夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2021年5月14日金曜日

ヒトラー ~最後の12日間~ (2004)

第二次世界大戦におけるヨーロッパの情勢を振り返ってみると、結局、アドルフ・ヒトラーという人物に集約されます。たった一人によって、ドイツという国が異常な方向に向かってしまったことは疑いようがない。ヒトラーを狂人として扱うことは簡単ですが、彼を前面に押し出して、さらに独断専行を許した多くの国民の総意があったことも間違いはありません。

ヒトラー自身は言うに及ばず、ドイツの国としての破滅がすべてを物語っているわけで、それがあまりにも大きな過ちだったことは歴史が証明しています。しかし、ヒトラーといえども一人の人間ですから、何故彼をここまで狂気に走らせたのかは総括されるべきものだと思います。

当然、それらを論ずる本はこれまでにたくさんあるわけで、ここで自分があえて述べるまでもありません。ただ、その生い立ちについて簡単に整理してみます。

アドルフ・ヒトラーは、オーストリアのブラウナウ・アム・インにて1889年4月20日に生まれました。ブラウナウ・アム・インは、リンツの西80km、ザルツブルクの北60km、ドイツとの国境沿いの町です。

ハプスブルク君主国を絶対視する強権的な父親のもと、1899年に日本でいう小学校を卒業しますが、すでに父親との対立や学校での問題行動があり「手を焼く」こどもであったようです。1903年に父親が脳溢血で急逝しますが、無理やり入れられた「中学校」も留年を繰り返し退学。正式な最終学歴は小学校止まりです。

父親への対抗心から、この頃にヒトラーは各君主国やオーストリアを含めて全体を統一する「大ドイツ主義」への傾倒が始まったようです。1907年、画家になることを目指してウィーンに出て美術アカデミーを受験しますが失敗。12月に、理解者とは言えないにしても唯一の味方だった母が乳癌で亡くなり、ヒトラー自身その時以来泣いたことがないと語っています。

父母の遺産などで食いつないでいたヒトラーは、この後数年は画家として暮らしたようですが、ますます民族主義的な思想を強めていった時期になりました。しかし1913年、徴兵されることを避けるため、隣国ドイツのミュンヘンに移住します。しかし、1918年1月に逮捕され送還されますが、結局適性検査で不合格になり兵役免除になっています。

にもかかわらず、8月に第一次世界大戦がはじまると、バイエルン王国の義勇兵として主として伝令任務にあたり多くの勲功を上げていますが、階級は「伍長(ゲフライター)」止まりで、部下を持つそれ以上の階級は無理と判断されていた節があります。

1919年大戦終結後、ヒトラーは政界に転身するとドイツ労働者党に入党、あっという間に力をつけ、1920年2月24日、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)に改名し実権を握りました。1923年11月8日、ナチ党を含むドイツ闘争連盟を率いて、ベルリン進軍を意図した「ミュンヘン一揆」事件を引き起こしますが失敗し逮捕されています。

裁判を経て5年間の禁固刑になるものの、ヒトラーの裁判を通した演説は「失われたドイツ国民の自信を回復させるもの」として各方面から支持が広がり8カ月で釈放、1925年2月にはナチ党を再建しています。1928年5月、初めて国会議員選挙に臨みますが、この時は12人の当選させるにとどまりました。

しかし、1929年、世界中に広がった世界大恐慌が事態を一変させます。ドイツ国内の不安をうまく利用してのし上がったヒトラーは、1932年大統領選挙に立候補します。現職ヒンデンブルグに次ぐ票を獲得し、政界内での無視できない勢力となったナチ党は同年の国会議員選挙では230議席で第一党に躍進するのです。

1933年1月、ヒトラーは首相に就任。2月に共産主義者による国会議事堂放火事件が発生し、ヒトラーは強権を得て共産党などをおさえこみます。8月にヒンデンブルク大統領死去により、ほぼすべての権限を手中にしたヒトラーは、その年の末までに独裁体制を完成させます。

こうやって、ヒトラーの生い立ちを追いかけてみると、父親により抑圧されたこども時代が父親への対抗心を越えて、自分を認めない社会全体への不信感みたいなものを培ったことがわかります。基本的に他人を信じることができず、保身のためにはいくらでも嘘をつくことをためらいません。歪んだ自分の正義がすべてで、おそらく主観的な見方しかできない人物です。

そして、ちょうどカリスマ的な指導者を求める時代の潮流が一致してしまったことは、ドイツ国民のみならず世界中の不幸だったのかもしれません。多少胡散臭い話でも、強力に物事を遂行すると思わせる演説のうまさも、ヒトラーの大きな力になりました。

しかし、歴史が証明したように独裁政治、しかも周囲諸国に侵略を広げる手法が長続きするはずがありません。特に、ナチス・ドイツは占領地を治めるのではなく、抑えつけることしかしなかったために、それぞれの場所に対抗分子を生み出すだけでした。あくまで最優秀たる自民族の生存のためだけの目的であり、あえて言えばそれはヒトラーの個人的な野望でしかなかった。

この映画は、ソビエト軍がベルリンに迫り、敗北は誰の目にも確定的となった1945年4月半ばからのヒトラーの動静を秘書の回顧録から描くドイツ製作の映画です。映画の原題は「Der Untergang (失脚)」で、冒頭と最後ににヒトラーの個人秘書官だったトラウドゥル・ユンゲ本人の後悔の証言が挿入されています。

ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)は迫りくるソビエト軍の攻撃で、退避を要請する部下たちに耳をかさずにいました。また、ほとんどの部隊が壊滅状態にも関わらず、ベルリンが最前線であり、「戦時に市民など存在しない」と言い放ち、残存兵力を集めるように指示します。

4月20日総統官邸では、ヒトラーの誕生日を祝う宴会が催されました。ヒトラーの長年の愛人エヴァ・ブラウンを筆頭に大騒ぎをする中、容赦ない砲撃が襲います。ベルリン北方を守護するシュタイナー隊が、市街に戻ることに一縷の望みをかけていたヒトラーは、シュタイナー隊も壊滅状態と聞き怒りを爆発させますが、「戦争は負けだ。皆好きにしろ」と言うのでした。

ミュンヘン一機以来、ヒトラーに従っていたゲーリングは、4月23日、総指揮権の移譲を求める電報をヒトラーに送ります。官房長のボルマンは、これはクーデターだとヒトラーをたきつけたため、ゲーリングの全権を剥奪しました。軍需相シュペーアは、ヒトラーから命令されたベルリンの市街インフラの破壊をできなかったことを告白し、去っていきました。

さらに忠実な配下の一人だったヒムラーが、西側と降伏の交渉を行っているという知らせが入り激怒します。ヒットラーはヒムラーの副官、フェーゲラインの逮捕を命じます。フェーゲラインはエヴァの妹の夫で、エヴァは助命を嘆願しますが裏切りはゆるされず処刑されます。

4月29日、ヒトラーはユンゲに遺書を口述筆記させ、ゲッペルスも遺書のタイプを依頼してきます。ユンゲがタイプしている外では、1929年以来愛人であったエヴァと正式に結婚するのでした。

4月30日、亡骸を完全に消去することを命じて、ヒトラーは拳銃、エヴァは服毒自殺します。遺体は官邸の中庭でただちに、大量のガソリンがかけられ焼却されます。ゲッペルスは後継首相に指名されますが、翌日、地下壕に退避していた妻と6人のこどもと共に自害しました。

まず、映画として最も注目されたのはドイツ製であること、そして初めてドイツ語を話す俳優によりヒトラーが演じられた点にあります。これまで見てきた映画に登場するヒトラーは、たいていエキセントリックで高圧的なステレオタイプとして描かれてきたのに対して、この作品では「総統」としてのまさにそういう面と、女性・こどもに対して優し気な人間的な面の両方を見せています。

