2016年2月17日水曜日

遠い電子メディア



音楽CD販売数は激減し、多くの音楽はダウンロードに移行しつつあると言われています。いまだに、ほぼ音楽のダウンロードには手を出さない自分としては、どんどん置き場所がなくなるCDを買い続けている。

おじさんからすると、レコードの時代に比べればCDはまさに「コンパクト」であり、「こんなにあるのにこのスペースですむ」という感覚があります。

そもそも、並んだCDを眺めていると所有欲が満たされるということもあるし、それなりに自分の法則で並べていると、一目瞭然にまだ持っていない物とかも判断しやすい。

どうしても、手に入れにくい物とか、まぁどうでもいいような物について、今までに何度かダウンロードにしたことがありますが、フォーマットがちゃちだったり、ブックレットが付属していなかったりと、何かと不満が残る。

またアップルが大嫌いな自分としては、iTuneなどという使いにくい音楽管理ソフトは使う気は無いし、その亜流のいろいろなソフトも特に必要とはしていないんです。実際、圧倒的にパソコンで音楽を聴くことが多いにもかかわらず、Windowsのエクスプローラで十分と思っている。

歩きながら音楽を聴く人たちは、ダイレクトにスマホなどで再生できるダウンロードは便利でしょうけど、なんか音楽の使い捨てみたいなところも感じてしまいます。


一方、電子書籍の普及は足踏み状態。

こちらも、おじさんとしては、何度か買ったことはありますし、コンピュータ好きとしては「紙の無い未来」というものに、一定の期待は持ち続けてきました。

紙の本が売れなくなったと、よく言われます。だからと言って、電子書籍が増えているわけではなく、書籍全体が売れなくなっているということ。

電子書籍は、例えばすべてがPDFで統一されたりすればいいのでしょうが、販売会社によってフォーマットがたくさんありすぎます。どれかを買っても、スマホでは見れてもパソコンでは見れなかったりする。

そもそもコンテンツが、一部の売れそうな物か、あるいは中途半端に古い物ばかりで、揃えたくても揃えきれない現状があると思います。

だからといって「ケータイ小説」と呼ばれるようなものは、何か薄っぺらな感じがして、手を出す気にはなりません。

基本的にパソコンの横長の画面で、本を読むのは疲れるし、ずっと集中して画面を見ていると目の疲労もはんぱない。だからと言って、スマホでは画面が小さく、タブレットや電子書籍専用デバイスを持ち歩くのもめんどう。

CDと同じで、書籍を並べる楽しみ的なものも無い。本は持ち歩くと重くてかさばるのですが、昭和人としては本当に読むつもりなら、紙の方が圧倒的に集中できるというのが現実です。

ほぼ一日中、そして一年中、パソコンを利用しているにもかかわらず、メディアの電子化に対して距離感が縮まらないというのは、結局結論は、やはり昭和人だからということになるのでしょうか。