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2018年2月12日月曜日
記紀から知る建国の思想
一般に、日本の歴史の中で古代と呼ばれる時代を、古事記、日本書紀、そしていくつかの信頼される史書を通して勉強してきました。それらのあらすじから見えて来たものは、基本的に現在は「天皇」と呼んでいる、大王(おおきみ)の系譜をたどることでした。
ただし、特に記紀の目的は、繰り返しになりますが「歴史」であると伴に、大王が君主として支配し続けることの正当性を明らかにし、大王に対して尊敬の念を持ち服従すること迷いをなくすことにあったことは明白でした。それまでの語り継がれてきたいろいろな伝承があるにせよ、それを文字に残し記憶から記録に変えたのは天武天皇の時代です。
天武天皇は、国家の形成に対してそれまで以上に意識の高い天皇でした。観念的な部分よりも、理論的な合理性を重視した天皇であったという気がします。しかし、自らの絶対的な支配者としての立場を明白にするために、記紀の中におそらくは多くの創作、あるいは口承の改変が行われました。
しばしば言われることですが、「歴史は勝者が作るもの」ですから、記録された時点での勝者、あるいは支配者にとって都合の良いものが中心になるのは避けることはできません。つまり、その実務的な編集作業は、勝者の一角として天皇家に匹敵するほどの力を持っていた藤原氏が深く関与していたことは間違いがありません。
時代の流れの中で刻々と発生するエピソードを、その事象のみを淡々と記録することができれば、作為のない真っ新な「歴史」になるのかもしれませんが、おそらく歴史学は、それらの事象の生じた理由と、その後にどういう影響を与えたか明白にすることで成り立ちます。そのためには、「勝者」だけに偏よらない事実を見つけ出すことが重要ですが、古代史においては史料に乏しく様々な憶測が発生します。でも、そこが「謎」であり魅力があるところです。
今一度、記紀にみられる神代の世界に立ち戻ってみます。
縄文時代以後、日本は農耕民族として発展してきました。縄文時代と呼ばれる時期は、その後の時代区分と比べるとやたらと長い。時を遡るほどわからないことは多くなりますから、やむを得ないことではあります。稲作は縄文時代に始まっていたことはわかっていますが、国土全体に広がり文化として形成されるのが次の弥生時代であり、それは個人行動から集団行動、つまり「国の始まり」につながります。
自然発生的な植物採取から、意図的に栽培し収穫を得るという変革は、貧富の格差を発生させ、それが支配者を誕生させるきっかけです。また、植物栽培という観点からは、太陽の光と熱が重要であることが理解されるようになりました。世界中の農耕民族にとって、太陽が照らす昼間の重要性は、当然のように太陽信仰という考え方を発生させることはごく自然なことです。
つまり太陽がすべての恵みの根底にあり、そのことをイメージ化したものが「神」という存在であり、日本ではそれが最高神としての天照大御神に凝縮されたといえます。
古事記では「天地開闢後、造化三神が現れる」ところから始まりますが、日本書紀では「初め世界は混沌であったが、澄んだものが上に登り天、濁ったものは沈んで地を造り、その間に神が生じた」と書かれています。太陽がある空をより高貴なものとし、すべてのことの始まりから天の支配性と地の従属性を変えようがない真理としています。
天から地に最初に降り立つのは伊邪那岐(イザナギ、日本書紀では伊弉諾尊)と伊邪那美(イザナミ、日本書紀では伊弉諾尊)で、二人(二柱)は、まず国土を産み作ります。人間の周囲にある自然環境すべてが同じところから発生し、すべてのものに霊魂、もしくは霊が宿っているという宗教の根源的な考え方(アミニズムと呼ばれる)を示しています。
たとえば現代でも食事の始まりのあいさつとして、無意識のうちに「いただきます」と言うことが定着しています。これは、神への供え物などを頭上に「頂く」ことが語源とされています。しかし、その意味は人とその他の生命、自然そのもののすべてが同じところから生まれたもので同胞であることから、その命を自分のために「頂く」という気持ちが込められているそうです。
最後に生まれるのが、天にいて世界の頂点を支える天照大神、太陽が消えている夜の時間を密かに守る月読尊、地を支える須佐之男(素戔嗚尊)の三神です。月読尊の話題がほとんど無いことを不思議に思っていましたが、あらためて考えると人の活動は太陽が出ている昼間が主であり、夜は静かに何事も起こらないことが望まれているわけですから、月読尊の話が少ないことは当たり前なのかもしれません。
須佐之男命が天に上がって、大暴れして再び地上に追放されることは、天と地の決定的な上下関係を示し、一度地の者とされればどんなに抗っても無駄であることを意味しています。そして、天孫降臨の話によって最も高貴な太陽神の血統を引くもののみが地上を支配することができるとしました。
だからこそ、時にかなりの無理をしてでも天皇の「万世一系」に対するこだわりがあり、それを守ることが支配階級の安定につながったわけです。第二次世界大戦の敗戦後、天皇は自ら「天皇は神ではなく、人である」ということを明らかにしましたが、それでも意識するしないにかかわらず日本人の民族意識の根底に深く根付いているところなのだと思います。