人間的な面を描くことは、ヒトラー擁護につながりかねないのですが、ここではひたすら弱さを強調していることで批判を受けることを回避しているのかもしれません。総統官邸地下壕に立てこもる人々は、誰もが現実を知らず、知ろうともせず、総統がいれば何とかなると考えている人ばかり。ところが、頼りのヒトラーは、自分が頼りにしていた者が、次々と去って行ったり裏切ったりすることで、完全に思考が停止している。

また、映画の中でヒトラーが最終的に目指していた第三帝国の首都模型が登場するのも興味深い。都市としての機能のさることながら、ヒトラーはこれを芸術と文化の拠点とすべく夢見ていたらしい・・・結局、見果てぬ夢に終わるわけですが。

第二次世界大戦を始めた、一人の独裁者の末路を知るための映画としては、一見の価値がある仕上がりです。ただ、20世紀を代表する人物の一人であるアドルフ・ヒトラーは、簡単に底を見せてはくれません。映画というわかりやすいメディアは、その一部だけでも伝える力があるように思いました。

似たようなものとしては「アドルフ・ヒトラー 最後の10日間(1973)」がありますが、こちらは4月20日に着任し遺書の写しを託された青年士官ゲルハルト・ボルトによる回想録がもとになっており、ヒトラーは名優アレック・ギネスが演じました。

2021年5月13日木曜日

飛行場のお仕事



飛行機関連の仕事というと、パイロットやキャビン・アテンダントが目立ちますが、いろいろなドラマや映画を見て、裏方さん的な方を注意するようになりました。

例えば、この人。着陸した飛行機の前で停止する場所に誘導する係。

真横に広げた両腕を、少しずつ上に上げていき、飛行機はピタッと止まります。

飛行機は、車ほど自由に位置を変えられませんから、こういう人がしっかりと停止位置をパイロットに伝えているから、ちゃんと乗客も降りれるというものです。

なんか、プロフェッショナルって感じです。


2021年5月12日水曜日

ハクソーリッジ (2016)

1945年2月から3月にかけて、死傷者の数では太平洋戦争最大の激戦となった硫黄島を制圧したアメリカ軍は、いよいよ直接日本本土への爆撃も容易になり、休む間もなく沖縄を目指します。

沖縄を防衛する日本軍は、兵員11万人と言われていますが、その多くは急いで臨時招集した沖縄の市民たちでした。実質的に兵士として訓練を受けた兵員はわずかに数千名で、中にはひめゆり学徒隊のような女学生の集団もいたのです。

それでも、3月26日に慶良間諸島上陸から始まった戦いで、4月1日には中央西の渡具知海岸から本島に進軍します。まずは、島北部は4月20日までに制圧されますが、南部は巧妙な防衛作戦と陣地の構築により、アメリカ軍を苦しめ簡単には攻略させませんでした。4月7日には、海上特攻作戦として沖縄に向けて出陣した戦艦大和が、鹿児島県坊ノ岬沖で撃沈されます。

アメリカの圧倒的な物量の前には、日本軍は各所で防衛線を破られ、4月9日、首里城が陥落し、5月12日にアメリカ軍は那覇に到達します。しかし、残存日本兵による散発的な抵抗が続き、最終的に沖縄戦が終結するのは6月半ばのことでした。実は、その後も日本降伏後も小規模な抵抗が続き、完全に戦闘が無くなったのは9月に入ってからだったのです。

この映画は、単なる戦争映画ではありません。一人の信念を貫いた男のヒューマン・ドラマであり、戦争はあくまでもバックボーンにすぎない。監督はメル・ギブソン。主人公の英雄的な行動を、嫌味なくしっかりと描き出したところはさすがです。そこには、フィクションではない、本物の説得力のある実話があるからできたのだろうと思います。

前半は、主人公デスモンド‣ドス(アンドリュー・ガーフィールド)が、「良心的兵役拒否者」として衛生兵になるまで。後半は、沖縄戦の中でも熾烈な戦いとなった「前田高地」、アメリカ軍の通称ハクソーリッジでのドスの奮闘を描きます。

デスモンドと弟のハルは、敬虔なクリスチャンで、第一次世界大戦に従軍して人が変わってしまった父親(ヒューゴ・ウィーヴィング・・・あのマトリックスの!)が、酔った勢いで母親に銃を向けたのを止める際に、父親に銃口を向けてしまいました。以来、絶対に銃を手にしないと心に決めるのです。

しかし、第二次世界大戦で弟も出征し、自分も何かしなければならないと感じ、恋人ドロシー(テリーサ・パーマー)との結婚が控えているにも関わらず軍に志願します。しかし、他の訓練では優秀なのに銃だけは絶対に触れることがない。デスモンドは「自分は殺すのではなく、仲間を助けたい」と訴えます。仲間からも変人扱いされ、銃を持てという上官の命令に背いたことから軍法会議にかけられる。

ドロシーに銃を持たないのはプライドのせいと指摘されますが、そのプライドを簡単に変えるような男じゃないからこそドロシーは結婚を承諾したのです。父親の尽力もあり、良心的兵役拒否者も、また銃をもたない権利も認められ、晴れて衛生兵として出陣するのです。

そこは日本兵が必死に守りを固める沖縄でした。何度も攻撃をかけても、なかなか落とせない難攻不落の要塞がありました。デスモンドの隊も、崖を上ってみると地下壕を使ってどこからともなく表れる日本兵にてこずります。仲間がどんどん倒れていく中で、一時退却せざるを得ない状況でした。

しかし、デスモンドは一人崖の上に残って、負傷した兵を次々と崖から降ろすのです。「あと一人、あと一人助けさせてください」と言いながら、何人もの負傷者を救助し、日本兵に追い詰められて何とか飛び降りるように戻ることができました。グローヴァー大尉は、デスモンドに率直に誤解していたことを謝罪し、君無しではもう一度崖を上ることができないと言います。

再び、地獄のような戦闘か行われ、投降したと見せかけた日本兵の自爆攻撃によってデスモンドは重傷を負いますが、アメリカ軍はついにハクソーリッジを落とすことに成功します。帰還したデスモンドは、良心的兵役拒否者としては異例の名誉勲章が授与されました。そして、映画はデスモンド本人、弟のハル、グローヴァー大尉らの実際のインタヴューが流れて終了します。

戦闘シーンの撮影は、主としてオーストラリアで行われ、「プライベート・ライアン」を上まりそうなリアルさがあります。正直、目を覆いたくなるようなシーンの連続ですが(特に日本人にとっては)、戦場の恐怖や残忍さが際立つだけにデスモンドの献身的な救援行動の素晴らしさが自然と伝わってくるのです。

人を殺すことが当たり前に許される戦場において、人を助けるために出陣するという矛盾した行為は、大多数の中のたった一人だから成立するのですが、そのたった一人が大多数に与えた勇気は人一人を殺すことよりはるかに大きかったということ。それを認めることができたアメリカ軍の前では、日本軍は勝てるわけがないのかもしれません。

2021年5月11日火曜日

ヨーロッパの解放 IV & V (1971)

1944年夏、ポーランドに迫ったソビエト軍は、ワルシャワ蜂起を援助せず静観。その後、むしろ南に転進し、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、ハンガリーからドイツ軍を一掃します。そして、年が明け1945年1月12日、ついにポーランドから西、ベルリンを目指して動きました。

その速さはかなりのもので、数日後にはポーランドとドイツの国境をなすオーデル川に達します。ベルリンまであと70km弱、過去150年にわたって敵の侵入を許してこなかったドイツは、ついに喉元に剣を突き付けられたも同然でした。

