夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2010年10月28日木曜日

八海山ビール

何度もお世話になっているセンター南の「梵(ぼん)」ですが、先日は長女の誕生日だったので家族で利用しました。

そこで、日本酒で有名な八海山のビールが飲めるわけです。これが、美味しい。ちょっとフルーティなすっきりした味わいです。

そこで、ネットで探して買ってみました。正直言って安くはありません。この値段を出すなら、ベルギービールでもいいかもしれない。まぁ、美味しく飲めるなら、あまり下世話なことを考えてはいけません。

酵母が生きている真の「生ビール」ですから、クール宅急便で送られてきました。賞味期限は2ヶ月間。

最初の一ヶ月は、さわやかな喉越しが楽しめる。次の一ヶ月は熟成した味わいなんだそうです。と、いうことは今すぐ全部飲んではもったいない。

次は11月の末に楽しむことにして、大切にとっておく・・・おけるかなぁ?

2010年10月27日水曜日

センター南医療ヴィレッジ

センター南医療ヴィレッジというのを知ってますか?

自分が入っているクリニックビルの名称は・・・ベルヴィル茅ヶ崎。平成17年にビルができて。4月に小児科泌尿器科が先陣を切りました。年末に眼科自分(整形外科・リウマチ科)が追って開業しました。さらにビルは違いますが、産科の先生も参入してくれました。

今年は、それぞれのクリニックが満5周年を迎えました。その後内科耳鼻科がオープンして、都筑区内で最も充実したクリニックモールになりました。

最初は、自分のクリニックをなんとか切り盛りするのに精一杯ですが、だんだんいろいろな関係が増えてきますから、いろいろと時間の制約が増えてくるものです。

今までにも、モール全体で運営会議と称して飲み会を幾度と無くやっています。なかなか、まとまりの良いクリニックモールとして、他の先生からも羨ましく思われることがしばしばあります。

ところが、科が違うとそれぞれの用事は重なることが少ない。つまり、飲み会をやりたくても、全員のスケジュール合わせが難しいのです。前回も2ヶ月くらいの中で、全員の日程を聞いたところ、結局1日しか揃える日がないという事態でした。

ヴィレッジのコンビニを自称する自分としては、そろそろ忘年会をやりたいと思うわけで、皆さんに11月から12月半ばまでで日程を聞いてみました。

何と驚いたことに・・・2日もあいている日が見つかりました。いやいや、これは予想を超えた成果です。1日でもあればラッキーと思っていたので、2日も選択肢があるというのは奇跡に近い。

それだけ、それぞれのクリニックが発展してきたということだと思います。忙しいというのは幸せなことです。やるべき仕事があるというのは、がんばる活力です。

よーし、楽しい忘年会を企画しましょう。頑張っているからこそできる楽しみですからね。

2010年10月26日火曜日

ベビー・ラッシュ ~ あすなろ淡水魚館


つい2週間前に稚魚が生まれたと思ったら、その直後からまた♀のおなかがふくらんで・・・

ついに昨日産むわ、産むわの大騒ぎ。
3匹、いやいや5匹いる。どいつもこいつも、体長は2~3mmで、半透明なので見つけにくい。

よ~く見たら7匹だ。さすがにこのままじゃどんどん食べられてしまいそうなので、ベビー専用ルームを設置しました。

やっとこさ、すくいあげたら・・・8匹でした。

前回2匹だと思っていたのは、実はもっといてすでに気がついたときには食べられていたのかしらん。

前回の2匹のうち1匹は消えてしまいましたが、残った1匹は2週間で体調1cm以上になって、もう食べられる心配はなさそうです。

グッピーの生態については、まったく勉強不足で、何がどうなるのかよくわかりません。もうちょっと、まじめに育成しないといけないなと反省しているところです。

2010年10月25日月曜日

忙しい時のブログの書き方

いや、まぁ、その・・・そんなたいそうな事を書くつもりはないいのですが、要するに先週は忙しかったので、そんなとき毎日更新するブログをどうしているかという・・・

要するに言い訳を書いておこうというのが、今日のブログの主旨。

先週は、例によって土日当直して、月曜日は夜に近くの大学病院との連携協議会。火曜日は久しぶりに家で夕食。水曜日は、関節リウマチの毎月の勉強会。木曜日は午後は休診ですが、ちょっと私用がありました。

