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2010年8月18日水曜日

Andreas Vesalius

医者の勉強の基本は・・・やはり、人体の構造をちゃんと知っていること。つまり、解剖学。

でも、人体の構造はいまだにすべてが解明されているとは言えません。肉眼的な、マクロのレベルでの解剖学はさすがに完成していますが、いまや遺伝子のレベルのミクロの世界の解明に力がそそがれ、そのかなりの部分がわかってきているわけです。

マクロの解剖学についても、その歴史は紆余曲折があり、解明が完了してのもそれほど昔のことではありません。

そもそも、約2000年前のヒポクラテスを医学の祖とするのが一般的ですが、それまでの祈祷師的な世界を体系づけて学問として成立させたことは画期的だったわけですが、人体の構造についての正しい認識はありませんでした。

次に医学の偉人となるのは2世紀のギリシャのガレヌスです。ガレヌスは動脈・静脈・神経の存在を確認していましたが、それぞれが独立した体液の流れをもっていると考えていました。当然、今の知識からすれば明らかな誤りです。

しかし、困ったことにガレヌスの影響があまりに大きく、医学はガレヌスを超えることができなくなってしまったのです。ガレヌスの学説がまずありきで、それに見合わないことは誤りであるとして切り捨てられてしまうようになったのです。

このような状態が、なんと驚くべきことに16世紀まで続くのです。16世紀の大学の医学の教授は、高いところからガレヌスらの著作を読み上げるだけで、実際に人体の解剖を行ったりはしませんでした。

このような閉鎖的な誤認だらけの人体解剖学に疑問を持ち、自ら人体の解剖を積極的に行い、ガレヌスの説の誤りを明文化して近代医学を切り開いたのがベサリウスなのです。

ベサリウスは、なんと22歳で解剖学の教授に就任しました。もちろん、今の大学教授とはだいぶイメージは違うようですが、ひとつのセクションを任されたこと違いありません。

解剖するのは死刑になった罪人の遺体が中心ですし、まだ当時はホルマリンによる防腐処理が開発されていない時代ですから、解剖できるチャンスは多くはありませんし、一度始めると時間との勝負です。

その中で、ベサリウスは徹底的に人間の構造を追及して、ガレヌス批判を恐れずに、28歳のときに「ファブリカ」と呼ばれる600ページを超える解剖学書を発行しました。それまでの解剖学の教科書とはまったく違う、綿密なスケッチを基にした、それでいて芸術的な解剖図は画期的なものだったのです。

ベサリウスでなくても、どこかで正しい人体の構造を誰かがいつかは発見したかもしれません。しかし、ガレヌスの「呪い」に支配されていた医学に正しく物を見る目を開かせたのは、ベサリウスだけの功績であり、現代の自分たちが医者をやっていられるのも「ファブリカ」がスタートにあることを改めて認識しなければいけません。