略 (1969)

ダンケルクの撤退を許したドイツ軍は、休むことなくフランスへの侵攻をさらに進めます。そしてついに1940年6月22日、フランスはドイツに降伏占領され、フランスは南部のみ名目だけの主権国家となります。後に大統領となるシャルル・ド=ゴールはイギリスに亡命政府府を作りました。

ヒットラーの次の標的はイギリスでした。戦争初期には無敵を誇ったドイツの空軍機、メッサーシュミットや爆撃機ハインケルを夏以降大量にドーヴァー海峡を越えて投入しますが、イギリス空軍もスピット・ファイヤーなどで応戦。特に最新のレーダーを備えたイギリス軍は、徐々にドイツ軍を消耗させていきます。これは歴史的には、「バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれる空の戦いとして記録に残りました。

ヒットラーは小型機による攻撃を断念し、爆撃機によるロンドン空襲に作戦を切り替えます。しかし、なかなか決定打とならず、北のソビエトの動きが活発化してきたためイギリスへの侵攻は中止になりました。無敵を誇り快進撃をしてきたヒットラーにとっては、最初のつまづきでした。

この映画は、原題はまさに「Battle of Briten」であり、監督は「007シリーズ」で有名なガイ・ハミルトン。チャーチルの「フランスの戦いは終わった。次はイギリスだ」という言葉から始まり、絶対的な主人公なしで、イギリス政府・軍部のそれぞれが、各部署で対ドイツ戦を準備し、何とか撃退するまでを歴史的事実を踏まえて描いていきます。

1940年6月、イギリス軍はダンケルクから撤退し、ヒットラーからは降伏同然の和平案が示されますが、イギリスは断固拒否します。これは軍備が整うまでの時間稼ぎで、実際、パイロットや新技術のレーダーの使用した管制官の育成を急いでいました。

イギリス空軍のトップはローレンス・オリヴィエ、一方のドイツ側にはクルト・ユルゲンスという豪華なキャスティングです。イギリスのパイロットは、クリストファー・ブラマー、ロバート・ショー、マイケル・ケインというのもすごい。なんか007にゆかりの人ばかりだと思ったら、何と製作がショーン・コネリーのボンド映画をアルバート・ブロッコリと共同製作したハリー・サルツマンです。

ブラマーの奥さんがスザンナ・ヨークで、空軍に所属してすれ違い夫婦になっているエピソードが、ドラマとしてのアクセントになっていますが、あくまでも刺身のつまみたいなものです。何といっても、一番の見せ場は飛行機同士の空中戦です。

ミリタリー・マニアの人からは一言あるようですけど、ほぼ本物の実機がどんどん登場してくるのはなかなかの見物です。撮影時、ドイツの爆撃ハインケルがロンドン上空を飛行したのは、かなり市民を仰天させたらしい。

模型はたくさん使われているようですが、CGの無い時代ですから当然ですが、最近の派手な爆発シーンやリアルな死体の山は登場しません。それでも、実際にアクロバット飛行で、実機が飛び回ることは、逆に今となっては実現不可能な映像だと思います。

映画の中ではイギリスの4倍の飛行機を有すると表現されていますが、実際にはほぼ空軍の兵力は拮抗していたようです。また、レーダーの実用化により早期に敵機の飛来を把握できたことや、イギリス寄りの戦場ではパラシュートで降下したパイロットを回収しやすかったといった地の利があったことで、イギリスの方が押し気味に戦闘が進行したようです。

両軍機ともに航続距離は700km程度なのですが、ドイツはフランスから飛来して往復だけで燃料の半分近くを消費してしまうので、イギリス上空で戦闘にかけられる時間は10分程度と映画内で説明されています。

ドイツの判断ミスは、自軍が優位と考え、直接ロンドンの爆撃に作戦の中心を移行させたことでした。爆撃の侵入ルートは予想されやすく、また小型の戦闘機の方が機動性に優れているので、ドイツ空軍は甚大な損失を受けることになります。

最後の大規模な空中戦シーンは、効果音や俳優の言葉は無く、音楽だけで延々と続きます。そして、映画は集中的な攻撃がひと段落ついて、何とドイツの攻撃の矛先がソビエトに向いたことで、イギリスに束の間の平穏が訪れ終了します。


2021年4月5日月曜日

ダンケルク (2017)

第2次世界大戦になると、歴史的資料もしっかりしてきますし、存命の実際の体験者に取材もできますから、映画としては事実に基づく題材が選ばれるようになり、その作品の数も大変多くなる。