金曜日は医師会の理事会で、土曜日は相模大野までいって関節リウマチ講演会に出席。お世話になっている先生の講演なので、ちょっとテリトリー違いの講演会でしたがでかけてみました。

そして、やっと昨日の日曜日。1ヶ月ぶりにまったく予定のない休日で、朝から目一杯うだうだして、完全休養することができました。

で、けっきょく、ブログをゆっくり書いているヒマがなかなかないということになるわけです。

そこで、まずは日曜日に当直中のヒマな時間や木曜日の夜に書きためておいてということになるわけです。自分の使っているBlogger(Google)は、いつ公開するかの日時を指定できるので、順番をつけておくという具合。

となると、リアルタイムな話を書くわけにはいかないので・・・そこで映画の話ということになるわけです。音楽ネタは最近、けっこう書いていますから、ちょっと遠慮してみました。

原則として、リアルタイムに毎日書くようにしているのですが、たまにこういう時があるのはお許しいただきたいと思います。

それにしても、映画の話といっても、自分が知っている映画を適当にチョイスするというのは意外に難しいものです。そこで、好きな俳優で3つ、好きな監督で3つ、全然関係ないところで1つを選んでみました。

いずれも、自分が繰り返し見たくなるという基準で決めてみたのですが、何しろ
好き勝手な意見ですから、世間一般からは認めてもらえないかもしれませんね。

まぁ、本当に忙しい時や、へろへろに疲れているときは、超短い文章一つでごまかしてしまいますから、先週はまだ余裕があったのかもしりません。

2010年10月24日日曜日

ライト・スタッフ

1983年、アメリカ映画。  

小学校の時、アポロ11号の人類初の月面着陸はこどもながらに大変なインパクトを与えてくれました。この映画は、そこに至るアメリカの宇宙開発の歴史を物語として見せてくれるのです。 

基本的なストーリーは実在するテストパイロットだったチャック・イェーガーの伝記に基づいて進行するのですが、もちろん映画用にフィクションもかなり盛り込まれており、とにかく3時間の長丁場ですが飽きることなく一気に見ることができます。

音速を超えることに命をかけていた時代から、宇宙へ飛び立つマーキュリー計画、そして月にたどり着くためのアポロ計画へと、アメリカ威信をかけた政治的思惑も加わったプロジェクトが進行していきます。

その中で年老いて表舞台から去っていく者、事故で命を落とす者、栄光をつかんで絶頂に上り詰める者、いろいろな人間模様が交錯し壮大なドラマとなって、見ている者を感動させずにはいられません。 

監督のフィリップ・カウフマンは、どちらかというと脚本家で監督作品としては他に見るべき物はない。実はクリント・イーストウッドの「アウトロー」(1976)の監督に抜擢されていながら、あまりにしょうもなく首になった過去があるのです。 

そういう意味では、脚本がよかったのか、プロデューサーの手腕のおかげなのか、はたまた出演者の演技力にささえられたのか、カウフマン監督としては奇跡の一作ということができるかもしれません。 

実際、出演者がいい。男性陣はサム・シェパード、スコット・グレン、エド・ハリス、デニス・クエイド、女性陣はヴェロニカ・カートライト、バーバラ・ハーシーといった個性的な当時なら全員が助演賞をとれそうな人ばかり。特にイェーガー役のシェパードがいい。そして、家を出たら(死んで)帰ってこないかもしれない妻を演じるハーシーもいい。ビル・コンティの雄大なテーマ曲も悪くない。 

いずれにしても、60から70年代のベトナム症候群から脱却し、壮大な夢の実現 - アメリカン・ドリームを高らかに謳いあげた一作といえるでしょう。このあと事実上の続編的な「アポロ13」を生み出すことになります。 ただし、一方で「地獄の黙示録」、「デア・ハンター」、「プラトーン」といった病めるアメリカを客観的に見つめなおす作品に注目が集まることが多く、ある意味ノー天気なこの映画は片隅に追いやられた感があるのも事実でしょう。

2010年10月23日土曜日

泥棒成金

今週は映画ウィークということで、旧作ばかりですが芸術として娯楽として忘れられない作品を紹介しています。

映画の中にはいろいろなジャンルがあるわけですが、娯楽作品は一般的にB級扱いでアカデミー賞などでも冷ややかに見られていることが多い。最も、最近は内容よりも商業性のほうがまさっているような感じがしますけれど。

