アカデミー賞が発表されましたね。これはアメリカの批評家などが投票するもので、一般の人気投票とは違います。今年は日本の映画が外国語映画賞を受賞し、話題が大きくなって盛り上がっています。もちろん、それは日本映画にとってはおめでたいことで、日本人としても喜ぶことであることは間違いありません。
さて、映画というものを自分がリアルタイムに楽しんでいたのは70年代から80年代。一番お気に入りの監督はアルフレッド・ヒッチコツクとルキノ・ヴィスコンティ、そしてスタンリー・キューブリック。ヒッチコックは、イギリス出身のサスペンス映画の神様。ヴィスコンティはイタリアのネオリアリズムを追求する重厚な芸術作品の監督。
ヒッチコックは、娯楽映画の王道をいくような作品が多く、フランソワ・トリフォーとの対談で映画の技法を語り尽くした「映画術」という本は、映画を見る人にも作る人にも教科書的なテキストで、何回もむさぼるように読みました。
1940年の「レベッカ」はゴシックホラーという位置づけで、アカデミー賞作品賞を受賞しています。しかし、これには当時「風と共に去りぬ」で飛ぶ鳥を落とす勢いだった敏腕プロデューサーのセルズニックの力が大きいことはあきらかで、悪くはないのですがヒッチコック作品としては緩急が無く、自分としては凡作という思いがします。
テレビの洋画劇場で初めて「鳥」をみたときの恐怖といったらありませんでした。また、代名詞ともいえる「サイコ」のショッキングな展開も忘れられません。そうかといえば、「北北西に進路をとれ」のノンストップのサスペンスは見応えがあります。一定の視点から描く「裏窓」の実験的な試みも捨てがたい。
今でこそ、それらのテクニックは当たり前にいろいろな映画の中に模倣され、「普通」になってしまいましたので、いまさらオリジナルをみても驚くようなことはないかもしれません。でも、ヒッチコックがいなかったら、ほとんどの映画はただのフィルムの無駄使いになっていたかもしれないのです。
一方、ヴィスコンティは貴族出身。すでに貴族は形だけになり、どんどんすたれていく存在でした。ヴィスコンティは、ひたすら新しいものの出現による古いものの没落をテーマにして映画を作り続けます。ユーモアはなく、とことん悲しいばかりの人間の性を描き出すことに集中していました。
一番有名なのは「ゲルマン三部作」と呼ばれている後期の一連の作品です。「地獄に堕ちた勇者ども」ではナチスドイツに踊らされる企業の栄華と崩壊。「ベニスに死す」ではかつての栄光に生きる老作曲家。そして「ルードヴィヒ~神々の黄昏」では、まさに貴族の狂気の自滅。
実は、その後に続く生涯最後の2作品「家族の肖像」と「イノセント」がけっこう好きなんです。これは昔、池袋の名画座で友人とオールナイトでみたことも関係していると思います。眠気と、作品からの精神的疲労は相当なものでした。
さて、キューブリックは、ちょっと違います。「スパルタカス」は歴史スペクタル大作。「博士の異常な愛情」は超ブラック・ユーモア。「2001年宇宙の旅」はスターウォーズ以前での、芸術的SFの傑作。「バリー・リンドン」は長いだけの退屈な中世ドラマ。「フルメタル・ジャケット」はベトナム戦争のリアリズム。「シャイニング」はサイコホラーの傑作。
一つ一つの作品には、徹底したリアリズムを要求しているのですが、テーマはいろいろ。ある意味では、人々が自分では体験できない様々なファンタジーの世界を見せてくれる、もっとも映画的な監督だったのかもしれません。
これらの芳醇な世界を知らない映画ファンに、是非みてもらいたい。映画というものが、どうなものか知ってもらいたい。最近の映画のほとんどは、テレビドラマとかわらない。作品としての質よりも、話題性に頼って作り捨てられているものが多すぎます。そんな薄っぺらい世界じゃないはずです。10年、20年たっても何度でもみたくなるような映画が、今後増えることを期待してやまないわけです。