自分が卒業した渋谷区立渋谷小学校は、明治通りと青山通りと表参道に囲まれた三角地帯のほぼ真ん中にあつて、明治時代から「美竹の丘の学び舎」として歴史を刻んできた学校でした。
しかし、こどもが減ったことで渋谷区は簡単に廃校を決め、もう数十年前に消滅してしまいました。校庭は狭くて、確かトラックは60mくらいが精一杯。自分が在学していたときでも、一学年2クラス、1クラスに児童は30人ですから、消えるのはしょうがないかもしれませんが、今となっては大変残念な気持ちです。
夏になると、当然たのしみはプール。縦25mのプールがあったのです。渋谷の小学校にはプールの無い小学校もあって、うちの学校にはよその生徒がプールを使いにくることがありました。そんなときは、ちょっと自慢げな気持ちになったものです。
学校で独自の水泳の級をくれたのですが、一番簡単なのは7級。これは浮かべばOKという簡単なもの。ちょっとでも泳げれば6級。横12.5mを泳ぐと5級。縦25mまでいければ4級だったように思います。
ここからは潜水が入ってきて、横12.5m潜水で3級だったと思います。自分はここまでいったのですが、そこからは未知の世界。ですから、2級と1級がどれだけ泳げれば取れたのか覚えていない、というよりも知らないのです。
昭和40年代の東京の水は大量の塩素が混ざっていましたが、プールの水はそこにさらに追加された塩素で目がぴりぴりしたものです。でも夏のこどもにはそんなことは関係ありません。目を真っ赤にして泳ぎまくった日々は、本当に楽しい思い出です。