そういう意味では、映画の娯楽性、いかに観客を楽しませるかということを考え抜いて作品を作り続けたのがアルフレッド・ヒッチコックではないでしょうか。

ヒッチコックに対する思いはすでに書いてしまいましたし、娯楽作品としての傑作である「鳥」については、けっこう前にネタにしています。他の代表作としてしばしば名前が出るのは「サイコ」、「裏窓」、「北北西に進路を取れ」など、もうあげだしたらきりがありません。繁盛しているコロッケ屋さんみたいなものです。

ヒッチコックの作品を読み解くには、いくつかのキーワードがありますが、その代表的なものが「マクガフィン」です。これは話の展開の上で重要なもの、物だったり人物だったり、単なる言葉の場合もありますが、実はどうでもいいわけであくまでも「きっかけ」程度のことであるのです。

ヒッチコックはマクガフィンを効果的に使う天才で、観客はほとんどそれを意識することなくストーリーに没頭させられてしまうのです。

そして、次に「間違えられた男」がしばしば登場します。日常から非日常の落差が大きなスリルを生んでいくわけで、そういう意味では失敗作と言われている「トパーズ」は最初からスリルを持っているスパイが主役だったことがつまらなくしている要因かもしれません。

そして、ヒッチコックは短い画面展開 - カットバックを繰り返し行うことでハラハラドキドキ感を盛り上げたり、マクロ(俯瞰ショット)からミクロ(アップ)への画面転換で観客を一気に引き込んで効果的にサスペンスを作っていくことが得意でした。

映画は観客を裏切ってはいけない、というのもヒッチコックの映画哲学のひとつです。観客は登場人物に感情移入していくので、観客が期待する状況をうまく提示していくことが商業的な成功の秘訣であると述べています。

それを逆手にとったのが「サイコ」です。誰もが主役と思っている有名女優が物語の前半で惨殺されてスクリーンから消えてしまう。こんなことは、普通ありえない。これが観客によりいっそう大きな混乱と恐怖を与えているのです。

さて、そこでヒッチコック作品としては娯楽に徹して、サスペンスよりも比較的ユーモアの多い冒険活劇ものとして「泥棒成金」(1955)を取り上げてみます。

これは、明らかに当時ヒッチコックがお気に入りだったグレース・ケリーを撮ることが目的の映画と言っても過言ではありません。高級リゾートのリヴィエラを舞台に、ヒッチコック物にはおなじみのケイリー・グラントをちゃかして、遊び心をふんだんに取り入れているのです。

美人女優と人気男優、美しい風景、ユーモア、冒険という具合に、観客が文句なしに楽しめる要素がふんだんに盛り込まれました。まさに、観客の期待を裏切ることが無い、教科書的な娯楽作品なのです。ですから、「泥棒成金」は傑作とまではいえないかもしれませんが、適度の刺激を求めて映画館にきた人々を十分に楽しませることができました。

実は最近感じているのが、一連のトム・クルーズの作品。つまり、ヒッチコックの娯楽映画はかくあるべきみたいなところを、意識してかしていないのかはわかりませんが、けっこう影響されているのかなということです。最新作もキャメロン・ディアスの巻き込まれ型のコメディ要素も取り入れたサスペンス。

偉大なるヒッチコックが、映画を作る人たちに与えた影響ははかりしれないものがあって、直接的でなくても、さまざなところにその足跡が残されているということは間違いありませんね。

2010年10月22日金曜日

博士の異常な愛情

スタンリー・キューブリック監督の代表作と言えば、たぶん誰もが知っているものとして「2001年宇宙の旅」(1968)が当選確実だと思います。確かに、すばらしい映画で、エンターテイメントとしても、哲学的思索願望を満たしてくれるところも完璧です。

近未来バイオレンスの傑作「時計じかけのオレンジ」(1973)、中世完全再現の「バリー・リンドン」(1975)、心理的ホラーの傑作「シャイニング」(1980)、ベトナム戦争のアメリカ人の闇を描いた傑作「フルメタル・ジャケット」(1987)、夫婦間の深層心理学を抉り出した「アイズ・ワイド・シャット」(1999)。

