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2018年2月3日土曜日
万葉集 (2) 成立事情
籠毛與 美籠母乳
布久思毛與 美夫君志持
此岳尓 菜採須兒
家吉閑名 告紗根
虚見津 山跡乃國者
押奈戸手 吾許曽居
師吉名倍手 吾己曽座
我許背齒 告目 家呼毛名雄母
ぎょぎょぎょ、こりゃ一体・・・と思いますが、実は万葉集はすべての歌が漢字だけで書かれています。話し言葉に読みが同じ漢字を当てているので、本来の漢文ではありません。これが膨大な歌を収載する、万葉集の最初の歌。奈良県桜井市付近の森で、通りかかった雄略天皇が、美人に一目惚れして詠んだ歌とされています。
訓読分はこんな感じ。
籠(こ)もよ、み籠持ち
掘串(ふくし)もよ、み掘串持ち
この岳(をか)に菜(な)摘(つ)ます兒(こ)
家聞かな、告(の)らさね
そらみつ大和の国は
おしなべてわれこそ居(を)れ
しきなべてわれこそ座(ま)せ
われにこそは、告らめ、家をも名をも
現代語訳するとこんな感じ。
籠よ、美しい籠を持ち
箆(へら)よ、美しい箆を手に
この丘に菜を摘む娘よ
どこの家の娘か、名は何という
広い大和の国は
すべて私が従えている
すべて私が支配している
私こそ教えよう、家も名も
「万葉集」は全20巻、4516首の歌を収録しています。ちなみに、万葉集以後を集めた「続万葉集」と言えるのが「古今和歌集」です。
そもそもタイトルからして、いろいろと議論があるようです。昔の仮名書きでは「まんえふしふ」と書いたので、現代では「まんようしゅう」と読むのが一般的ですが、「まんにょうしゅう」かもしれない。
その意味は、何代にもわたる万代(よろずよ)から集めたもの、あるいは多くのという意味で万(よろず)の言葉(ことのは)を集めたものと考えられています。「葉」は、言葉以外に、歌の例えとしての木の葉(このは)、あるいは歌を書いた紙を数える単位としての葉(よう)など様々な意見があります。
編纂の経緯についてもほとんど確定的なことはわかっていませんが、天武紀に国家形成が進む中で、宮廷への服属の印の一つとして、諸国の歌を献上させていて、その折りに集まってきた宮廷讃歌を中心に編集が始まったとことが想像されます。
そして少なくとも、主たる編集は天平時代、天武系の聖武天皇の時で、何らかの指示があったと思われます。つまり記紀と同じく、神格化した天武天皇の威光を高めることが目的としてあることは間違いなく、天武・持統天皇を中心として、父親の舒明、母親の皇極からの皇統礼賛の意識があるわけです。そして、諸国を巡ることが多い大伴家持が関わるようになって、最終的に自らの歌を中心にまとめあげられたとみられています。
家持が亡くなるのは785年のことで、ほぼ完成したものが家持の手元にあったはずなんですが、何しろその直後に「藤原種継暗殺事件」が発生します。家持はこの事件の犯人の仲間として扱われ、万葉集も一度表舞台から消された存在になります。桓武天皇が806年に亡くなったのをきっかけに家持の罪が許され、平城天皇が即位した後に、万葉集はやっと公開されたと考えられています。