1月27日に、ポーランド南部、オシフィエンチム市においてソビエト軍はアウシュヴィッツ強制収容所を開放しました。ドイツの行っていた、主としてユダヤ人に対する大量虐殺が白日のものとに晒され、多くの人々が戦慄したのです。

そして、4月になって、オーデル川付近に250万人の兵員を手中させたソビエト軍は、ついにドイツ国内に進攻し最終決戦を挑みます。追い詰められたドイツ軍に残されたのは100万の兵士ですが、敗戦を覚悟して士気は低下し、また負傷者も数多く混ざっていました。

4月25日、ソ連軍はベルリンを包囲、市内中心部を制圧します。ヒットラーは総統官邸地下壕に退避し、4月30日、ついに自殺します。5月2日、ドイツは降伏。正式には5月7日にヨーロッパは終戦を迎えました。アメリカのローズヴェルト大統領は、惜しくも勝利を目前にして4月12日に病没しています。

ソビエト連邦、現ロシアが自らの勝利を描く国策映画「ヨーロッパの解放」は第4部が「オーデル川大突破作戦」、そして第5部が「ベルリン大攻防戦」として、この最終局面を映画化しました。

ソビエトの1月の進攻から映画はスタートします。数週間でオーデル川に達したソビエト軍は、やはり同じ悩みがありました。兵士の疲労と長すぎる補給路です。2月のヤルタ会談の模様は、これまたそっくりさん俳優が集まって、なかなか興味深い。

ポーランド兵と燃料を探しに駅に向かったソビエト戦車兵は、偶然列車内に閉じ込められていた人々を救います。なんか、おまけみたいなどう見てもフィクション部分ですが、けっこう長い。4月20日のヒットラー誕生日の様子も織り交ぜ、その翌日に戦車隊がベルリン市街に突入。ここでも、市民と交歓したり、動物園でライオンにドキドキする意味不明のシーンが続いて第4部は終了します。

ベルリン包囲網はどんどん絞られていき、ソビエト軍は総統官邸につながる地下鉄構内に進入します。ヒットラーは水門を開き、避難している市民をも巻き添えにして構内を水攻めにしろと命じ、「スラブ民族に負けるようならドイツの人民は生きる権利はないのだ」と言い切るのでした。


4月28日、議事堂にソビエト軍が迫る中、ヒットラーのもとにムッソリーニがパルチザンに殺された知らせが届き、長年の愛人だったエヴァ・ブラウンと結婚式を行うことにします。そして議事堂が占拠される中、ヒットラーとエヴァは自殺。ここでは、ヒットラーは拳銃で死ぬ勇気がなく、毒をあおるような展開になっています。5月2日、ドイツはついに降伏。長かった戦いは終結し、ソビエト兵士たちの喜びが爆発します。そして、ヨーロッパ各国の死者数がゆっくりと映し出され映画は終了します。

映画では、当然まったく触れませんが、実際には多くのベルリン市民の女性が性的暴行を受け、多くの略奪行為も行われました。あくまでも、「英雄的戦士」たちに捧げる映画ですから、そこに触れないのはもっともなことでしょうがありません。

映画としては、全5部で8時間はやはり長すぎ。特にこの最後の第4部と第5部は漫然と戦闘シーンが続いたり、唐突に関連が不明な挿話が登場したり、映画としての尺を埋めるのに苦労している感じがします。ただ、他にベルリン陥落を映像化したものはほとんどありませんので、貴重と言えば貴重。



2021年5月10日月曜日

レマゲン鉄橋 (1969)

全長1230kmのライン川は、スイスアルプスに始まり、ボーデン湖となりドイツとスイスの国境となります。湖から流れ出ると、バーゼル(スイス)から北上して200km弱はドイツとフランスとの国境になります。

その後は約700kmにわたりドイツ国内のマンハイム、マインツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルクを通過します。デュイスブルクでは東からルール川が合流し、この一帯はルール地方と呼ばれ、この豊富な水量が、産業革命の大きな原動力になりました。

その先でオランダ国内に入り、アーネム(アルンヘム)で北側のレック川とネイメーヘンで南側のワール川に分岐し西進、多くの支流となり、オランダの細かい水路を形成してロッテルダムで北海に注ぎます。

第二次世界大戦における連合国軍の最大の失敗と呼ばれるマーケット・ガーデン作戦は、ルール地方への道をこじ開け、ドイツの兵器産業の重要拠点を叩くことが最終目標でした。しかし、バルジの戦いでドイツ軍を撃破したことで、連合国軍はドイツ国内のライン川西側全域に進軍が可能となったのです。しかし、ライン川は川幅が所によっては数百mもあり、ドイツにとっては西部戦線の最後の防衛線です。

戦前にはドイツ国内の130カ所以上に橋が架かっていましたが、ドイツ軍はほとんどの橋を爆破し、連合国軍の進攻を阻止しようとしていました。1945年3月に入って、連合国軍はライン川の西岸をおさえ、3月末までに、イギリスのモンゴメリー元帥配下の部隊は、下流のレース、ヴェゼルで渡河に成功します。アメリカ軍主導の部隊は、ボンの南レマゲンで思ってもいなかった未破壊の橋を確保、パットン将軍はさらにずっと上流のオッペンハイムから渡河して進攻し、あからさまにモンゴメリーの戦功を減じています。

この映画では、唯一残ったレマゲンの鉄道橋を巡るアメリカ軍とドイツ軍の攻防を描いたもので、監督は「タワーリング・インフェルノ(1974)」のジョン・ギラーミン。音楽は「荒野の七人(1960)」、「大脱走(1963)」のエルマー・バーンスタイン。ストーリーはほぼ史実にのっとっていますが、登場人物の名前は実際と異なり、メインのキャラクターはフィクションです。

ライン川西側には、いまだ7万5千人のドイツ兵がおり、彼らの撤退のためのルートとして橋を破壊することに反対の立場をとるフォン・ブロック将軍は、クリューガー少佐を撤退まで橋の防衛と爆破をために送り込みます。クリューガーを演じるのは「ナポレオン・ソロ」でおなじみのロバート・ボーン。レマゲンに向かう途中、親衛隊によって逃亡しようとした将兵が銃殺される現場を目撃します。

橋の守備隊長のシュミット大尉は、1600名の兵力があると思って着任したクリューガーに、残った兵力は数百人で、武器もあまり無いことを伝えます。しかも、爆破のための爆薬も予想より火力の少ないものしかないのです。兵士たちは、来る来るといってまったく来ない援軍に戦意を喪失しつつありました。シュミットを演じるのは、ハンス・クリスチャン・ブレヒで「バルジ大作戦」では、ヘスラー大佐に忠誠を尽くす、けっこう重要な役どころであるコンラート軍曹役でした。

一方のアメリカ軍のバーンズ少佐(ブラッドフォード・ディルマン)は、功を求めて困難な任務ばかりを部下のハートマン中尉(ジョージ・シーガル)らにおしつける。疲労がたまっている彼らはレマゲンの町を先行して制圧。無傷の橋を発見します。バーンズは、上から橋を奪取せよと命令され、ハートマンに突撃を指示します。

しかし、橋を爆破されれば助からないので、部下たちの反発は強くバーンズに殴りかかる者までいました。ハートマンは、命令ならやるしかないと橋に向かいます。クリューガーらは必死に抵抗しますが、これ以上は無理と悟りついに橋の爆破に踏み切ります。しかし、爆薬不足で、橋は崩落するまでに至らずアメリカ軍の渡河を許してしまいました。

ほとんどの仲間を失ったハートマンは、「よくやった」と言うバーンズの言葉を背中で聞くしかありません。クリューガーは司令部に戻り、作戦の失敗のため銃殺されます。最後の言葉は「誰が敵なんだ・・・」でした。

