2017年11月2日木曜日

古事記(8) 此葦原中國者、我御子之所知國


さて、大国主神により出雲が豊かな国として発展したところで、久々に登場してくるのが高天原の天照大御神。

アマテラスは、「そもそも葦原中国は天つ神が治めるはずのもの。国つ神から返してもらう」と言い出した。長男の天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)を派遣するも、地上が騒がしいという理由で天浮橋から引き返してきてしまう。

そこで、今度は次男の天菩比神(アメノホヒノカミ)を下らせるのですが、オオクニヌシに丸め込まれて3年たっても戻ってくる気配がない。

三人目は天津国玉神(アマツクニタマノカミ)の子、天若日子(アメノワカヒコ)なんですが、これもまた地上に降りた途端にオオクニヌシの娘、下照比売(したてるひめ)と恋に落ち結婚。8年たっても音信不通という事態でした。

しびれを切らしたアマテラスは鳴女(なきめ)という雉を偵察に行かせたところ、怪しんだアメノワカヒコは、アマテラスに授けられた弓矢でこれを射殺してしまい、その矢は高天原にまで届きます。

高木神(タカギノカミ、高見産須日神の名前が、何故かこのあたりからこう呼ばれる)が、「アメノワカヒコが命令を守っているなら大丈夫だが、もしも寝返ったのならこの矢で死ぬ」と言って矢を投げ返します。すると、矢はアメノワカヒコの胸に刺さって、彼は命を落としてしまいました。

アマテラスは生ぬるい交渉では埒が開かないと考え、いよいよ武力行使も辞さない気持ちで体育会系の建御雷之男神(タケミカズチノオノカミ)を出動させます。

タレミカズチは出雲の伊那佐の小浜に降り立ち、剣をぐっと浜に刺しました。出雲大社の西側の浜を、今でも稲佐の浜と呼んでいるので、きっとその辺りのことでしょう。

そしてオオクニヌシに「国をよこせ」と詰め寄りますが、オオクニヌシは息子の事代主(コトシロヌシ)の意見を聞いてくれと返答します。しかし、情ないことにコトシロヌシは「どうぞ差し上げます」と言って隠れてしまいました。

オオクニヌシは、もう一人の息子である建御名方(タケミナカタ)の意見も聞くように言います。そこへ登場したタケミナカタは、タケミカズチに劣らない武闘派。早速、力比べが始まりますが、これが日本初の相撲の試合ということ。

タケミナカタは圧倒的なタケミカズチに敵いそうもないと恐れをなして、信濃国の諏訪湖まで逃げていき、平謝りで命乞いをしてしまいました。そして、信濃国から出ないと約束してしまったので、現地で祀られることになってできたのが諏訪大社

オオクニヌシは、国を譲ることを了承し、ここに有名な国つ神から天つ神への平和的な「国譲り」の神話が成立しました。ただし、オオクニヌシは自分が引きこもるのに、高天原に届くくらい大きな宮殿を作ることを条件にします。

これが出雲大社の起源とされていて、でかい建物ですから注連縄のやたらと太くなった。当初本殿の高さは100mくらいある高層建築と言われていましたが、2000年に直径1.4mを3本束ねた宇豆柱が地下から発見され、現在の本殿よりもかなり高かったことは間違いないようです。