2017年11月10日金曜日

神社の成立と社格


元々、何か祀り事をする時だけ、祭壇を用意したのが常設化したのが神社の始まり。弥生~古墳時代に整備されていったと言われています。

6世紀半ばに朝鮮半島を経由して大和朝廷に公式に仏教が伝来してくると、賛否両論を巻き起こしながら日本でも広まっていきました。特に仏教に肩入れしたのが豪族の一つである蘇我氏。仏教が、実際に民間に浸透するのは平安時代以降とされています。

時の権力者の考え方もあって、神仏は抜きつ抜かれつの状態から、しだいに両社が混在する神仏習合の時代が、なんと明治維新を迎えるまで続きます。この中で、例えば両者が合体した神宮寺と呼ばれるものも登場しました。また、仏が生まれ変わって神様になったと考える権現(ごんげん)もありました。

明治政府は神仏は異なるものという考えから、神仏分離令を出します。これによって、神社に中の寺、あるいは寺の中の神社は分離・整理されました。神主さんの一部は住職に、住職の一部は神主に専従することになります。

戦後は、GHQの指導により国家から宗教が切り離されることになり、それぞれが宗教法人として自由な活動を行うようになりました。神社を統括する組織として神社本庁が設立されますが、庁とついていても政府の機関ではなく、民間宗教法人の一つ。中には所属していない神社もあります。

現在は神社の格付けは無くなったので、実質的な分類としてはすべての神社の頂点にある「神宮」とその他のすべての神社という単純化されたものしかありません。単に神宮と言う場合は、いわゆる伊勢神宮のこと。つまり伊勢神宮は通り名であって、正式名称は神宮の漢字二文字です。

それまでは、神社には社格と呼ぶ格付けがありました。古くは大宝律令(701年)によって、公的に管理する(各種の祈念祭の運営費用を出す)神社を「官社」と規定しました。延喜式神名帳(927年)という神社リストが現存していて、ここに2861社が記載されています。

これらを式内社(しきないしゃ)と呼び、格式の高い重要な神社とされました。一方、リストにのらなかった神社は式外社(しきげしゃ)と呼ばれます。

式内社の中で、朝廷の直接の管轄下にある神社は官弊社、地方の行政単位である「国」ごとの管轄にあるものを国弊社と呼びました。それぞれ大小があり、官弊大社、官弊小社、国弊大社、国弊小社に分けられます。

さらに、それぞれの国で、最も有力な神社から順に、一宮、二宮、三宮・・・という順位が付けられました。国府(今で言う県庁所在地)の近くにこれらをまとめたものが総社です。11世紀初めに、特に重要とされる神社が選出され「二十二社」と呼ばれるようになります。

明治政府は新たに神社の格付けを行い、社格の対象外である(伊勢)神宮と官国弊社として218社、諸社(民社)として約5万社、無格社として約6万社を規定しました。

現在、社格制度は廃止され、伊勢神宮以外は同格となっていますが、
神社本庁は別表神社という制度を設けており、旧官国弊社に加えて、一定の基準を満たす重要な神社(約350社)を厳選しています。

意外なことに、有名な京都・伏見稲荷大社、石川県・気多大社、東京・靖国神社などは神社本庁組織には加入していません。