正しい橋の名前はルーデンドルフ橋といい、実際にこの戦闘があったのは1945年3月7日のことです。アメリカ軍の重火器などがラインを越えた後、3月17日に自然に崩落し、現在は両岸の印象的な形をした橋頭堡だけが史跡として残されています。

従って、映画の撮影はチェコスロバキアのヴルタヴァ川、プラハから南に10kmほどのダヴレの町にあるダヴレスキー橋で行われています。地形的にも西に市街があり、東がすぐ丘陵になっているところがレマゲンと似ています。

基本的には橋を巡る攻防を描く映画ですが、敗色濃厚になってきていたドイツ軍の規律の乱れ、現実を知らない上層部と現場の確執、進軍につぐ進軍で休むことができないアメリカ軍、そして彼らも兵隊を駒としか考えない上への不満などが、しっかりとストーリーの根底にありも単なるアクション映画を枠を超えた名作と言えそうです。

2月の三巨頭が集まったヤルタ会談では、ベルリンを落とすのはソビエト軍に任すことに決められていたので、ライン川を越えた連合国軍は4月中にベルリンの南100kmまで怒涛の如く進軍して停止。エルベ川近傍のトルガウで、ついにソビエト軍と出会ったエピソードは「エルベ川の誓い」として有名です。西側諸国の連合国軍は他の地域で残存部隊をことごとく潰して、彼らのヨーロッパ戦線は終了しました。

2021年5月9日日曜日

二酸化炭素の測定



コロナ渦では、蜜を避け換気を十分に行うことが強く求められています。 そこで、最近よく見かけるようになったのが二酸化炭素の測定器。

 空気の成分は、78%は窒素で、21%が酸素。残りの1%にいろいろなものがありますが、二酸化炭素(CO2)は、0.04%。汚染物質の濃度の単位でよくみかけるppm(0.0001%)で言うと、二酸化炭素は400ppmです。

 人が呼吸の時に、酸素を吸って二酸化炭素を吐くことで空気中に増えてしまいます。吐く息(呼気)は、酸素は16%で二酸化炭素は4%と言われています。

建物内の二酸化炭素濃度は、建築基準法で1000ppm以下になるように定められています。二酸化炭素が増えるということは、空気の停滞を意味し、ウイルスの感染リスクを高めることにつながります。

1500ppm以上では、かなり頻回に換気を行う必要が生じます。2500ppm以上だと、常時窓を開けておくか、基本的には部屋に入らない方が良いということ。

診察室は、対面でお互い話をして呼気が多めの場所。今は扉を開けて解放していますが、必ずしも空気の通りがいいとは言えません。中に入らずしばらくすると、測定器が示す数字は400ppmになります。

診察室に自分だけがいると500ppm前後、患者さんがいても600ppm以上にはならなさそうです。入り口が閉まっている時の受付は、スタッフ二人がいて600ppm以下です。

リハビリ室は、広くて風通しはいいのですが、窓を閉めて10人近い人がいると800ppm近くに上がります。窓を開けて換気をすると、速やかに500ppm以下に下がるかんじです。

通常のクリニックと比べると、うちは窓が多く空気の通りはいい方だと思います。換気状態については、大きな心配はありませんが、こういう道具で安心の目安を視覚化することは悪くはないですね。

2021年5月8日土曜日

カントリーマウム チョコまみれ


カントリーマウムは、不二家のお菓子。

ソフトクッキーで、しっとり系好みの人には好評な、定番のお菓子の一つだつ思います。自分も嫌いじゃない。

だいたいスタンダードはバニラ味とか、チョコレート味。たまにコンビニなどに、変わった物が登場します。

今回、新たに登場して、かなり驚いたのがこれ。名前は「チョコまみれ」で、通常よりは一回り小さめサイズ。

開けてびっくり、食べてびっくり。

まさに、チョコにまみれていて、ほぼチョコレートと言っても過言ではない。

ちょっとずつ食べようなんて思って手で持っていると、チョコが溶けて手がデロデロになりそうなくらいまみれています。

何しろ一枚で51kcalですから、食べすぎ注意!!


 

2021年5月7日金曜日

硫黄島からの手紙 (2006)

クリント・イーストウッドとスティーブン・スピルバーグという両巨頭がタッグを組んだ「硫黄島プロジェクト」は、アメリカ側と日本側の両方の視点から、太平洋戦争の中でもとりわけ激戦だった戦いの中に埋もれた人のドラマを見つめ直すものです。

前編となる「父親たちの星条旗」は、硫黄島での戦闘を回想して、その戦闘でその後の人生が変わった人々のドラマでした。一方、後編となる本作は、逆に硫黄島の戦いの中で、かつての生活を回想することで、それぞれの正義を貫く困難を描いています。

1944年春、陸軍の栗林忠道中将(渡辺謙)が守備隊の司令官として赴任。前任者は、アメリカ軍の上陸作戦を想定し、海岸線に塹壕を構築し玉砕することばかりを考えていました。しかし、栗林はそれでは数日しかもたず、無駄死にするよりも一日でも戦い続けることが、少しでも本土防衛につながると言って、地下道を張り巡らし持久戦に持ち込むことに改めます。

栗林はこれまでも転地先から家族に手紙を書き溜めていましたが、アメリカにもいたことがありアメリカの真の実力を承知していました。日本よりも圧倒的な物量を保持することを、手紙にもしたためていました。

一兵卒のパン屋だった西城(二宮和也)は、妻と出征後に生まれたこどもが内地にいて、絶対に生きて帰りたいと考えながら、毎日を過ごしていました。彼もまた、届くともわからない妻宛ての手紙を書き続けます。

他にも、憲兵隊所属だったにもかかわらず、優しさが表にでてしまい最前線に転任させられた清水(加瀬亮)、1932年オリンピックで馬術の金メダリストである西中佐(伊原剛志)、栗林に批判的ないわゆる典型的な帝国軍人である伊藤大尉(中村獅童)などが駐屯していました。

1945年2月19日、ついにアメリカ軍の上陸作戦が開始され、防衛拠点の摺鉢山は最初の攻撃目標とされ、数日で壊滅状態に陥ります。隊長自ら自決し、仲間も次々と手榴弾で自爆する中、栗林の北部の隊と合流せよとの指令を守り西郷と清水は地下道を北進します。

途中で伊藤大尉の隊と出会い、摺鉢山から逃亡してきたと責められ切り捨てられそうになった時、栗林に兵を無駄に減らすなと止められます。しかし伊藤の隊も、じきに壊滅状態となり、次に西大佐の部隊に入りますが、ここも制圧されるのは時間の問題でした。清水は隊を抜け出しアメリカ軍に投降しますが、翌日移動の時に西郷は射殺された清水の遺体を発見します。

残存するわずかな兵を集めて、栗林は暗いうちに最後の攻撃を敢行しますが、出発に際して、西郷には司令部に残りすべての書類を焼き払うように命令します。西郷は、皆が書き溜めた手紙は穴を掘って埋め、それから明るくなった外に出ていき、瀕死の栗林を発見します。

栗林は「ここはまだ日本か」と尋ね、西郷が「日本です」と答えると、栗林は「誰にも見つからないように埋めてくれ」と言って拳銃で自決しました。西郷はアメリカ軍に捕らえられます。敵の戦車を巻き添えにして自決しようとしていた伊藤も、敵を見つけられず眠ってしまい、翌朝捕虜にされるのです。

それから60年後、硫黄島の調査団は、西郷が埋めた手紙の束を発見するのでした。

イーストウッド監督は、本来はアメリカの視点を持っているはずですが、これほどまでに日本に対して敬意が払われたハリウッド映画は他には無いのではないかと思えるくらい、実に丁寧な映画を作り上げました。基本的に全編日本語というのも、かなり珍しいことですし、下手な邦画よりよほど時代考証もしっかりしている。