「2001年」以後は、30年間でたったの5作品というのが驚きですが、その一つ一つが問題作であり、その濃厚な内容は他の映画監督とは一線を画するものでした。

「2001年」以前はというと、1951年からはじまるフィルモグラフィですが、最初の10年間はほとんど雇われ監督という扱いであり、正直言ってみるべきものは少ない。

そのピークにあるのがカーク・ダグラス主演の「スパルタカス」(1960)で、ただただ長いだけの当時流行した古代史スペクタクル映画の二番煎じでした。しかし、ここでキューブリックは自分流に仕事をすることに開眼したといわれ、完全主義者のキューブリックは次の「ロリータ」(1962)によって、初めて映画作家として認識されることになったのです。

そして、いよいよこの作品です。

正式なタイトルは''Dr. Strangelove or : How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb''であり、邦題も「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1963)というやたらと長い。

これは大戦後の冷戦状態で、被害妄想を膨らませ、核戦争の危機を現実のものとしてしまう完全なブラック・ユーモアを描いたもので、この時代の中での警笛として映画史上忘れることのできない作品となりました。

もちろん、キューブリックの映画術が最も前面に出てきているのは間違いないのですが、このブラックユーモアをサポートした人物として、脚本に参加しているテリー・サザーンの影響がつよく感じられるのです。

サザーンは「イージーライダー」の脚本家としても有名で、小説「キャンディ」、「マジック・クリスチャン」などの作品を通じて、60~70年代の病めるアメリカを代表する文化人と言う事ができます。

そして、もう一人主演+助演男優であるピーター・セラーズの活躍も大きい。セラーズは3役をこなし、それぞれの違う役どころを同じ人物が演じることで、さらにこの映画の混沌とした世界を効果的にシェイクしているのです。特にDr.Strangeloveの怪演は鬼気迫る名演です。

「2001年」前夜、キューブリックの映画人としての自信が始めて噴出した作品として、忘れてはいけない大事な映画として認識することにしましょう。

2010年10月21日木曜日

イノセント

1976年、イタリア映画。
巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作。編集作業段階で心臓発作のため、ヴィスコンティはわずかに69歳で死去。すでに書いたように、お気に入りの映画監督の一人です。

ヴィスコンティの映画は、正直言ってかなりハードルが高い。純文学のような、とにかく見て感じて、そして何かを語り合わなければならないような高貴さが満ち満ちている。

全体的に長めの映画で、しかも笑いの要素などは一厘も存在しません。しかし、どの映画を見ても、基本的なテーマ、あるいはコンセプトは変わることは無い。ですから、そこに絞って見て行くと、何となくわかったきになる。

つまりヴィスコンティが描くのは、繁栄・退廃・没落という世界です。もともと貴族出身のヴィスコンティは自ら、その過程を体験したのです。そして、第二次世界大戦のなかで、人間の本質とか、いろいろなものが見えてきたのでしょう。

没落の後に、さらに新生があったら、相当希望の持てる明るい映画になったでしょうが、ヴィスコンティは没落でおしまい。それがネオリアリズム・・・つまり現実ということでしょうか。

舞台から出発し、ルノワールの下で映画術を勉強。1942年「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で映画デヴューし、亡くなるまでの35年間で監督作品は17本というのは多くはありません。

「イノセント」では古いスキャンダル小説を原作として、19世紀末の貴族の退廃を描いています。好き放題の貴族が妻の浮気を疑い、苦悩した末に自分の子ども殺し、自らも絶望の中で幕を引いていく過程を、たんたんとつづっていくのです。

主演は、ジャンカルロ・ジャンニーニ。後年「ハンニバル」で殺されるために出てくるみたいなあわれな刑事を演じていましたが、これにはある意味泣かされました。

そしてその妻には「青い体験」でブレークした、当時のイタリアのセックスシンボル女優だったラウラ・アントネッリ。お色気以外何の取り得も無いような女優ですが、この一作のみによって永遠に映画史に記憶されることになりました。

それにしても、華麗な貴族の世界を描きつつも、まったく明るさがなく虚栄の極致とも言える描画はみていて息苦しくなります。華やかな別荘でも、美しい景色がこれでもかと出てくるのですが、主人公たちの愛情の欠如が雨雲のようにたれこめている。

