いざ丸々一週間休もうと思うと、随分と長いこと休むような気がします。ところが、実際休んで見ると、これがまたあっと言う間のことで、今日は早くも土曜日。
この一週間何をしたかと振り返ってみれば、いつもよりまとまって大きなゴミを捨てて、家の中が多少こざっぱりしたというのが一番の成果というところでしょうか。
先週の日曜日は外回りをせっせと片付けて、月曜日には粗大ゴミを処分。家の中の捨てるに捨てられずに場所を取っていた古本は、ブックオフにもっていくのも面倒なので、今日の資源ゴミに大挙し出してしまいました。
どうしても運べないような大きなものだけ、来週粗大ゴミでとりにきてもらいます。 実際、壊れてしまったものなどは、ゴミとして出すことあまりためらいはありません。ところが、まだ使えそうなものなどは「もったいない」という気持ちが沸くものです。
断捨離という言葉は、去年くらいからよく耳にするようになりました。これはやましたひでこさんの提唱する生活スタイルで、登録商標だそうです。無断で商用利用することはできません。
お茶碗によそったご飯は、最後の一粒まで食べなさい。お百姓さんに感謝しなさい。残したらバチが当たる、などと教わってきてんですが、今ではお腹が一杯になると、平気で残飯として捨ててしまいます。
物となるとなかなかそうはいかない。一見大事とか、いつか使うかもしれないとか思って捨てるに捨てられないものは、身の回りに山ほどあります。そういうしがらみから精神的にも解放されることが大事だというコンセプトです。
確かに、長い間出しもしない、見もしない、まして使いもしないものはこの先も同じで、生活の中では不必要なものと考えてほぼ差し支えない。
もったいないと思っても、そういうものが家を狭くして、また何か行動するときに手かせ足かせになることもないとは言えません。場合によってはそれをストレスに感じることだってあるかもしれないのです。
もともと手に入れたときには、必要だと思い欲しいと感じたからはずなのに、どうしたわけでしょう。生活が豊かになった反面、そういう無駄な部分も増えているわけですかね。
断捨離ではただ捨てるだけではなく、今度また些細な物でも手に入れるときには、本当に自分に必要なのかよく考える習慣も身につけることが一番大事ということなんでしょう。