少なくとも、自分の場合、義務教育課程で戦争のことについて学んだことはありませんでした。当然、硫黄島での戦いも知る由もない。イーストウッドが指摘しているように、戦後生まれの多くの日本人はそうだったと思います。高校になって日本史の教師が、南方からの復員兵だったせいで、授業はほとんど島での戦争の大変さの話ばかりだったのが、いろいろな意味で驚きでした。

戦後の日本は、軍国主義思想に結びつかないように、あえて戦争の話は避けて通ってきたように感じますが、結局それが今の日本の「平和ボケ」と言われる要因の一つなのかどうかはわかりません。そういう意味でも、日本人としては大変感慨深い作品として、イーストウッドのファンとかを越えて必ず一度は見るべき映画になっているように思います。

当時の日本が誤った道に進んでいたことは、歴史からも証明されている事実です。そして、当然戦争を肯定するようなことは思いもよりません。しかし、これもイーストウッドが指摘していますが、この硫黄島での戦い死んでいった日本人がいることが、今の平和な日本があることの一端であることは間違いなく、彼らに対して一定の理解と感謝の念を持つことを忘れてはいけないのだと感じました。

この「硫黄島プロジェクト」の2作品は、合わせ鏡のような作りになっています。アメリカからすれば、硫黄島の英雄は戦費を捻出するために作られたものだし、戦闘シーンでも必ずしも「いい子」ぶっているわけではない。味方の誤爆で死ぬものもいたりするし、捕虜をいとも簡単に殺したりします。一方、日本側も内部の意見がそろわず一枚岩にはほど遠い組織だし、部下を脅迫する上官がいたりします。

アメリカの兵隊はほとんどが二十歳前後で、到着前には陽気で無邪気。無事に帰ることが最大の目標です。一方、日本兵も若者が多いのですが、彼らは絶望的な状況の中で、いかに国のために死んでいくかを考えているという対比が強く浮き出てきます。

双方とも、戦闘の本来の英雄的な行動を映画の中で見せることは無く、おそらく戦争映画の「やった!! 勝利だ!!」みたいな解放感、あるいはカタルシスを味わうことはありません。イーストウッドは意図的にヒロイズムを封印している。結局、敵も味方も無く、そこには運命に翻弄される人々だけが存在し、そこから何を感じ取るかは見る人それぞれの感性に委ねられているのです。

2021年5月6日木曜日

父親たちの星条旗 (2006)

ヨーロッパではドイツの敗色がしだいに濃くなっていく中で、太平洋戦争もまた日本は追い詰められていました。中国、東南アジア、そして太平洋の島々はことごとく奪還され、1944年秋以降は、もはや戦う武器もひっ迫する状況でした。

国内では、本土決戦を想定して一般市民も動員し竹槍を持たせた訓練が行われ、戦地では自爆攻撃 - いわゆる神風特攻が始まっていました。降伏せず死ぬことを恐れない日本兵に対して、アメリカ軍は恐怖を感じたものの、冷静に考えてそれで形勢を逆転できるはずがない。

1945年3月9日から10日にかけて東京大空襲が実施され、軍だけでなく民間人にも甚大な被害が出ても、日本の指導者は敗北を認める気配を示しませんでした。

硫黄島は、現在、東京都小笠原村に属し、東京から1200km南方にある離島です。周囲20km程度で、南西端には標高170mの摺鉢山と呼ばれる高台があります。戦前までは民間人の居住がありましたが、戦後は自衛隊関係者のみが生活しています。

1944年10月のフィリピン、レイテ沖海戦で、海軍はほぼ壊滅した日本軍にとって、硫黄島は沖縄より遠い最後の防衛拠点の一つで、マリアナ諸島から本土爆撃に飛来するアメリカ軍爆撃機の情報などを収集していました。

硫黄島守備隊は、栗林忠道陸軍中将を筆頭に約2万1千人の兵士が駐屯していました。栗林中将は、海岸線での守備を主張する海軍に反発し、ゲリラ活動による持久戦のための島の要所を結ぶ地下坑道を作り、徹底抗戦に備えました。周囲の島々の残総兵力・兵器を集結したものの、戦闘になれば本土からの補給・増援はまったく期待できません。

2月19日、アメリカ軍はデタッチメント作戦と呼ばれる3万人の兵による硫黄島上陸を敢行しました。23日に摺鉢山頂上へ到達し、星条旗を掲げるところをAP通信の写真家・ジョー・ローゼンタールが撮影した写真が、ピューリッツァー賞を受賞する有名なものです。その後も必死の抵抗は続き、3月26日に栗林以下最後の将兵400名が突撃し「玉砕」したのです。

アメリカ軍との間の激戦により生存した日本兵は、わずかに数百名でした。アメリカ軍の戦死者は約7千人ですが、負傷者を加えると上陸したほぼ全員が無事に作戦を終えることができませんでした。

さて、この映画はクリント・イーストウッドとスティーブン・スピルバーグというハリウッドを代表する二人の巨匠がタッグを組んだ、「硫黄島プロジェクト」の一つ。

問題となるのは、あの有名な星条旗を掲げる写真についてです。この写真は、リアルタイムにアメリカ国内であっという間に(なんと撮影から18時間後)全国に配信され、「勝利の星条旗掲揚」として写っている6名の兵士は英雄に祭り上げられていくのです。

摺鉢山頂上で掲げられた星条旗は、初めに鉄パイプに約71×137cmの者が使われましたが、すぐにもっと大きな約152×244cmの物にかけ替えられました有名な写真となったのは、あとから使用された旗であり、掲げている6名は顔が写っていないのです。

当事者と考えられた6名のうち、3名は戦死し、残りの3名がアメリカに呼び戻され、戦費捻出のための国債を購入してもらうための宣伝活動を余儀なくされます。英雄は仲間全員であり、旗を立てだけの彼らは、それぞれが心に重荷を背負った人生を歩むのでした。

映画では、掲揚した一人衛生兵の「ドク」の人生を息子が調べていく形をとっています。実際に、その後の検証で人違いなどもはっきりしていて、彼らを戦争の被害者の一人として映画では責めることはしません。でも、それが現実だということもしっかりと描いているのだと思います。

戦闘シーンがメインの映画ではありませんが、「プライベート・ライアン」であれほどリアルな激しいシーンを作り上げたスピルバーグが絡んでいますから、硫黄島の回想シーンは生半可なものではありません。ノルマンディと正反対に、上陸はいとも簡単に行われたかのように見えますが、そこからの日本軍の怒涛の攻撃は凄まじい。

イーストウッドは、いつもの流儀でほぼワンテイクでこれらのシーンを収めたとのことですが、戦争もやり直しができるものではありませんから、全体は彩度を抑え爆発だけが赤く色づく撮影は見事としか言いようがない。

このプロジェクトは、同時進行した日本側からの視点による「硫黄島からの手紙」に続きます。

2021年5月5日水曜日

T-34 (2019)

ものはついで、と言ったら怒られますが、第二次世界大戦を題材とした最新の戦車映画がこれ。しかも、ロシア製、熱血戦争エンターテイメント作品という趣です。同様なアメリカのエンタメ作品としては、ブラッド・ピット主演の「フューリー(2014)」というのもあります。

どうも、実録物ばかり見ていると、どうも気が重くなってくるところは否定できません。その点、これは実話が基になっているとはいえ、ほぼフィクションの戦車アクションを単純に楽しむものということで気楽です。