ところが、実はヴィスコンティ・ファンとしては、そこがまたたまらないところなのです。そこでギャグでもでてきたら、すべてが台無しです。その重圧感を楽しむことが重要。

自由人を気取っているものの、その結果がもたらす重大な結末を受容できず、自ら滅んでいくこの主人公にはとても感情移入はできません。。デカダンのムード楽しみたいと思います。

2010年10月20日水曜日

ボギー!俺も男だ

1972年、アメリカ映画。

監督はハバート・ロス。70年代アメリカ・ニューシネマを代表する監督ですね。たくさんのちょっと軽めの笑いを入れたロマンス物が得意で、「ボギー! 俺も男だ」も初期のかくれた傑作ではないかと思います。

原題は'' Play it again, Sam''で、「カサブランカ」(1942)の中でハンフリー・ボガートが酒場のピアノ弾きに言う台詞。このあとに有名なAs Time Goes Byがはじまるわけです。正確にはagainは入っていないので、これはこの映画に込められた思いということでしょう。

ということで、まさにこの映画は限りなく「カサブランカ」を中心としてハンフリー・ボガートに対するオマージュが詰まった映画なのです。そして、ダンディの代名詞のようなボガートに憧れるダメ人間を演じるのがウッディ・アレン。

アレンは実際に脚本も書いており、そういう意味でも、まさにボガートにリスペクトしているのはアレン本人。アレンはアメリカ・インテリ階級(ある意味ベトナム戦争によって病めるアメリカ人の代表)の象徴みたいなひとですからね。逆にがちな男っぽさを振りまくボガートには、本気で憧れていたのだと思います。

ダメ人間の主人公は「カサブランカ」の映画が大好きで、何かとカサブランカのハンフリー・ボガートが妄想に登場して、いろいろあおってくる。友人の奥さん(後に私生活でもパートナーになるダイアン・キートン)に恋をするが、空港で別れを告げかっこよく決めるわけです。

スタッフ、キャストともに70年代を代表する人たちによる、シリアス・コメディの傑作と言える映画です。元ネタの「カサブランカ」と共に、一度は見てもらいたい映画としてご紹介します。

2010年10月19日火曜日

天国から来たチャンビオン

1978年、アメリカ映画。監督と主演はウォーレン・ビーティ。

スーパーボールでの活躍が期待されていたアメフトのクォーターバック(司令塔ですね)が、交通事故で死亡。彼は天国に行くと、天使長(名優ジェームズ・メイスンが演じていました)から、死んだのは間違いと言われる。

下界に戻ってみると肉体は荼毘に付され、仕方がなく奥さんに殺された大金持ちの体に期限付きではいることに。そこで、お金を物をいわせて、ロサンゼルス・ラムズ(実在のチーム)を買い取って、自分がクォーターバックをすることにしちゃうという荒唐無稽な話です。

もとからのコーチにだけは事情を説明し協力をしてもらう。金持ちの企業が公害を発生させていると知ると、そこから撤退。抗議活動をしていた美しい学校教師(ジュリー・クリスティ)と恋に落ちる。

ここにさらに奥さんと不倫に関係にある自分の部下がからんで、どたばたコメディ的要素が加わって、もうにぎやかな映画になっています。

スーパーボールを目前して、そろそろ金持ちの体が使えなくなる期限がせまり、主人公は恋人にいうせりふ。

「心配はないよ。怖いことなんてないさ」

そして、分かれた直後に奥さんの陰謀で再び金持ちは殺される。スーパーボールがはじまり、試合の途中でラムズの正クォーターバックがタックルを受けて死亡。主人公は、彼の体に入ってチームを優勝に導くのです。

試合が終わって、スタジアムの通路を歩いていると、向こうから恋人がもとの金持ちのクォーターバックを探して歩いてくる。すると、通路の灯りが消され真っ暗になってしまいます。主人公にはもう、以前の記憶は消えています。彼は通路の出口の扉を開けながら、

「心配はないよ。怖いことなんてないさ」と、言うのです。

彼女は何かをかじるのでした。そして、肩を並べてスタジアムを後にするのでした。

・・・って、なんかロマンチックでしょう。単なるラブコメディではありませんよ。アメフトのアクション的なところもあり、いくつもの要素が絡み合って、なかなかのテンポで進んでいくのです。そして、最後のしんみりした感じがまた最高です。

