2017年11月25日土曜日

古事記 (12) 神武天皇と八咫烏


熊野の山の中からどうやって抜け出すのか困ったイワレビコでしたが、そこへ登場するのがタカギが道案内として送った八咫烏(やたがらす)でした。

お陰で、イワレビコは、八咫烏について無事に吉野にたどり着きました。各所で国つ神の服従を誓わせながら宇陀まで来ると、宇迦斯(うかし)兄弟は八咫烏に矢を放ち抵抗しますが、勝ち目はないと考え御殿を作って歓迎します・・・と見せかけて、御殿の中に罠を仕掛けます。

ところが弟は兄を裏切って仕掛けをイワレビコに教えたため、イワレビコは兄にまず自分から御殿に入るように仕向け、兄は自らの罠によって死んでしまいます。

忍坂の大室(奈良県)では、荒々しい八十建(やそたける)らを料理で振る舞うふりをしてやっつけちゃいます。そして、ついに生駒山に到着し、今回は太陽を背にして、那賀須泥毘古(ながすねびこ)を倒します。

このあたりの古事記の記述はあっさりで、しかもここで唐突に饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が登場し、「天孫に続いて天下って来ましたが、これからはあなたに仕えます」と宣言し、周りの反抗する神を説得しました。

ついにイワレビコは、畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)で、天下平定を成し遂げ王として即位します。これが、後に天皇と呼ばれるようになったわけで、イワレビコはその初代に数えられることになりました。

まず、八咫烏・・・って、実は今もけっこう活躍している。サッカー日本代表のシンボルマークになっています。天武天皇が、毬蹴が好きだったらしいということからのようで、ゴールへ導いてねという願いが込められています。

咫は長さの単位で1咫は約18cmですから、八咫烏は羽根を広げて144cm・・・って、さすがにそんなに大きいのはないでしょう。もう一つの特徴は、普通は4本ある足の指が3本ということらしい。今でも熊野では神様の使いとしてカラスは尊ばれています。

次にナガスネヒコですが、ある意味イワレビコ最大のライバルにしては、古事記の記述は少ない。そこで、ニギハヤヒのことも含めて日本書紀の記述も参考にして、もう少し状況を整理しましょう。

イワレビコは、何度もナガスネヒコに攻撃を仕掛けますが苦戦。すると金色の鵄(とび)がやってきて、イワレビコの弓の先端にとまり強烈な光を放ちナガスネヒコの軍の戦意を喪失させました。

ナガスネヒコは、「天つ神のニギハヤヒが降臨し、妹を娶ったので、自分は仕えている。なのに、あんたも自分は天つ神の子と名乗り人の地を奪おうとする。嘘つきだ」と言いました。

証拠を見せろとイワレビコが言うと、ナガスネヒコはニギハヤヒの天羽羽矢(あめのははや)と步靫(かちゆき、矢を入れる筒)を取り出しましたが、それはイワレビコのものと同じでした。それでもナガスネヒコはここまできたら今さら戦いを止められないと言います。

天つ神の御心を理解しているニギハヤヒは、なんと自ら強情なナガスネヒコを殺してしまいました。ニギハヤヒは、イワレビコを本物として認め仕えることになりました。イワレビコもまたニギハヤヒが天下ったものであることを認めました。

そもそもそイワレビヒコの東征のきっかけに、ニギハヤヒのいる東が素晴らしいところだということがありました。つまり、イワレビヒコは実は元々その存在を知っていたわけで、あえて奪いに来た確信犯ということになる。

これって、けっこう凄い話ですよね。つまり、高千穂に降りたニニギと生駒山に降りたニギハヤヒという、二つの天孫降臨があったということを大和朝廷公式文書が認めているということ。天皇と同格の勢力が、すでに畿内に成立していたことになります。

神武天皇の存在はずっと疑われていて、日向の地から大和へ権力の移動を説明するための創作という意見も多い。天皇制度の正当性を主張することが最も重要な目的としている記紀では、わざわざ書く必要はないエピソードであり、その裏側にある意味がはっきりすると建国の歴史が大きく変わるようなことかもしれません。