当初、日本劇場公開版は113分で、ロシアお得意のボイスオーバーという形式のもの。ボイスオーバーは、同時通訳みたいなもので、はっきり言って聞き苦しい。その後139分のダイナミック完全版というのがあって、さらに191分の最強ディレクターズ・カット版が登場しました。ディレクターズ・カット版のBDは、ボイスオーバーは収録されていないし、長いのですがほぼだれることなく楽しめます。

監督はアレクセイ・シドロフ・・・って言っても聞いたことはない。主役のニコライ・イヴシュキンを演じるのはアレクサンドル・ペトロフ・・・ってこれも知りません。ヒロインのアーニャを演じるイリーナ・スタルシェンバウムも知らないけれど、なかなか清楚な感じの美人です。

T-34は第二次世界大戦で活躍したソビエト連邦の最強と言われた戦車。戦争初期には、ドイツの戦車の砲弾を弾くくらい装甲がしっかりしていて、数々の戦場で大活躍してきました。この戦車をテーマにした映画は他にもあって、特に「鬼戦車T-34(1965)」は、同じエピソードを使っていて内容は酷似しているらしい。

1941年、ドイツがソビエトに侵攻を開始し、ソビエト軍は撤退を余儀なくされます。部隊が駐屯していた村にイェーガー率いる6台の戦車隊が進撃。イヴシュキンは、たった1台のT-34戦車で、撤退する時間を稼ぐため立ち向かい撃破。しかし、負傷して捕虜となり収容所送りとなるのでした。

時は流れ、1944年、イェーガーは新たな戦車隊将校育成のため、回収したT-34を捕虜に運転させ演習の相手にすることにします。そこで目を付けたのが、かつて苦汁をなめさせられたイヴシュキンでした。条件は弾薬は無し、逃げ延びても死ぬまで何度も演習を繰り返すというもの。

承知しないイヴシュキンに、イェーガーは通訳をさせられていたアーニャに拳銃を向け返事をしなければ殺すと脅かします。アーニャに運命的なものを感じたイヴシュキンは、練習台になることを承知し、かつての仲間ステパン、ヴォルチョク、セラフィムをチームに選抜します。そして、あてがわれたT-34には、何と乗員の遺体とともに数発の弾薬が残されていたので、遺体と共に持ち出して遺体の埋葬と共に隠しました。

演習当日、いきなり実弾でドイツ軍戦車を破壊したイヴシュキンらは、あわてふためくドイツ軍を尻目に、イェーガーの部屋から地図を盗み出したアーニャを拾ってチェコスロパキアに向けて逃亡するのでした。しかし、イェーガーは行き先を読んで、4台の戦車隊と共に待ち構えついに対決の時が来るのです。

と、まぁ、よくできたストーリー。少しだけイヴシュキンとアーニャのロマンスもあって、良いアクセントになっています。全編にわたって、砲弾が飛び交うシーンはストップ・モーションのようなCGが多用され、そこまでしなくてもというところはありますが、かなり工夫のある画面構成で、映画としての質もなかなかのものでした。

ちなみに、最強ディレクターズ・カット版のBDは、自分にとってはどうでもいいオマケのせいで、DVDのトールケース仕様なのが残念なところでした。

2021年5月4日火曜日

バルジ大作戦 (1965)

1944年秋以降、連合軍は「マーケット・ガーデン作戦」の失敗により、前線に近いオランダからの補給路を確保できず、ベルギーからフランス北東部に広く停滞せざるをえませんでした。東部戦線でも、バグラチオン作戦後、戦力立て直しためソビエトもポーランド東部で動きが停止します。

劣勢のままの膠着状態を打破するため、ヒットラーは普通なら動きにくい冬の厳しい時期に、大反攻作戦を指示しました。ドイツ側からは「ラインの守り作戦」と名付けられたのは、アルデンヌから連合国軍の補給基地があるベルギーの港湾都市アントワープを数日間で目指す電撃戦でした。

アルデンヌはベルギー、フランス。ルクセンブルグにまたがる森林が多い高地の丘陵地帯で、開戦当初にはドイツ軍の意表を突いた突破により、英仏軍は「ダンケルクの撤退」に追い込まれています。

この作戦は、ある意味ドイツ版「マーケット・ガーデン作戦」みたいなもので、さらに長い180km、しかも厳冬期に進撃するという無謀なものでした。当初、この地域の戦闘は想定していなかった連合国軍は、一気に攻め込まれ総崩れ状態を呈します。このドイツ軍が入り込んだ突出部(バルジ)にちなんで「バルジの戦い」と呼ばれています。

現実には、12月17日に開始された急激な進軍に対する十分な補給ができなかったため、1週間たっても最大80kmで停止。クリスマスを境に連合国軍は体制を立て直し、天候の回復により空軍の攻撃も加わったことで、年明けには突出部を南北で挟み撃ちにする(南は驚異的な速さで到着したパットン将軍)形で形勢逆転し、1月23日にヒットラーは退却を指示しました。

双方に多大な犠牲を出す結果となった戦闘で、連合国軍はドイツ本土への進撃計画に遅れが生じます。しかし、ドイツにとっては最後のまとまった兵力・装備を喪失する結果となり、敗戦を決定づける戦いになったことは間違いありません。

映画は主だった出来事は史実にのっとっていますが、登場人物はモデルはいるもののほぼ架空のもので、細部のストーリーはフィクションです。スペイン陸軍が全面協力し、多数の戦車が縦横無尽に走り回るのは迫力のある映像で、監督はケン・アナキンが務めました。ただし、戦車同士の戦闘シーンではどうみても模型というところもありそうです。

しばしば指摘されてのは、戦車は現実のアメリカ軍、ドイツ軍のものとは大きく違い、スペインのロケ地もとても真冬の景色とは言えない。アイゼンハワーは引退後に、到底受け入れられないストーリーとし非難を表明しています。

最初に見せてくれるのは、連合軍の気の緩み。偵察と捕虜の尋問を主として行っているカイリー中佐(ヘンリー・フォンダ)は、アルデンヌ付近のドイツ軍の不穏な動きを察知して報告しますが情報部は信じません。最前線にいるのは、戦争が終わって戦利品を売って商売することぱかり考えているガフィー軍曹(テリー・サバラス)や、寒さが強まって待機所の中でクリスマスの準備をするウォレンスキー少佐(チャールス・ブロンソン)です。そして補充されてた兵員は、まだ戦ったことが無い者も多い。

一方、ドイツ軍は、開戦以来の歴戦の勇士であるヘスラー大佐(ロバート・ショー)が、戦車隊司令官として赴任してきます。将軍は、天候の悪化による空軍が出撃できない隙を突いて、アルデンヌから新型戦車を先頭に、50時間以内にアントワープを陥落させる奇襲を説明します。

しかし、ドイツ軍も兵員不足であり、戦車隊のメンバーは戦闘経験の無い者ばかり。それでも、戦う意思は強固で、パンツァー・リート(戦車の歌)を高らかに歌い団結を示します。さらに、英語を話せる兵士をアメリカ軍の服装で連合国軍陣地内に降下させ、通信網を切断するなどの後方攪乱を同時に行います。

一気に進軍したヘスラー率いるドイツ軍戦車部隊は、怒涛の進撃で連合国軍司令部のあるアンブレーヴを占領します。ヘスラーは、別動隊が捕えた捕虜を親衛隊が虐殺したことで、かえって敵の士気が上がると憤り、戦争が続く限り自分にとっての勝利であり、戦場が我が家だと言い放ちのです。

連合国軍司令官のグレイ少将(ロバート・ライアン)は、戦車の燃料が無くなってきていることに目をつけ、マース川で総攻撃をかけることにします。ヘスラーは燃料が不足しているため連合国軍の燃料集積所を狙いますが、必死の抵抗にあい全滅。生き残ったドイツ軍は、武器を捨て徒歩でドイツ目指して帰還していくのでした。