そうなると、戦闘行為そのものを中心にしたもの、戦中・戦後を通じて兵士たちにのしかかる心理的重圧を中心にしたもの、そして直接戦闘に参加しない市民たちを中心にしたものなどの特色が見えてくるようになります。

実際、両大戦の大きな違いは、第二次世界大戦では銃後の民間人にも影響があり、ホロコーストも含めて一般市民に多数の死者が発生していることがあげられます。民間人にも多くのトラマが発生するのは必然です。

敗戦国である日本が制作する戦争映画は、多くが巻き込まれる民間人や、死に行く兵隊の「悲劇」というテーマに沿ったものが多い印象があります。そういう意味では、大戦を歴史的に総括していく上では、残念ながら邦画は必ずしも適当とは言いにくい。

また、太平洋戦争に関しては直接の当事国であり、戦前の軍国主義が覇権の拡大を推し進めたことは間違いのない事実で、多く責任があることは否定できません。しかし、洋画で太平洋戦争を見るとなると、映画で描かれるばたばたと死んでいく者は、自分の身近な人々かもしれないと思うと、複雑な心境にならざるを得ない。

よく戦後について日本はドイツと比較され、最大の責任者であるアドルフ・ヒットラーが死亡していることから、ドイツが戦争責任を真正面から受け止め、映画でもはっきりとそこを認めたものが作られているという話があります。おそらく、日本の場合は形式的だとしても当事者である天皇が存命で国体維持に結びついたことが、ドイツとは異なる部分なのかもしれませんが、それはこれ以上論じられることではありません。

第二次世界大戦は、何故勃発したのか? という問いには、たくさんの議論があり、多くの要因が挙げられています。

最初に言われるのが、敗戦国ドイツの処遇を規定したヴェルサイユ条約です。この条約に基づく戦後のヴェルサイユ体制では、ドイツは多くの領土をドイツ系住民共々、ポーランド、チェコスロヴァキア、リトアニアに割譲されました。また到底払いきれるものではないような巨額な賠償責任を負わされたのです。これらは、ドイツ国民に多大な不満の温床となりました。

戦後、経済的に疲弊した各国の経済のうち、戦場にならなかったアメリカは世界最大の工業国として生産力を高めましたが、過剰生産により1920年代末に株価の暴落を引き起こします。これは一気に世界中に飛び火し、いわゆる「世界恐慌」に発展します。特に大戦から回復に及ばない国々に深刻な影響を及ぼしました。

この甚大な不況によって、人々はカリスマ的な指導者の登場を期待することになり、ファシズムが台頭する要因となります。ドイツではヴェルサイユ体制打破を掲げるヒットラーが躍進し、イタリアではムッソリーニが登場しました。特にイギリス、フランス、スペインなど以外の植民地を持たない国々では、生産性を上げることができず、その傾向は顕著なものになります。

日本は第一次世界大戦では戦勝国側でしたが、関東大震災(1923)に続く世界恐慌の流れの中で、軍部の力が強大化しドイツ・イタリアと協調しつつ大陸へ侵出し、1932年に満州国を設立。五・一五事件(1932)、二・二六事件(1936)などを経て軍部が政権を掌握しました。

ヒットラーは次第に国民の信任を取り付け、率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は選挙で勝利し、1933年1月ヒトラー内閣が成立します。翌年には国内の突撃隊などの反対勢力を一掃しも総統として名実ともに独裁政治が完成します。ヒットラーは、ドイツと陸続きのヨーロッパは自分たちの生存に不可欠とし、ヴェルサイユ条約はことごとく破棄して再軍備に向かいました。

チャーリー・チャップリンは、二つの世界大戦を真っ先にリアルタイムで戦争批判を映像化した稀有の映像作家です。ヒットラーの台頭を危惧して、笑い飛ばした「独裁者(1940)」は、まだ世界が危機感を持つ前に作られた本当に勇気のある映画として讃えられます。また、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「地獄に落ちた勇者ども」では、この時期の翻弄されるドイツ貴族たちの堕落と滅亡が描かれています。

ヒットラーは、1938年に手始めにオーストリアに侵入し無血で併合することに成功し、1939年8月にソビエト連邦のスターリンと中間にあるポーランドを分割領有する同意を含めた不可侵条約を結びます。その上で、9月1日、宣戦布告なしにポーランドに侵攻し、ついに第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたのでした。

スティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト(1993)」は、すでに始まっていたナチスのユダヤ人排除の動きが加速する、まさにこの時期が中心となるストーリーです。また、ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト(2002)」も、同じく激動のポーランドを描いた作品でした。

