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2017年11月15日水曜日
記紀神話が知らなかった伝承
日本の古代史を知るための文献資料は古事記、日本書紀だけではありません。魏志倭人伝のような外国の古文書もありますが、実は国内にも無視できない重要な書物があります。
日本書紀に続いて正史として編纂された六国史(続日本紀、日本後紀など)と呼ばれるものがあります。ただし、これらは平安時代初めまでの記録的文献で、古代史という観点からはあまり役には立ちません。
古事記・日本書紀が成立した直後に、朝廷は各地方にその土地での歴史・文化、そして生活の現状のレポートの提出を指令しました。これは朝廷が地方当地の指針とするためで、天皇へ献上され「風土記(ふどき)」と呼ばれています。
全国から調査結果が提出されてきますが、地域によって温度差はいろいろで、出そろうまでに数年~数十年を要しました。また報告内容も大雑把なものから、微に入り細に入り詳細なものまでいろいろ。完本として現存するのは「出雲国風土記」のみですが、部分的に残っているのは播磨国、備前国、常陸国、豊後国の4つで、後世の書物に引用の形で逸文として残されているものが少々。
完本ということもありますが、記紀の中でも重要な位置にある出雲の風土記は最も注目する必要があります。記紀が、体系化され朝廷が制作した「正史」であるのに対して、風土記にはその地域に伝承されてきた話が収載されています。
記紀以後にそれらとの整合性を意識したものもあるようですが、その土地だけに伝わるオリジナルの神話もあり、記紀だけでは伝わってこない本当の歴史が見え隠れしているのかもしれないということです。
特に、記紀にはまったく載っていない、出雲オリジナルの「国引き」の話は有名です。もちろん荒唐無稽で、支配者としての天皇家を明確にする話とは無関係の話です。
元々の島根半島は東西に細長く、土地が少なかった。八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト)は、「八雲立つ」この地を出雲と命名し、遠く海の向こうの余っている4つの土地を裂いて、綱をかけて引き寄せました。その結果、真ん中に宍道湖が残された。
・・・というもので、時の支配者が勢力を拡大していく過程、朝鮮半島からの人や文化が入ってくることに対する理由付けなのだろうと思います。
記紀に登場するいくつかの神も、出雲国風土記には登場するのですが、これは記紀より後年であることから、記紀の内容を考慮した部分があると言われています。
当然、最も登場回数が多いのは大国主命(オオクニヌシノミコト)ですが、風土記の中では大穴持命(オオナモチノミコト)あるいは所造天下大神(アメノシタツクラシシオオカミ)と呼ばれていますが、八十神を倒す話、あちこちに妻がいるプレイボーイの話、国を天皇家に譲り引退宣言をする話などが書かれています。
神須佐乃烏神(カムスサノオノミコト)はスサノオのことですが、記紀にあるようなオオクニヌシとの血縁関係の記載はなく、勇猛で荒々しいイメージはありません。妻であるクシナダは登場しますが、八岐遠呂智退治には触れられることはありません。
少なくとも、古代にそれぞれの場所で勢力を増していった土地の一つが出雲で、別の場所で発祥した天皇家に平和的に併合されたことは間違いないようです。
そして、多くの出雲出身者が天皇家に関わりを持つことになったのだろうということが、記紀神話の中で出雲が重要な土地として記述された理由なんだろうと思います。