2017年11月29日水曜日
古事記 (15) 神功皇后の神秘
景行天皇の後を継いだのは、ヤマトタケルの異母兄弟の成務天皇ですが、ほとんどエピソードもないうちに亡くなり、その次はヤマトタケルのこどもである仲哀天皇が即位します。奥さんは息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)、いわゆる神功皇后(じんぐうこうごう)で、神のお告げが聞こえるらしい。
天皇が熊襲討伐のため筑紫にいた時・・・って、ついこの前ヤマトタケルが成敗したはずなのに、また朝廷に反発するというしつこい連中ですね。神功皇后は神のお告げとして、「西に金銀、財宝がたくさんある国があり、天皇の国にするがよい」と伝えました。
天皇は、「西の方は海しかないので、それは嘘だ」と相手にしなかったので、神は怒って天罰により急死してしまいます。神功はこの時妊娠中でした。国中で徹底的に禊(みそぎ)を行い、もう一度神様を呼び出しました。
すると、出てきた神様はアマテラス配下の住吉三大神で、「皇后のお腹の子が国を治めなさい。すべての神を大事にして、自分を船に祀って海を渡れ」と言うので、神功を先頭に新羅(しんら)国まで一気に攻め入ります。
新羅(しんら、あるいはしらぎ)は紀元前1世紀~10世紀までの朝鮮半島の東側半分を占める国。4世紀~7世紀には西側半分が百済(くだら)で、北部と大陸にかけてが同じ時代には高句麗(こうくり)でした。おそらく実際の歴史の流れでは、古事記中つ巻のエピソードは、朝鮮半島ではこの三国が覇権を争っていた時代だろうと考えられています。
さて、その勢いに驚いた新羅は、戦うことなく従属することになりました。その話を聞いて百済と高句麗も、あっさりとひれ伏してしまい、「三韓征伐」を成し遂げました。神功は、懐にくくりつけた石で子が産まれるのを遅らせていたので、筑紫に帰ってすぐに品陀和気命(ホムダワケノミコト)を出産しました。
倭(大和)に戻る時、ホムダワケの異母兄弟が謀反を計画していることを察知します。皇后の軍は、まず喪に服した船を用意して生まれたホムダワケが死んだように装い相手を油断させ、さらに弓の弦を切り降伏した振りをして、敵が武器を下ろしたとたんに呼びの弦を張りいっきに攻め滅ぼしました。ホムダワケは第15代、応神天皇に即位し、神功は摂政になりました。
まぁ、神が憑依するわ、大きなお腹を抱えて、出産を無理に遅らせ海外遠征するわで凄い話の連続ですが、身内との戦い方も高度な作戦勝ちで驚かされます。ただし、かなり卑怯な方法で、さぞかし相手は悔しい思いをしたでしょうね。この戦いは、一族内の天皇の座を巡る史上初めての御家騒動の記録であることも注目すべき点かもしれません。
いずれにしても、俄かに真実としては信じがたい話ばかりなので、欠史八代だけでなく、ヤマトタケルも含めてほぼ創作であり、ここまでを神話と考える研究者も多いようです。
このあたりの話は、日本書紀でもほぼ同様の記述になっています。ただし、否が応にもいろいろな想像を掻き立てるのは、やたらと神功の記述の中に「別伝によると」という備考が多いこと。そこには、魏志からの引用も使われていて、明言はされていないものの「神功皇后=卑弥呼」という疑惑が浮かんできます。
事実だけど肯定できない理由が何かがあるのか、あるいは意図的にそのように思わせたいのか・・・いまだ正解が見えていない古代史の大きな謎の一つです。