2011年3月11日金曜日

コント55号


昨日、コント55号の坂上二郎さんが亡くなられました。

コント55号は昭和40年代、ちょうど自分が小学生から中学生のときに、テレビのお笑い番組の一番花形スターだったわけで、まさに自分にとっては演芸界のアイドルみたいな存在でした。

あれはいつだったか、父に連れられて、コント55号の生の舞台を見たことがあります。舞台が少し丸くなっていて、たぶん今は無くなった銀座あたりのホールだったと思います。

自分が座ったのは、なんと下手側の最前列でした。とにかく、舞台を見上げて坂上二郎さんの左からの横顔と萩本欽一さんの正面からの顔が記憶に残っている・・・いや、そう見えたはずという思いが勝手に思い込みを作っているのかもしれません。

テレビというのは、ずいぶんとひどい世界だと思うのです。お笑いの若い人たちを、さんざん安いギャラで使っておいて、しだいに人気が出てきてギャラが高くなると、活躍の場が無くなっていく。

クレイジー・キャッツ、ドリフターズ、そしてコント55号、みんなそうです。もちろん、それぞれが単独で活動したくなる部分もあるのでしょうけど、全員を呼ぶと金がかかるという部分はけっこうシビアな話です。

コント55号のふたりのコントは、とにかく一生懸命でした。喋りだけでなく、全身を使って人を笑わせる。それだけに、年を取ってしだいに体がついていかなくなると、彼らの本来の味が出せなくなっていたのかもとれません。

平成になってからは、ほとんどコント55号としては見ることがなくなりました。特に最初に二郎さんが倒れた後は、コント55号は事実上おしまいという感じでしたから、本当に寂しい気持ちでした。

合掌。