2011年3月19日土曜日

原子力発電

今回の震災の被害を大きくしたのが津波。そして被害を長引かせているのが原子力発電所の事故。

さすがに地震国ですから、東北地方でも地震そのものによる家屋の損壊は比較的少なかったようです。津波で壊滅的被害を受けた町の被災者の証言でも、地震の後屋内にとどまっていたという声が多く聞かれています。

横浜では、横浜駅前のホーリング場の天井崩落というのはありましたが、そのほかには目立った話は聞きません。少なくとも、現在の家屋の耐震設計はかなり信頼できるものと言えるのかもしれません。

津波については、今回、専門家の方々は口をそろえて「想定以上」という表現をしています。もちろん、天災ですから、すべてを予想してあらかじめ準備すると言っても無制限の対策を取ることはできません。

問題は原子力発電所です。現在も、現地では関係者によるまさに決死の作業が続いているわけですが、資源の乏しい日本にあっては、原子力発電をまったく使用しないという選択肢はなかなかとれないという現実があります。

実際、電力の供給不足となって、計画停電という事態に至って、今までどれだけ意識しないところで便利な生活を享受していたか思い知らされたのです。

今は、節電意識が高く、多少の不便はやむを得ないと考えていますが、いつまでそれを続けることができるでしょうか。一度知ってしまった甘い味を忘れることは、なかなか難しい。

原子力の平和利用に反対することは簡単かもしれませんが、代替えの方法なしでは容易に賛成することはできないでしょう。そこで、考えるときの一つの答えが、今回の震災の中にあるかもしれません。

つまり、震災直後に運転を停止した女川原子力発電所のことをあわせて考えることが重要です。つまり女川原子力発電所は、2005年の宮城県沖地震では想定以上の揺れにもかかわらず、特に問題は発生しませんでした。今回の震災でも、自動停止し一時火災が発生したものの、すぐに問題は収束しています。

福島原発は1970年、女川原発は1984年が運転開始です。福島は日本でも最も古い原発の一つですから、この15年間の技術的な進歩というものは確実にあるのかもしれません。

もちろん、いろいろな条件の違いはあるわけですから、単純に比較できるものではありませんが、今回の全交流電源喪失という事態を詳細に検討しそれに対する二重三重の安全対策を追加していく知恵は必ずあるはずです。

同時に考えなければならないことは、原発の事故のリスクを原発の存在する地域の人々に重く課しているということです。福島から300km以上離れている首都は、直接的な放射線被害を心配しないですむ状況にあります。

とにかく、今は東京電力の職員、ハードにかかわった東芝の職員、自衛隊員、警視庁機動隊員、消防庁職員など、多くの方々が一歩間違えば命と引き替えになる危険な作業をしている最中です。

自分たちは、彼らの仕事を見つめることしかできません。彼らを信じて、とにかく事態が好転することを待つしかありません。今回の事故の多くの問題点を正しく抽出して、後にきちんと議論ができることが大切です。

それにしても、1週間過ぎてテレビもだいぶ通常の番組が戻ってきていますが、この1週間の各テレビ局の報道合戦は・・・全局で共同で一つの番組を作って、他は休んだら相当な節電になるんじゃないかと思いました。