デヴィド・フィンチャー監督の「SE7EN」に続いて送り出した作品は、主人公がまったく理解できないトラブルに巻き込まれていくサスペンス。
すでに、前作で独自のカラーを打ち出していたフィンチャーですが、この映画でもフィンチャー・ワールド全開で、すでに作家性が確立してきたように思います。
ストーリーは、実は最後に大どんでん返しがあるので、見てない人にはさすがに教えられない。とりあえず、大事なポイントだけおさえておきます。
大富豪で仕事一筋の堅物、ニコラス・ヴァン・オートンを演じるのは、普段の役は何か色欲が目立つマイケル・ダグラス。そのあまりできの良い弟とは言えないコンラッド・ヴァン・オートンは、ショーン・ペン。そしてニコラスに絡む謎の美女、クリスティーンにはデボラ・カーラ・アンガーという配役。
ニコラスは小さかった時、おそらく誕生日バーティの8mmフィルムで記録された映像から映画はスタート。父親は、タバコを片時も離さない大富豪で、フィルムの中で笑うことはありません。実はすでにこの映像の中にたくさんの仕掛けがあり、見ている物はフィンチャーの「ずる賢い」誘導にのせられています。
何故かは明らかにしていませんが、父親は48才で自宅で飛び降り自殺。ニコラスは父親の跡を継いで、今は笑うことも忘れひたすら仕事をする毎日。タバコは吸わず、妻にも去られ、父親の代からいる家政婦だけと豪邸に暮らしています。
これは自分にも言えることだと思いますが、こどもは親に愛されたいし親を超えたい、いわゆるフロイトの提唱するエディプス・コンプレックスが存在する。少なくとも男の子にとって、最大のライバルは父親であり、父親よりも劣った存在にはなりたくない。
こどもの時に父親を突然亡くしたニコラスは、おそらく巨大な父親像の記憶しかなく、絶えず父親よりもまだ劣っている自分という強迫観念をもっているのではないかと思います。そして、ニコラスは、父親が亡くなった年齢と同じ48才の誕生日を迎えました。
コンラッドは、大学を中退し、精神を患い入院していたこともある。ニコラスは、父親代わりとしてコンラッドを見守ることも自分の使命の一つと考えているようです。コンラッドは、誕生日プレゼントだと言って、ニコラスに一枚のカードを渡します。
そのカードは、CRS(Consumer Recreation Services)という会社が提供する「ゲーム」への招待状でした。詳細は不明のままですが、ゲームは人生が変わるような体験ができるものらしい。そして、その日からニコラスの生活の歯車が徐々に狂いだしていくのです。
彼の周囲に起こる奇妙な事件はどんどんエスカレートしていき、車ごと海に落とされたり、銃撃を受けて死にそうになる。そして、全財産を失い気がつくと棺桶に入れられてはるか離れたメキシコにいました。無一文のニコラスは、唯一残った亡き父から送られ形見の高級時計を売って金を作り、なんとか街に戻ります。
全てを失ったニコラスは、父親からの呪縛から解放され、初めて人として大事なことが見えてくる。妻が去った理由も理解し、初めて素直に謝罪することができました。そして、CRSの正体を知るべく反撃を開始するのです。
巧妙に仕掛けられた罠にはまるのは、ニコラスだけでなく見ている我々も同じ。次から次へと起こる出来事は、何が本当で何が嘘なのか、誰を信じていいのか、混乱する一方です。しかしタイトルそのものが示しているように、フィンチャーはこれはすべて「ゲーム」なのだというところがすべてを現している。
事件の連続でサスペンスを基本にした映画ではありますが、その結末を知るとある意味笑えないコメディです。しかし、フィンチャーがその中に忍ばせている人間性に関するテーマは深遠で、すでに名匠の風格を認めざるをえない。一度は一緒に騙される価値のある映画だと思いました。