このバックで効果的な音楽を作ったのが、フュージョン音楽で有名なデイブ・グルーシン。18世紀の管楽器の合奏風の、風格はあるけど堅すぎない音楽が随所にちりばめられてムードを盛り上げます。

このあとウォーレン・ビーティはロシア革命の中に飛び込んだアメリカ人を題材にしたREDSという映画をつくります。ここでも、ダイアン・キートンとの絶妙な夫婦愛を描いて見せます。終盤、駅での再会シーンは映画史に残る隠れた名場面だと思います。

60年代終わりから始まる、アメリカ・ニューシネマといわれる映画の中で、ウォーレン・ビーティは「俺たちに明日はない」からのまぎれもないスターの一人であったことは間違いありません。

2010年10月18日月曜日

荒野の用心棒

うーん、いろいろな意味で有名な映画。1964年、イタリア製。

まず、黒澤明監督の「用心棒」のリメイク作であることは、設定・筋書きから明かであるにもかかわらず、許可を得ていなかったため盗作扱いされ、実際の裁判でも負けている。

アメリカで西部劇テレビシリーズ「ローハイド」で人気が出始めたクリント・イーストウッドが主演し、名実共にイーストウッドの名実共に出世作となった。

監督は今でこそ大物となったセルジオ・レオーネ、音楽も大河ドラマの音楽(武蔵)も作って超有名人のエンニオ・モリコー。当時はまったくの無名の駆け出しだった。

この作品からマカロニ・ウェスタンという言葉ができて、以後イタリア製西部劇は独特の人気を持つジャンルとして確立された。

まぁ、いろいろありますが、自分としてはイーストウッドの第一回映画主演作として、映画史に記録すべき名作であると認識しているわけです。

それまでのイーストウッドの出演映画は、B級映画の脇役ばかりです。ローハイドで人気が出たのはいいけど、契約上アメリカの映画に出れなかったので、イーストウッドは日本映画のリメイクの西部劇、しかもイタリア人が作るという胡散臭い話に飛びついた・・・いゃぁ、飛びついてくれてよかったですよね。

最終的には、どれだけ「かっこいい」ガンファイトを見せるかという所に向かって進んでいくわけです。ローハイドでは、どちらかというと好青年風の役柄でしたが、ここでは悪とも善とも言えないニュートラル、どちらかというと見た目にもダーティで、以後のイーストウッドのイメージを決定づけたということが言えます。

それが、ハリウッドがイーストウッドをB級俳優というような扱いをし続けることにつながるのは皮肉なことです。1971年からは映画作家として、自らメガホンをとるようになるわけですが、早くから独特な世界を作り上げていました。

ハリウッドがついにイーストウッドを評価したのは1992年の監督作品「許されざる者」でした。皮肉なことに引退して落ちぶれたガンマンという役所を自ら演じて、アカデミー監督賞を受賞したのです。

年を取るに従って老いを隠すことなく、こつこつと映画を作り続けたイーストウッドは、今や80歳。ハリウッドの長老として変わりなく現役として活躍続けています。まだまだ、これからも楽しませ続けてもらいたいと心底祈っています。

2010年10月17日日曜日

Il Giardino Armonico BOX

これまでにもクラシック音楽の中で古楽というジャンル、あるいはピリオド楽器による演奏(作曲された時代の楽器を使用する)は、自分の場合は否定もしないし肯定もしないという、まぁ言ってみればこだわっていないということを書いてきました。

作曲者の意図をできるだけ正確に演奏に反映させるというのは、ある意味正しい演奏解釈なのでしょうが、それを突き詰めてしまうと「演奏不能」ということになりかねない。

数百年前の楽器だけでオーケストラを編成することは不可能。そのほとんどは復元楽器です。演奏会場も、今のようなコンサートホールとはまったく違う響きをもっていたでしょう。

最大の問題は、演奏する側と聴く側の人々の意識がまったく違う。今は楽譜以外にも録音・録画の資料が豊富にあり、聴きたいときに何度でも聴き直すことができます。もっとも、それが本当の生きている音楽ではないという考え方もありますけどね。