一番の見所は、(本物とは違いますが)大規模な戦車が走り回るところで、ソビエトはこの映画に対抗して「ヨーロッパの解放」を作ったと言われています。しかし、実は人間ドラマとしての側面が映画を成立させているところが大きく、フィクションが多いことで成立できたポイントです。

戦争屋であるヘスラーの身の回りの世話をしてきたコンラッド軍曹が、ついに人間としての信頼を失い、「あなたは人殺しだ」と詰め寄るところ。ヘスラーは、戦争の中にしか自分の価値を見出せない。見方によっては、この映画の主役と言ってもよい存在です。

グレイ少将は、戦いのために多大な犠牲が出ることを承知で出撃させることにためらいを見せます。刑事出身のカイリー中佐は、長年培った「勘」から「捜査」のために危険を顧みない。

捕虜となったウォレンスキーは部下の命のために果然とした態度で臨み、商売っ気たっぷりだったガフィーも戦う意義を見出していきます。新米で逃げることばかりを考えていた中尉も、何故自分がここにいるのかを発見して成長していきます。戦車が主体の戦争映画としては、よくできた作品で、名作と言われているのも納得できる。

1945年、いよいよ戦局は終盤となり、2月にヤルタ会談が行われ、勢ぞろいしたローズベルト、チャーチル、スターリンの三巨頭は、戦後を見据えたドイツの扱い方を協議するのです。




2021年5月3日月曜日

羽田空港


GWが始まっていますが、コロナの影響で、今年も何かとくすぶっているところだと思います。

昨日は、どうしても外せない用事のため、羽田空港に行ってきました。

昨年の同じ期間の数倍の飛行機の予約状況と言われていますが、例年よりはかなり少ない人出だろうと思います。

出発ロビーの様子ですが、何しろ、椅子はたくさん空いていて、立っている人が全員座れそうなくらいです。

先週、PCR検査をして陰性確認した上ですが、それでも後ろめたさがある。単なる旅行の方も、きっと心から楽しむ気持ちの人はいないのでしょうから、重苦しいGWかもしれません。

本当なら、一泊でも二泊でもするところなんですが、自分も滞在は数時間で、用事だけ済ませてトンボ返り。年を取ってくると、けっこうきついところでした。

2021年5月2日日曜日

遠すぎた橋 (1977)

第二次世界大戦のヨーロッパの戦いは、パリが解放されていよいよ大詰めですが、北上した連合軍はベルギー、オランダにおけるドイツの抵抗に手間取り、1944年のうちに終結することができません。

連合国軍総司令官アイゼンハワーを悩ませたのが、二つのポイント。まず、ドイツ軍の撤退が思ったより早くて、連合国軍の補給路が数か月で600km以上に延びてしまったこと。当然、補給がなければ進めない。各地の連合国軍はベルギー領内で停滞せざるを得ない状況になりました。

そして、もうひとつの問題が、イギリスのバーナード・モンゴメリーとアメリカのジョージ・パットンという二人の将軍でした。モンゴメリーは堅実な作戦をとり着実に成果を上げるものの、面子を重んじて指揮系統の支配権を率直に上申してきます。かたや、パットンは出世欲はありませんが、攻撃あるのみでしばしば全体の戦略を乱すのです。

シチリア島上陸作戦では、南から上陸した両者は、当初はイタリアへの足がかかりになるメッシーナ制圧はモンゴメリーに栄誉を譲ることになっていましたが、パットンは快進撃でモンゴメリーよりも早くにメッシーナに到達し、ライバル心を露にしています。

パリ解放は、モンゴメリーは作戦を拒否。ドイツに迫る作戦についても、アメリカが主張する広く包囲する作戦に対して、モンゴメリーは一点集中で一気呵成になだれ込む方法を主張して対立します。

連合国軍の足並みの乱れを危惧したアイゼンハワーは、やむを得ずモンゴメリー案を採用し、1944年9月、連合軍はドイツ国内への進軍に必要なオランダ内の河川を支配するため「マーケット・ガーデン作戦」を行いました。これは、敵陣内に大規模なパラシュートで降下した兵が、ライン川の渡河までのポイントを確保するというもの。

モンゴメリー将軍が立案したのは、まずマーケット作戦として、アメリカ軍第101空挺師団がアイントホーフェンに、そして第82空挺師団がその北のナイメーヘンに、そしてイギリス軍第1空挺師団とポーランド第1独立落下傘旅団はさらに北のライン川をまたいだアーネム(アルンヘム)に降下し、それぞれが橋を占拠したところへ、ガーデン作戦として陸路イギリス軍第30軍団が約100kmを進撃し、オランダを一気に通り抜けてドイツ本国への玄関口をこじ開けようというものでした。

当初からかなりの困難が予想されていましたが、オランダ領内からイギリスめがけてV2ロケット攻撃が始まったため、作戦の正当性が増していました。先に言うと、それまで快進撃をしていた連合国軍としては、ノルマンディ上陸以後最大の死者を出し撤退し作戦としては失敗。モンゴメリーにとっては汚点ともいえる結果に終わっています。

映画が作られた1977年は、「スター・ウォーズ」の年でもあり、まだSF大作でさえアナログな特殊撮影で作られ、CGなどは無い時代です。おそらく戦争映画で、リアルな車両、戦闘機などが登場し、物凄い数のパラシュート部隊が降下する様などは、これがおそらく最後かもしれません。

また、この作品も戦争映画にありがちな、大スター乱れうち状態の作品で、まぁ、次から次へとよくそこれだけ有名人を揃えたものだと感心します。監督はリチャード・アッテンボローで、ある意味これを映画として完成させるのはかなりの力量と評価できる。

さて、映画は最初から不穏な空気を漂わせています。モンゴメリーの薫陶を得たイギリス軍のブラウニング中将(ダーク・ボガート)は、部下の危険性の報告を聞かず、モンゴメリーが大した敵はいないという言葉を信じ、計画を楽観視している。実際には、偵察飛行によって予想をはるかに上回る兵力が確認できても信じません。

アーカート少将(ショーン・コネリー)率いるイギリス軍第1空挺師団は、目標より遠く離れた場所に降下させられ、大事な装備を乗せたグライダーを撃墜されます。無線機は不調で使い物にならない。アーネムでは先に町に入ったジョン・フロスト中佐(アンソニー・ホプキンス)は、橋のそばで、アーカートもその手前で敵に包囲され孤立してしまいます。

ギャビン准将(ライアン・オニール)が率いる第82空挺師団は、ナイメーヘンの手前で強力な敵勢がいて進軍をはばみます。第101空挺師団は、橋を爆破され迂回を余儀なくされますが何とかパンドール中佐(マイケル・ケイン)の第30軍団のルートを確保しました。

第82空挺師団は、ボートで川を渡り両側からドイツ軍を挟み撃ちにすることになり、この危険な任務をクック少佐に任せます。ここで登場するのが、この映画が作られた当時最大の人気俳優であったロバート・レットフォード。さすがにかっこいい。失敗に終わったこの作戦の中で、唯一勇気ある成功した部分という、とっても美味しい部分をかっさらっていきました。

しかし、天候の悪化のため遅れてアーネムの手前に降下したソサボフスキー准将(ジーン・ハックマン)のポーランド第1独立落下傘旅団も、先行したイギリス軍に近寄ることもできません。ついにフロスト中佐は弾薬も尽き降伏します。アーカートにも徹底命令が下りました。

何とかブラウニング中将の本営に戻ったアーカートは、「8000名の部下を失ってゆっくりできるわけがない」と伝え、中将は「モンゴメリー元帥は90%成功し満足している。あの橋は遠すぎた」と言うのでした。

