主として娯楽映画で名声を築き、「カラー・パープル」や「太陽の帝国」の社会派ドラマでは、もう少しの評価で留まっていたスピルバーグでしたが、ここに来て現代映画界の重要な映画作家として認められたと言えるのかもしれません。
しかし、ナチス・ドイツによる、第2次世界大戦下のユダヤ人虐殺、いわゆるホロコーストにまつわる実話を正面から取り上げたこの作品は、スピルバーグという監督の作品であることを一旦忘れて、色眼鏡無しで見ることが大事だと思います。
3時間15分という長尺ですが、大きく3つのパートに分かれています。最初の1時間は、ドイツ占領下のポーランドの都市クラフクにやってきたナチス党員であったオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)が、ユダヤ人を利用して工場を経営し成り上がっていく様子を描きます。
シンドラーは、最初は安い労働力としてユダヤ人を利用し、軍人にうまく媚を売る商売人です。経理を任されたユダヤ人のシュターン(ベン・キングスレー)は、シンドラーの真意がわからず、注いでもらった酒に手を付けません。
中盤は、町にゲート少尉が収容所所長に赴任してきて、しだいに無差別な殺戮が始まるのです。少しでも働かない、役に立たない者はいとも簡単に射殺される描写は、あまりに過酷で正視に耐えません。シンドラーはゲートに「罪人であっても許すことが力になる」と説きますが、軍の中にいてそれを実践することは難しく、戦時下の日本も同じだったのかもしれません。
そして、シンドラーはユダヤ人に対するあまりにも非人間的な扱いに対して、私欲よりも彼らを助け出すことの重要性に気がつくのです。彼は、それまで工場で得た莫大な利益を使って、アウシュヴィッツ収容所送りになるユダヤ人の中から、自分の労働力として必要という名目の人々のリストを作り「買い取る」ことを申し出ました。
その数は何と1000人にも及ぶものでしたが、間違ってアウシュヴィッツに送られた女性たちも、再度掛け合って助け出すのです。終戦になるなる頃には、シンドラーは金を使い果たし破産状態でした。いつか、二人で飲みかわしたいとシンドラーに言われたシュターンは、今度は「それは今です」と言って酒のグラスを口にしました。
終戦を迎え、工場内にユダヤ人、そして監視のドイツ兵士らを全員集め、シンドラーは語ります。「みんなは自由になる。家族を探すことになるが、おそらく見つけられない。自分は、おそらく戦争犯罪人として逮捕されるかもしれないので、ここを去ることを許してもらいたい。兵士諸君は、全員を処刑するように命令されていると思うが、今なら簡単だ。それとも人としてこの場を去るか決断してもらいたい」
兵士たちは、皆、銃を構えることはなく工場を出ていくのです。そして、シンドラーはシュターンと抱き合って、「車を売ればあと10人、ナチス党の金バッジであと一人救えたはずだった。努力が足りなかった」と言って泣き崩れるのでした。
当然、戦闘シーンがあるような映画ではありません。戦争での大義名分のある殺人と違って、ここに描かれている多くの死んでいく人々には殺される理由がありません。それが、戦争の本当の惨たらしさを切実に訴えてきます。
この映画にはユーモアはありません。最初から最後まで、重たくのしかかった運命に翻弄される人々、それはユダヤ人だけでなく、場合によっては戦争によって変わってしまったドイツの人々も含めて、淡々と語られていきます。
映画は白黒で撮られていますが、最初と最後はカラー。ユダヤの安息日の蝋燭の炎が揺らめくところが、冒頭では意味が分かりませんでしたが、最後では否応なしに心に響きます。途中でも、兵士が町を粛清する場面で、逃げ惑う人々の中に赤いコートを着た女の子が忽然と現れ、兵士に捕まることなく悠々と走っていくのですが、ここもパートカラーの処理をしています。
これはスピルバーグ自ら語っているように、「ホロコーストという恐怖は、この赤いコートのように目立つことで、誰の目にも明らかだったにもかかわらず、アメリカを含む世界中が手を出さなかった」ことを象徴していて、シンドラーの気持ちが変化する起爆剤となっていくのです。
物語が終わった後、生存する救われた人々と、それぞれを演じた俳優たちが一緒になってシンドラーの墓に参るところは感動的です。彼らはこの映画が、完全に真実を伝えていないにしても、実際にどんなことが起こっていたのかを知るための役に立つと認めたからこそ、出演を承諾したと思います。それが、最後にハッピーエンドとならないこの映画で、見終わった後の唯一の救いとして心に残ります。
シンドラーが一人で1000人ものユダヤ人を救ったことは凄いことですが、その裏でドイツ側資料で250万人、ユダヤ側資料では600万人にもおよぶホロコーストの犠牲者がいることを忘れてはいけません。シンドラーは必ずしも善人ではなかったのかしれませんが、ホロコーストに対して無関心ではありませんでした。
シンドラーが一人で1000人ものユダヤ人を救ったことは凄いことですが、その裏でドイツ側資料で250万人、ユダヤ側資料では600万人にもおよぶホロコーストの犠牲者がいることを忘れてはいけません。シンドラーは必ずしも善人ではなかったのかしれませんが、ホロコーストに対して無関心ではありませんでした。
そして、ユダヤ系アメリカ人であるスピルバーグも無関心ではいられなく、このテーマを扱うことの責任は大きかったと想像されますが、映画人としては避けることができないものだったと感じます。スピルバーグは、この映画で金を貰うわけにはいかないと言って、監督料は受け取りませんでした。