ですから、自分の場合は音楽として気に入るか入らないかのことだけになってしまうのです。ただし、歴史的背景というのは無視はできないことで、例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタにしても、32曲を作っているあいだにピアノの著しい進歩があったわけで、それに伴い音域の拡大や技術的な革新という変遷があるわけです。

エリー・ナイアルバムにベートーヴェンが使用したフォルテピアノを使った録音が残されていますが、正直言うと歴史的な価値は認める物の、ほとんど残響もなくポコポコした壊れたピアノの音のような感じで、聴いていて気持ちはよくありません。

現代ではいとも簡単に演奏できるようなものもあれば、今となっては演奏のしようがないような場合もあるでしょぅから、楽器・楽典の歴史というのは知っていた方が何かと楽しみを広げてくれることに役に立つはずです。

ちょっと生意気な中学生の頃の自分はバッハを中心としたバロック音楽が好きだったのですが、これは楽器としてのチェンバロとパイプオルガンの音が気に入っていたからです。

ですから、あまり知識もなく初めてグレン・グールドのアルバムを買ったときは失敗したと思いました。バッハをピアノで演奏するなんてありえない、という気持ちだったんですね。特にグールドのノン・レガート奏法で、ペダルをほとんど使用しないので、よけいにピアノらしくもない音がダメで完全お蔵入り。

5年くらい前に、たまたまあらためて聴いたとき、なんか新鮮な新たな感動がありました。ジャズとかロックとかを聴いたあとで、感性がだいぶ変わってきたのだろうと思いますが、これはこれでグールドというジャンルの音楽として完成されたものと思えるわけです。

ピアノ以外に好きな楽器の音はチェロ。これはフルニエのバッハ/無伴奏組曲から始まるのですが、落ち着いた低音が心を癒してくれるのです。名手クイケンによる復元古楽器による演奏も悪くはない。

ヴァイオリンでも、最近はムローバやポッジャーのような古楽器奏者が注目を集めるようになっていますが、今のところ狙っているのはポッジャーのモーツァルトのソナタ全集。CD8枚で分売されたので、ボックス化されて廉価になるのを待ちわびているというわけです。

そんな古楽器関連の所有CDで、とりあえずお奨めなのがイル・ジャルディーノ・アルモニコの廉価版セット。イタリアの古楽器楽団としては、はずせないグループです。11枚のCDに代表録音がぎっしり詰まっていて、かなりお得な感じ。

ヴィバルディの四季やバッハのブランデンブルグ協奏曲などの有名曲は、イムジチの定番の演奏と比べて、かなりのスピードで過激な演奏と言えると思いますが、これがなかなか刺激的で楽しい。ある意味ロックに通じるところがあるかもしれません。

とりあえず古楽というのがどういうものを知るのには大変便利なセットで、是非一家に1セット。損はありません。

2010年10月16日土曜日

iPadに未来はあるか?

ぶっちゃけ、負け惜しみではありません。iPadという道具、少なくとも自分には向いているとは思えない。

理由① 大きすぎる。手帳感覚で使うには中途半端にでかい。

理由② どこでも使うためには3G通信の契約をしないとだめ。

理由③ やはり文字入力はキーボードが便利。

理由④ 根本的にアップルが嫌い。

なんだか、ひがみっぽい感じがしますが、現在携帯電話をスマートフォンのXperiaを使用していると、どこでも手軽にインターネットが見れるというのは大変助かるのは事実。

閲覧するには画面はでかいにこしたことはないというのも事実。指でさーっと動かす感覚は、慣れるとものすごく便利である反面、誤動作もしやすくいらつくことがある。


iPadを完全に閲覧専用の端末と考えれば問題はないのですが、当然いじっていると文字入力をする場面が出てくる。携帯電話の指入力が得意な人には問題ないのかもしれませんが、自分の場合キーボード以外のインターフェースはからっきしだめなのです。

携帯ですでに月に8000円近く払っているのに、さらに数千円追加して契約するというのもなんだかなぁ、という感じ。携帯のSIMMカードを挿入して、使用する端末を自由に交換できるようなシステムになったらいいんですけど(なりそうな気配はありますが)。

とは言え、いろいろ考えてみると、根本的な理由としてアップル嫌いというのが、最大の理由のような気がします。

もうかれこれ20年くらい前でしたか、アップルが話題になりはじめて、日本の代理店はキャノンだったんですよね。キャノンはシェアを拡大するために、使用するソフトを違法にコピーしたのを配布するという、今から考えると過激な作戦をとりました。