残された結果は、投入されたイギリス軍第1空挺師団1万人のうち、撤退できたのは2000名、戦死者1000名、残りは捕虜となったのです。イギリス軍はアメリカの協力が足りなかったという言い方をしたようですが、現実に強引な作戦により多くの兵力を無駄にしただけの結果がすべてを物語っています。この後、モンゴメリーは重要な作戦からは遠ざけられ、連合軍は広正面でドイツ軍をじわじわと追い詰めていくことになります。

スター俳優が多い割には、それぞれの立場が最初から最後まで描かれ、単なるゲスト的になっていない。特に007を卒業したショーン・コネリーと「ハンニバル博士」のアンソニー・ホプキンスは、最も活躍していると言えそうです。

大戦末期の進撃する連合軍内の問題点、敗走するドイツ軍の混乱、巻き込まれる民間人、そして何よりも戦争の中で駒として簡単に敵地に送り込まれる兵士たちの存在を浮き立たせています。第二次世界大戦を題材にした物語としては、映画としてもよくできています。

やはり、人は成功より失敗から学ぶことが多い。失敗した作戦だからこそ、戦争の理不尽さみたいなところが映画の中からにじんでくるのでしょうか。アーネムの橋は、現在は再建され、最も悲惨な戦いを強いられたフロスト中佐に敬意を表してジョン・フロスト橋と命名されています。

2021年5月1日土曜日

パリは燃えているか (1966)

1940年5月、英仏軍のダンケルクの撤退により、ドイツ軍は一気に南下。フランス政府は、パリを無防備都市宣下し、6月14日にドイツ軍は無血でパリを占領しました。

フランスの北半分はドイツの支配下におかれ、南半分はヴィシーにドイツの傀儡政権が名ばかりの自治を行うことになりました。これに対して、ジャルル・ド・ゴール将軍は、イギリスにて亡命政府「自由フランス」を樹立し、フランス国内の国民に対して徹底抗戦を呼びかけました。

1944年6月、フランスのノルマンディに上陸したイギリス・アメリカを主とする連合国軍は、敗走するドイツ軍を追うように北東に向かって進軍していきました。上陸作戦直前に、ド・ゴールは自由フランスを元にフランス共和国臨時政府を北アフリカのアルジェに樹立し、フランス解放軍を組織しました。臨時政府は、国内の市民らのレジスタンスをまとめる全国抵抗評議会と内地フランス軍と連携をとります。

レジスタンスはいろいろな組織の集合体で、実際はパリ解放後の実権を巡って主導権争いが活発でした。連合国軍の反攻開始は、彼らの4年間のくすぶっていた気持ちも盛り上げて、すぐにでも蜂起する勢いになっていきます。ド・ゴールも影響力を最大限に発揮するため、連合軍の総司令官アイゼンハワーに、パリの解放を急ぐように強いリクエストを寄せました。

連合国軍からすると、パリは軍事的な要衝ではなく、またベルリンに向かうには遠回りを余儀なくされる場所であるなどの理由で、本来は後回しにしたかったようです。しかし、フランス人にとっては、パリは母国の象徴であり、何よりもドイツからの自由を回復することが精神的な勝利につながるものでした。

ド・ゴールは、連合国軍からの離脱さえちらつかせ、なかば強引にアメリカ軍をパリに向かわせることに成功します。これに対し、ヒットラーはディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍を新たなパリ占領軍司令官に任命し、何があってもパリを明け渡してはならないと強く命令しました。

さらにヒットラーは、敵に渡すくらいなら灰にしろと命じます。実際、同じ頃にポーランドのワルシャワは、ドイツ軍撤退時に完全に破壊され廃墟と化す状況に陥っています。このヒットラーのパリに対するこだわりの理由ははっきりしないのですが、おそらく若いころに画家を目指していたヒットラーにとって、芸術の宝庫としてパリには大きな価値を見出していたのかもしれません。

この映画は、国内レジスタンスが蜂起し。連合国軍がパリ市外に入り解放されるまでを、名匠ルネ・クレマン監督が史実にのっとって映画化したものです。脚本は、フランシス・フォード・コッポラ。実際の記録映像も交えて、セミ・ドキュメンタリーのような白黒の構成です。

最新のブルーレイ版は、冒頭のヒットラー登場シーンはドイツ語ですが、他は基本的にフランスの俳優の台詞は英語に吹き替えられています。全編フランス語版もあるようですが、やはり「史上最大の作戦」のようにそれぞれの国の人物が母国語で話す方が自然です。

映画では、ヒットラーが暗殺計画の直後、大本営「狼の巣」にコルティッツを呼び出しパリ占領軍司令官に任命するところから始まります。爆破された会議室や、ヒットラーも傷を負っている様子が描写されています。8月7日にパリに着任したコルティッは、緩んでいた軍を引き締め、パリを完全破壊する縦鼻を始めます。

8月15日、警察、地下鉄、郵便局などが一斉にストライキを開始。次々と建物にフランス国旗を掲げ始めます。8月19日に、内地フランス軍のロル大佐を中心に、ついにレジスタンスが武装蜂起しました。しかし、彼らの武器は連合国からの供与もありますが、大半はドイツ軍から奪ったものや手製の火炎瓶など。対するドイツ軍は戦車も出動して応戦します。

中立国スウェーデンのラウル・ノルドリンク領事の仲介で両者は休戦協定を結びますが、ロル大佐らの急進派は無視して画策。パリ郊外で包囲する形をとっていた連合国軍陣地へ、部下のガロア少佐を派遣し、連合国軍のバリ進攻を取り付けます。そして、フランス解放軍のルクレール将軍が独断先行する形で、8月23日ついに進軍を開始します。行く先々の町での歓迎ぶりがすごい。

パリのドイツ軍は、パリ市街地の要所に爆薬を設置。しかし、すでにヒットラーの狂気とドイツの敗北を確信しているコルティッツは、爆破することなく無条件で降伏し、ノートルダム寺院の鐘が高らかに鳴らされました。司令部の電話機の向こうから、ヒットラーの「バリは燃えているか? (Brennt Paris?)」の声が聞こえていました。

映画の最後、空撮によるパリ市街の映像が、ここだけカラーで流れてエンド・ロールになります。3時間近い作品ですが、やはり背景となる連合軍やフランス軍、レジスタンスなどの関係があらかじめわかっていないと、登場人物が多すぎて内容の理解がしづらいかもしれません。

基本的な主役は、ドイツ軍司令官であるコルティッツ将軍で、「史上最大の作戦(1962)」ではロバに乗ってコーヒーを届ける下っ端だったゲルト・フレーベです。「007/ゴールド・フィンガー(1964)」で存在感を示し、この映画で将軍に昇進して帰ってきたという感じ。また、ノルドリンク領事はオーソン・ウェルズで、この二人のやり取りだけをテーマにした「パリよ、永遠に(2014)」という映画も作られています。

その他の出演者は、大勢のフランスとアメリカのスター俳優で、オール・スター・キャストによる群像劇のスタイルです。いずれもストーリーに深く関わるわけではなく、ほとんど一瞬の顔見世興行みたいな感じ。大スターが起用されているだけに、かえって思わせぶりなだけ。

ジャン=ポール・ベルモンドとアラン・ドロンが一つの画面の中にいるのはちょっと感動。シャルル・ボワイエ、レスリー・キャロン、ジョージ・チャキリス、カーク・ダグラス、グレン・フォード、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス、シモーヌ・シニョレ、ロバート・スタック他、知った名前のオン・パレードです。

第二次世界大戦の中では、戦略的な意味づけは乏しいかもしれませんが、パリ解放はドイツの敗北を強く印象付ける出来事としては象徴的であり、映画で知るにはこの映画一択という作品ですから、外すことはできません。