2021年2月5日金曜日

セブン / SE7EN (1995)

人気映画シリーズの一つに「エイリアン」のシリーズがありますが、第1作(1979年)と第2作(1986年)のヒットの後作られた第3作(1992年)は評判が悪い。企画段階からトラブル続きで、どういうわけか監督を引き受けたのが初映画監督となるデヴィッド・フィンチャーでした。

ヒロインのリプリーを演じるシガニー・ウィーバーは、当初出演しない方針だったのですが、内容に口出しして良いという条件で登場。ですから、初監督作で気合の入ったフィンチャー監督と頭を丸めて意気上がるウィーバーは事あるごとに対立したらしい。

そんなわけで、フィンチャーはこの映画の後は、「映画を撮るくらいなら大腸がんで死んだ方がまし」と言うくらいでしばらく映画界から距離を置きます。「エイリアン3」は、スタジオ側がフィンチャーと関係なく編集を入れたため、フィンチャー自身は自分の作品とは認めていません。

デヴィド・フィンチャーは1962年生まれで、十代の頃から映画に興味を持ち8mmカメラをいろいろいじくっていたようです。ジョージ・ルーカスが設立したILMに1980年入社し、映画界の仕事を始めます。

1986年に自らビデオ制作会社を立ち上げ、多くのビック・スターのプロモーション・ビデオで名が知られるようになりました。そこで初めて長編映画から声がかかったのが「エイリアン3」だったというわけ。

1年半がっくりしていたフィンチャーは、1995年「SE7EN(セブン)」で復活を果たし、今や主としてサスペンス系映画の第一人者として確固たる地位を築きました。

完全主義者として有名で、100テイク撮ったこともあるなんて話が知られています。MVで名を上げたスタイリッシュな作りは独特で、サスペンスと言ってもいわゆる犯人捜しではありません。1992年のデヴュー以来、約30年間で長編映画はわずかに11本。一つ一つの作品の作り込みは半端でないことは容易に想像できます。

早速、本人が認める「処女作」である「セブン」から全部見てみようじゃありませんか。ただし、最新作「マンク(2020年12月)」は公開されたばかりで、まだ見れないのであしからず。

タイトルの由来はキリスト教における「7つの大罪」から来ています。聖書では言及されていませんが、人を罪人にしてしまう源として4世紀ごろから言われ始めたものとして、傲慢(pride)、強欲(greed)、嫉妬(envy)、憤怒(wrath)、色欲(lust)、暴食(guttony)、怠惰(sloth)の7つをあげています。

脚本を書いたアンドリュー・ケビン・ウォーカーは、ミルトン作「失楽園」、ダンテ作「神曲」、チョーサー作「カンタベリー物語」などの宗教的古典からヒントを得て、「7つの大罪」に合わせた連続猟奇殺人事件のストーリーを作り上げました。

冒頭、主役となる二人の刑事が紹介されます。1週間後に定年退職を迎えるウィリアム・サマセット(モーガン・フリーマン)は、独り者で几帳面。当地に赴任してきたはがりの新米が、デビッド・ミルス(ブラッド・ピット)で、若者らしく慎重さには欠けますが元気とやる気が取り柄。数分間で、二人のキャラクターを視覚的に分からせてくれる。

そして、パンクで電子的な音楽にのせて鋭角的なタイトルバックが始まり、犯人の犯行の一部が少しずつ映像として流され、この映画の不気味さを増幅させている。全体にカメラの動きやカット割りは多めで、登場人物が見るものは、視聴者にも見せてくれることで、緊張感を高めていきます。

最初は肥満の男が「暴食」の罪により、続いて悪徳弁護士が「強欲」により殺されます。その尋常ではない殺人現場の様子から、サマセットは連続殺人事件であることに早くから気がつきます。そして「怠惰」により小悪党が1年かけて、じっくりと死に追いやられる状況から、ついに警察全体も「7つの大罪」をモチーフにした被害者の関連の無い連続殺人と認めざるをえないことになる。

「7つの大罪」に関連した本の図書館の貸し出し記録から、二人はジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)を容疑者と割り出し自宅に向かいますが、発砲され逃げられてしまいます。ドゥは電話をしてきて二人を称賛するのでした。

続いて「肉欲」により娼婦、「傲慢」により美人モデルが殺されますが、そこへ何とドゥ本人が警察に出頭してきました。さらに2つの死体がありその場所を教えるからと言い、二人の刑事を指名して町から離れた荒れ地に向かいます。そこで残った罪である「嫉妬」と「憤怒」の対象が明らかにされる、衝撃的で過酷なラストを迎えることになるのです。

最終的に、ジョン・ドゥの正体は明らかにされていませんし、その動機についても何となく語られるものの、それほど明確な説明はありません。しかし、都会の見て見ぬふりをする他人に対する無関心が、このような事件を引き起こすベースにあることを伝えようとしていることは間違いありません。

フィンチャーの独自の映像美と合わせて、フリーマンとピットの演技が、映画の出来をあげていることもあります。実際、ピットはこのあと2本でフィンチャー作品に登場しており、監督の良き理解者の一人になりました。監督も前作と違い、自分と同世代のスタッフが集まったことで、思い通りの映画作りができて満足だったようです。

実際、映画の評価は高く、「サイコ」、「羊たちの沈黙」などと並び称されるサイコ・スリラーの傑作としてしっかり名を刻みました。