夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬遠い空。
学生のときは夏と言えば合宿でした。熱血硬式庭球部は毎年軽井沢で合宿をしていました。今みたいに、有料道路が整備されていなかったので、関越でとりあえず藤岡まで行って、それからはひたすら一般道を進みます。
峠の釜飯の荻野家で休憩してから碓氷峠を登っていくのが定番でした。軽井沢に着くと、そこは避暑地の別世界・・・というのは幻想で、日差しから隠れることのできないテニス・コートで地獄のような1週間をすごすのです。
超まじめな体育会系運動部でしたから、ロブ追い、振り回しは当たり前。とにかく、ひーひー言うようなことをひたすらやって、そのかわり夜は毎晩どんちゃん騒ぎます。それが作法というものでした。
帰りはオプションで、藤岡から素直には東京方面には帰らず、尾瀬の方角に寄り道をしたりします。もっとも、水芭蕉をたのしもうなんて風流な気持ちはありませんから、あまりまじめな観光客とはいえません。
当時は自分をはじめ大多数は車の運転免許は持っていませんでしたので、数少ない免許あり車あり(それって学生の分際でけっこうボンボンということ?)の部員におんぶにだっこでした。もっとも、お陰で楽しい合宿にいけたわけですから感謝しないといけません。
今だからいえますが、フェアレディZに乗っていた先輩は関越道に入ると時速180km/hで一気にきえてしまったものです。自分ののせてもらった同級生の車は、もう車内カラオケ大会状態だったりして、THIS IS 青春!! とはこのことか。
東京もだいぶちかくなった高坂SAで、一度集合して「無事」を確認したら解散。あとは好き勝手に帰るという、けっこういい加減な計画でした。少なくとも自分が知っている限りは、事故も無く警察に捕まるようなことはありませんでした。
夏とともだちだった、あの頃に一瞬くらいは戻ってみたいような気がする今日この頃です。本当に、若さは大切にしたいものです。