クリニックの夏季臨時休診のお知らせ
8月11日(木) 山の日 通常の祝日で休診です。
8月12日(金)~8月17日(水) 臨時休診します。
8月18日(木)より、通常通りの診療をいたします。18日は木曜日なので、午前のみの受付になりますのでご注意ください。

2014年5月22日木曜日

ピリオド奏法のこだわり

以前に、古楽器による演奏とモダン楽器による演奏にこだわっていないという主旨のことを度々書いてきました。

現代の通常の楽器を使って、楽譜通りに演奏するのは、極々普通のこと。ピリオド奏法を行う演奏者は、作曲家の生きていた時代に実際に使われていた楽器、またはその複製を用いて、当時の雰囲気を限りなく再現する・・・ものと思っていました。

実際、古楽器の方が音量は少なく、響きも悪い。これは、新しいものほど、改良されてきた結果ですから、当然といえば当然。もっとも、今のような大きなコンサートホールなんて、そうそう無かったでしょぅから、特に困っていたということもないでしょう。

ですから、どうがんばっても完全に再現することはタイムマシーンでもできない限り不可能ですから、聴いて気持ちがよければ、ピリオドでもモダンでも、どっちでもいいと考えていたわけです。

ガーディナー先生は、ピリオド奏法を中心に活躍してきた人。アーノンクールらとともに、80年代から盛んになって来た初期の古楽ブームの仕掛け人ともいえます。初めの頃は、ただ古楽器を使ってみましたみたいな演奏が多かったと評されるのですが、次第に奏者も楽器の扱いに慣れてきて、90年代以降は、どんどん優れた演奏が増えてきました。

さて、宗教曲からあらためてバロック音楽、あるいはそれ以前の音楽を聴くようになってみると、この古楽かモダンかという問題はずいぶんと重要であることに気がつかされます。

そもそも、現代とは音程が違っていたということ。つまり調律の問題が出てくるわけで、現代は一定の周波数の音は一定の音階名が当てられていて、どの楽器でもその名前の音は同じ高さの音として演奏されます。

詳しい楽典を知らないので、あまり細かいことはわかりませんが、バッハの時代には楽器によって音の高さが違っていたということがあります。つまりバッハの直筆譜通りに今の理論で演奏すると、まったく正しいハーモニーが生まれてこない可能性が出てきます。

楽器によって、どのように調律するかは重要で、当時の楽器が完全に使えればまだいいのでしょうが、今の楽器だと出せない音もたくさん記載されていたりする。1オクターブ上で演奏するのか、あるいは下で演奏するのかによって、曲の聞こえ方はずいぶんと違ってくることは容易に想像できます。

宗教曲では、重要なのは声楽パートですが、これについてもずいぶんと事情が違っていたようです。バッハの頃の教会では、女性は教会内ではしずかにしていないといけないと言われていたそうです。また大学に行く女性はいませんでした。

つまり、教会で歌われる独唱にしても合唱にしても、女性の声はなかったということです。また、大学でも女性がいないわけですから、高いパートもすべて男性が歌っていたわけです。

これは、主に少年合唱隊が割り振られていました。ボーイソプラノの高い済んだ声が重要な役割をしていたのですが、今より遅めの16~18歳ごろに変声期を迎えると、後は後進に譲って通常の男性歌手となるわけです。

また、その美しい声を維持するためにヨーロッパ中で行われていたのが去勢でした。男性ホルモンを失った歌手は、美しいソプラノの声を維持でき、彼らはカストラートと呼ばれ、ずいぶんと活躍したようです。

バッハが亡くなったころから、しだいに衰退して、19世紀後半にやっとカトリック教皇によりはっきりと禁止されます。女性の声が使えず、良い少年合唱団なしで、カストラートもいないとなると、通常男性が裏声を用いていたわけで、今で言うカウンターテナーが活躍することになります。

いずれにしても、バッハが毎週の教会のカンタータ演奏に起用していたのは、各地をいつでも巡業しているようなプロの音楽家ではないことは明らかで、聖トーマス教会の楽器奏者と神学校の生徒たちです。彼らが、単純に譜面を理解して、数日の練習ですぐに演奏できることが重要だったはずです。

それだけ楽譜というものが、現代とは読み方が違っていたのだろうということになります。ということは、バッハの直筆譜を単純に、そのまま演奏すめばよいということはなく、やはり作曲者の時代のいろいろな研究成果を推敲して、現状で可能な限り復元する作業の結果がピリオド奏法ということであり、こだわるには深い理由があるということです。

そうなると、出来るだけピリオド奏法による演奏で聴きたくなってきました。確かにカール・リヒターのマタイ受難曲などは、まさに荘厳の一言に尽きる襟を正さずにはいられない名演だとは思いますが、バッハがこんなに大勢のオーケストラや合唱団を用いた演奏をしたことは絶対にありません。

リヒターの荘厳さは、今の演奏法による響かせるだけ響かせた音から来るものであって、バッハの音楽を利用したリヒターの精神世界の具現化の産物なのです。リヒターの音楽として傑作であることは、まったく否定されることはありませんが、本来のバッハの世界とはどこかが違うといわざるを得ません。

そこのところを理解していれば、どちらを好むかは聴く人各自の自由です。ピリオドとモダンを単純に比べて、どっちがいいとか悪いとか言うのは意味がありません。