イギリスとフランスは、当初はドイツの動きに対して宥和政策をとり静観していましたが、侵攻を拡大するドイツに対し翌1940年にはフランス国境付近の西部戦線の「マジノ線」と呼ばれた防御要塞に兵力を固めていきます。しかし、東から迂回して進撃してきたドイツ軍によって、あっという間に西に押し込まれ、ついに5月末に港町ダンケルクに40万人の兵力が孤立してしまうのです。

この撤退はダイナモ作戦と呼ばれ、イギリスのチャーチル首相は第二次世界大戦の中で最も成功したプロジェクトだと回想しています。軍用艦だけでなく、数百隻の民間の船も動員して。5月26日から6月4日までの10日間に33万人のイギリス、フランス、カナダ、ベルギーの兵士がドーヴァー海峡を越えてることに成功しました。しかし、脱出できずに捕虜になった兵士も7万人いるといわれています。

クリストファー・ノーランは、「バットマン」のリブート・シリーズで一躍世界的映画監督になりました。このダンケルクの撤退を映画化にあたって、ノーランは陸・海・空の3つのシークエンスをそれぞれ1週間、1日、1時間の話として1本の映画の中に複雑に組み込むという手の込んだ構成をしています。

イギリス国民が戦い抜く根っこになつた史実ですから、欧米の人々にはよく知られた話だと思いますが、日本ではあまり知られているとは言い難い。最初にごく簡単な説明のテロップが流れますが、ここに至る経過を予備知識として知っていないと、映画の緊張感は半減してしまうかもしれません。

特に、複雑な構成のため、最初のうちは多少見ていて混乱する部分があることは否定できません。しかし、次第に陸・海・空の時間軸が合ってきて、ダンケルクの浜で一緒になるところは見事。特に撤退だけだと映像としては地味ですが、空中戦のシーンをうまく混ぜ込むことでエンターテイメントとしての面白さも持続させています。

ほとんどはあまり知られていない俳優が出演していますが、ダンケルクの浜で作戦の指揮をとる海軍士官にケネス・ブラマー、そして救出に向かう民間船の船長にマーク・ライランス、イギリス空軍パイロットとしてトム・ハーディらが登場します。

浜辺の遠景に見える膨大な兵士は立て看板、空中戦では大型のラジコン飛行機を使用していたり、基本的にリアルなアナログ映像を主体に、どうしても実演が困難な部分はCGを利用するというコンセプトで作られています。確かに、実物のような質感はCGでは描き切れないリアリティを生み出すことに成功しているようです。

いずれにせよ、「名誉ある撤退」ではありますが「勝利」の話ではないので、戦争によって払われる犠牲の大きさを浮き立たせることがこの映画の最大のポイントなのかもしれません。

2021年4月4日日曜日

1917 命をかけた伝令 (2019)

第一次世界大戦を扱った最新の映画が「1917」で、最近の「007シリーズ」を手掛けた監督のサム・メンデスは、実際に西部戦線で伝令をしていた祖父から聞いた話を参考に脚本・制作もしています。

この映画で最大の特徴になって話題になったのが、全編ワンカット(に見えるようにつないだ)撮影です。主人公二人をカメラは追い続け、シーンが途切れることなく最後まで続きます。

実は、この手法はアルフレッド・ヒッチコックが、もともとが舞台劇であった「ロープ(1948)」で試みたものと同じ。「ロープ」は物語と映画の時間軸は同じで、80分間に起こることをワンカットで見せるという実験的映画でした。

評論家からの評価は悪くはありませんが、ヒッチコックとしてはカット割りする場合よりサスペンスの盛り上げに苦労して必ずしも満足の行った出来とは考えていなかったようです。リアルタイム劇としては、フレッド・ジンネマンの「真昼の決闘(1952)」がありますが、こちらはカット割りをしています。

ワンカット撮影は、映画人にとってはチャレンジしてみたい技法なのかもしれませんが、究極のワンカットは舞台劇であり、自由度が高くなる映画の中ではどうしてもダイナミズムが失われてしまうという点は覚悟しないといけない重要な点だと思います。

1917年4月6日朝、のどかの草原のはずれから始まる物語。イギリス軍のウィリアム・スコフィールド伍長代理(ジョージ・マッケイ)とトム・ブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)の二人は、補給基地で仮眠から起こされ、作戦本部の将軍のもとに呼び出されます。

ドイツ軍が戦略的退却をして、突入してくるブレイクの兄もいるD第二大隊を壊滅させる作戦と考えた将軍は、14km先にいる大隊へ明朝の進軍を中止するよう伝令を指示します。指令を受けた二人は、長く続く塹壕の中を最前線に向かい、死臭の漂う戦場に出ていくのです。ドイツ軍の塹壕に到達するとそこはもぬけの殻で、確かに敵はごく最近撤退していました。