これでアップルに対する根強い不信感が形成されたわけで、もうどうあがいても払拭できるものではありません。

その後の製品の数々も、アップルの秘密主義には辟易してしまいます。特にi××シリーズはいずれも、アップル伝統のブラックボックスとなっていて、ユーザーはアップル戦略の囲い(ソフトもハードも)の中から抜け出ることができないような仕組みになっている。

もっとも、ただの家電製品みたいなものだと思えば、その方が便利でしょうけどね。実際、仕様としては今時のものとしてけして高級とはいえない中身ですが、ブランドイメージというのはすごいものです。

まぁ、とにかくそんな風に思っているユーザーもいるわけです。とにかくiPadが一つの起爆剤となって、よりコンピューティングが楽しくなるならよしとしましょう。

2010年10月15日金曜日

Fumiko Shiraga / Mozart Piano Concertos arranged by Hummel

クラシックである程度聴き込んでいくと、聴くものが無くなる。そりゃ、そうでしょう。ベートーヴェンにしても、200年くらい前に死んでいるわけで、当然新作は無い。どこからか、ピアノソナタ33番なんて譜面が出でてこないとは限りませんが、まぁ普通は期待できる話ではありません。

そうなると、お気に入りの演奏家のものを次から次へと聴いていくか、お気に入りの曲のいろいろな演奏を楽しむというのは自然の道筋ということになります。

とは言え、これにも限界がある。グレン・グールドは30年前に亡くなり、もう新しい録音が出てくることもないでしょう。

じゃぁというわけで、辻井くんを片っ端から聴き倒そうと思っても、まだ数枚のCDしかありません。

バッハのゴールドベルク変奏曲の世にあるすべての録音を制覇してみようと思っても、あまりにありすぎてとても無理。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは32曲全部聞くのにほぼ丸1日はかかりますし、とても何人も聴き続けることはできない。だいいち、お金がかかってしょうがない。

結局、そういうクラシックファンが、次に目をつけるところは「編曲物」というジャンルであることは必然の結果といえそうです。

作曲者自身が編曲する場合と、他人が編曲する場合。ほとんどそのままに編曲する場合もあれば、よくぞここまで変えてくれましたというようなことある。

以前にベートーヴェンのピアノ・ソナタを他人が弦楽四重奏に編曲したものを紹介しましたが、実はベートーヴェン自身もソナタ9番を自ら弦楽四重奏に編曲しているんです。スメタナ四重奏団の演奏で聞くことができますが、さすがに自分の曲だけに文句のつけようがありません。

モーツァルトは人気作曲家だけあって、いろいろな人がいろいろな曲をいじっているのですが、ピアノ協奏曲については直弟子のフンメルの編曲集は、モーツァルト編曲物の決定版といってもいいかもしれません。

ピアノ協奏曲をピアノ、フルート、ヴィイオリン、チェロという4人編成で演奏するようにしたものですが、弟子だけあって、当時のモーツァルトの実際の演奏に即したものと考えられています。

当時は、録音なんてことは当然できませんし、大編成のオーケストラが簡単にあちこちで演奏するわけにもいかない。ですから、こういう小編成に編曲したものがちょこちょこと演奏されることが、曲が知れ渡ることに大きな関係があったといわれています。

今回の白神典子の演奏は、このフンメル版に焦点を絞った好企画。この人は日本人ですが、早くからヨーロッパを舞台に活躍しており、特に「編曲物」を取り上げることが多いので、マニアには受けがいい。

以前にショパンのピアノ協奏曲の室内楽版を聴いたのですが、もともとオーケストラが下手くそなショパンですから音をそぎ落として、エッセンスだけにした室内楽版は大変いい感じで嬉しくなってしまいました。

モーツァルトのピアノ協奏曲では、オーケストラを最小人数に絞り込むフンメルの力に驚かされます。そして曲の中でのピアノの動きが手を取るようにわかるのが、実に楽しい。

原典至上主義と考える方には邪道な方向性だとは思いますが、改悪なら困りますけど、こんな楽しいいじり倒しは、もっともっとやってもらいたいものだと思うわけです。