何年か前に、春の時期にもみじが真っ赤になっていて驚いたという話をブログで書いたことがあります。
実に、その時に初めて、春に紅葉するもみじがあることを知りました。日頃から、周囲の季節の移り変わりとかにまったく無関心だったということです。
その頃から、たぶん物の見方が変わってきたのかもしれません。いろいろな意味での生活の中でのゆとりが、自然と出てきたように思います。
そういう意味では、「ゆとり教育」という言葉で接明しているのは、第三者から強制されたもので、ゆとりではなく「緩み」なのかもしれません。
閑話休題。ちょっとあちこちを見回すと、秋に劣らず美しい緑から赤へのグラデュエーションが見つかります。
緑が萌える季節ですから、けっこうその気で見ていれば目立つものです。昔は何を見ていたんですかね。