ここまでが冒頭のわずか20分間の間に起こることなのですが、カメラがリアルタイムに追い続けるため、当然時間軸も同じだけ進んでいるはずなので、仮眠していた場所から将軍のいる本部までは良いとしても、そこから最前線までの距離があまりに短いことに違和感が早くも生じます。

一方で、戦闘地帯の中の、放置された無残な死体の数々や、敵の塹壕に設置してあった爆弾のトラップで最初の洗礼を受けるところなどは、ワンカットのために映画を見ている側も生中継のような錯覚を起こし、戦場の雰囲気をヴァーチャルに体験する感覚に襲われます。

墜落したドイツ機からパイロットを助け出し、逆にブレイクが刺されて死亡するシーンでは、ブレイクの顔がいきなり顔面蒼白になる。いかにも死にそうなんですが、急に変わるのはやりすぎ。スコフィールドは通りかかったほかの部隊のトラックに便乗しますが、途中からは徒歩でD大隊を目指す。

しかし、町でドイツ兵の狙撃を受け意識を失い、気が付くと夜になっている。ここでは、明らかにシーンが変わり、いっきに時間が半日以上経過しています。ここからは、またワンカット撮影が続き、次第に装備を失い、やっとのことで大隊のもとにたどり着きますが、すでに攻撃が始まったところでした。

全編を通して、内容的には優れた脚本と、本当に苦労しただろうと思わせる撮影は拍手を惜しまないですし、ほぼ一人舞台のようなスコフィールドを演じたジョージ・マッケイも素晴らしい。

ただし凡庸な意見かもしれませんが、カットの切り替えが無いことで、動きの少ないシーンでは冗長な印象はぬぐえませんし、目的地のD大隊との迫りくる時間の緊張を表現しきれているとは言い難い。あと、つまらないことかもしれませんが、エンドロールに10分間はいくらなんでも長すぎです。

戦争は古いものほど、人と人との闘いの要素が多くなり、敵と味方の距離も縮まっていくということ。そういう意味では、この映画で描かれた時間と距離の感覚は間違ってはいないのかもしれません。ただし、駆り出された兵士たちが考えていることは、第一次世界大戦でも同じで、家族を思い故郷に帰れることを願っていたというのは普遍的な心境です。

戦争映画としては「ありふれた」テーマであるその点にフォーカスをあてると、この映画が成功している部類に入ることは間違いありません。ワンカット撮影にばかり注意がいきがちですが、そのことがこの映画の価値を高めることにどれほど寄与したかは何とも言えません。

この年のアカデミー賞では、撮影賞・視覚効果賞・録音賞の獲得しましたが、主要な賞はほとんど「パラサイト」に持っていかれてしまいました。

2021年4月3日土曜日

担え銃 (1918)

最初に断っておきますが、自分は戦争を肯定するつもりはありませんし、ミリタリー・マニアでもありません。戦争映画を見るということは、自分が直接体験しなかった、歴史の一部として知っておくべき事柄をあらためて確認しようということです。

戦争映画と呼ばれるジャンルについては、古今様々な名作が生まれているものの、サスペンス物の殺人事件なら許容できるのに、人と人との殺し合いを画面で見るのは勇気がいるものです。何故なら、お互いに個人的な殺す、殺される動機が無いため、シンプルに人間性の喪失を感じさせることが辛い。

当然のことながら、(戦時中のプロパガンダを除いて)戦争を肯定する映画は見たことがありません。どの映画をとっても、戦争の愚かさ、虚しさ、仲間との連帯などをテーマにしているわけで、結論も似てしまうところがあります。ですから、結論に至る過程によって、代表的な作品を吟味して見ることが大事なのかもしれません。

戦争映画として重要なポイントは、戦闘そのもののリアリティも大事ですが、できるだけ史実に基づく内容という点です。もちろん、歴史は勝者が作るものであるという原則があることと、戦争で功をなしたり、あるいは亡くなった方々を安易に批判するようなことはできません。

もっとも、すべての目撃証言があるわけではありませんし、完全にノンフィクションだと、それはドキュメンタリー映画になってしまいます。エンターテイメントとしての映画としては、「事実の基づく」ある程度の創作は許容されます。

とは言っても、戦場を舞台にして完全にフィクションとして作られた、例えば「ナバロンの要塞」、セガールの「沈黙シリーズ」やスタローンの「ランボー・シリーズ」のような映画は、アクション・エンターテイメントであって、それはそれで面白いのですが、厳密な戦争映画というくくりに入れることは抵抗があります。

