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2020年9月13日日曜日

Ornette Coleman / The Shape of Jazz to Come (1959)

マイルス・デイビスが「Kind of Blue」で、演奏者をコード進行の制約から解放するモード奏法を打ち出した頃、もう一つの自由を求めた演奏スタイルが産声をあげていました。

オーネット・コールマンの登場です。28才であった1958年に初リーダーを録音して、その翌年にすでにこの邦題「ジャズ来るべきもの」を発表し、まさにフリー・ジャズの開祖となりました。

まず1曲目からして驚くのは、ジャズの核心であるインプロヴィゼーションをほぼ廃していること。何ともふしぎにな旋律のテーマが繰り返される間、ベースはほぼ単音に近く、ドラムは細かくリズムを刻み続けます。

そうかと言って、2曲目はテーマは簡潔でほとんど無いに等しいくらいで、あとはアルトサックスでおもちゃ箱をひっくり返したように吠えまくる感じ。

一部には、従来のジャズ風の部分もあるんですが、そういうところでもコードは存在していない。同時に複数の声部を出せるピアノを廃したクァルテットですから、より各自がテンポと基本となる調だけ取り決めてほぼ自由に音を出している。

はっきり言って、好きじゃない。このアルバムは、それなりのテーマと一定のリズムがあるので、聴けなくはないのですが、フリー・ジャズは60年代にリズムも打ち捨ててほとんど音の洪水と化してしまう。

ちゃんと楽器を操りも基本的な楽典を理解しているから、はちゃめちゃな演奏ができるんだと言う方がいるし、一頃は自分もそう思っていました。確かに素人が、訳も分からずただ音を出しているわけではないのはわかります。

これはクラシック音楽のフリー化でも同じことが言えると思うのですが、結局メロディを捨て、和声を捨て、そしてリズムすら捨ててしまうと、楽器間の有機的なつながりが無くなって、それはもう意図的な雑音としか感じられません。

少なくとも、一般鑑賞者の自分としては、音を楽しむ「音楽」とは言えないものになってしまうので、名盤と言えども、歴史的価値がある一枚以上の存在ではありません。