戦争をイデオロギーの違いによる集団同士の争いとするならば、例えばアメリカの南北戦争もこの定義に含まれますが、より集団の差がはっきりと出るのは国同士の戦いの場合。あまり古い時代になると歴史映画(時代劇)の色合いが強くなるので、映画としては一般的には第1次世界大戦以後の約100年間が対象となり、特に映像技術の進歩に伴い第二次世界大戦以降が中心となると思います。

第一次世界大戦は、一般的にはサラエボ事件に端を発し、1914年7月28日にオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告して始まりました。8月1日にドイツに宣戦布告されたロシアは、同盟のフランスに援助を依頼したため、ドイツは8月3日にフランスにも宣戦布告しました。ドイツの侵攻に対して8月4日にイギリスがドイツに宣戦布告し、イギリスと同盟していた日本も追従します。

その後、ヨーロッパ中の国々が、ドイツ側の中央同盟国か英仏露を中心とした連合軍に参加して戦火が拡大しました。1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、人類史上最大の死者数となった戦争は事実上連合国の勝利で終結。1919年1月パリ講和会議で、敗戦国の責任が話し合われ、国際連盟の発足につながります。しかし、領土を失い多額の賠償責任を負わされたドイツの屈辱は、わすが20年後に再び全世界を巻き込む戦争の引き金になるのです。

もちろん、こんな短い説明で終われるものではありませんが、教科書的な知識として最低限このくらいはおさえておきたいところ。さすがに、現代人としては、第二次世界大戦の方がより身近な出来事ですし、その原因の一つとして認識すべきことです。

第1次世界大戦を題材にした映画としては、古くは1930年のアカデミー賞作品となったドイツ軍の側から描いた「西部戦線異状なし」という名作がありますが、事実考証はかなり正確と評判ですが、原作は基本的にはフィクション。スピルバーグの「戦火の馬」は戦争に巻き込まれる人々のドラマですが、ファンタジー色が強い。

キューブリック監督作にも「突撃」がありますし、「大いなる幻影」、「武器よさらば」なども思い出されます。「アラビアのロレンス」も時代背景は同じですが、事実をもとにしていても一個人のヒューマン・ドラマなので戦争映画とは言いにくい。

そんな中で、喜劇王として名を馳せたチャーリー・チャップリンが、監督・脚本・制作・主演した短編映画「担え銃」は、最も早くに作られた第一次世界大戦にまつわる映画の一つ。

何しろ、まだ戦時中でしたが、チャップリンは塹壕戦の中で、兵士たちの日常を笑いに変えパロディにすることで反戦思想を映画に込めています。100年たった白黒のサイレント映画で確かに古いのですが、今見るとむしろ新鮮な感じ。

もちろん、パロディのフィクション戦争映画ですが、戦闘映画ではありません。戦死者も一人も登場しません。しかし、リアルタイムに戦争に反対する姿勢を見せたことは、映画人としてのチャップリンのすごいところで、最後の字幕「Peace on Earth - good will to all mankind」にメッセージのすべてが込められています。

2021年4月2日金曜日

SAKURA 2021 @ 盆栽


4年目の春を迎える吉野桜の盆栽です。

実は、昨年夏に自動水やり機が故障して、多くの盆栽がダメになりました。

この鉢も葉が枯れて落ちてしまったので、半分あきらめていたのですが、年明けから少しずつ芽が出てきました。

どうせ葉芽だろうと思いましたが、それでも樹が生きているということなので、来年あたりにまた花がつくといいなと思っていたら・・・

何と、数輪の花が付きました。

あきらめずに水やりを続けてよかったぁ~

という話。

2021年4月1日木曜日

SAKURA 2021 @ 王禅寺


今日から「令和3年度」の始まり。

このあたりの桜は、満開をすぎて花びらがひらひらと舞い始めています。

王禅寺の付近にも、桜がたくさん植えてあるのですが、寺のある丘のにかなりまとまった桜の巨木があります。

明らかに高さは20m以上はあろうかという感じなので、樹齢は余裕で50年以上にはなっていると思います。ツタも絡まり古色蒼然という雰囲気です。

毎年、かなりまとまった花がたのしめるのですが、ここ数年はあきらかに勢いが無くなってきた印象があります。

桜の寿命は100年以上のものもありますが、きちんと手入れが行き届いている場合。このように、ほぼ野生に任せているものは50~60年で樹勢が衰えるものらしい。地球温暖化の影響とかもあるかもしれません。