監督は、現場で撮影を指示してOKを出す人。映画の個性を最も決定づけているのは、監督の意向と言えそうです。誰々が監督した映画、という語られ方で作品を論じることが普通です。
映画を作るための資金を調達し、俳優を集めてくるのはプロデューサー(制作)という立場の人。映画を作るのには莫大なお金がかかるので、この役割を担う人がいなければ始まらない。
監督がこうしたいと思っていても、プロデューサーがウンと言わなきゃダメ。時には、雇われ監督による、プロデューサーの意向に沿うだけの作品もあります。アカデミー作品賞は、プロデューサーに与えられるものという言われています。
ちなみに日本では、このプロデューサーにあたる「制作委員会」という方式が多い。資金調達が分散するのでお金を集めやすくなりますが、当然利益は少なくなります。
さて、監督よりも、プロデューサーよりも、偉いということになっているのがエグゼクティブ・プロデューサー(制作総指揮)で、例えばスティーブン・スピルバーグは、この役割で参加している映画が、自分の監督作よりも多い。
ところが、この肩書は、偉いんですが役割は何だかよくわからない。映画が売れるために、名前だけ貸しましたみたいなものもある。実際のところ、「スピルバーグの××」と宣伝され、監督だと思って騙されたなんてことは山ほどあります。
スピルバーグの映画だと思ったら違っていたけど、めちゃめちゃ面白くて大ヒットした代表的な作品が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のシリーズ。
そもそもは、制作であり脚本を書いたボブ・ゲイルのアイデアから始まったもの。ゲイルは、スピルバーグが監督した「1941」の脚本を書いた人。若くして有名になったスピルバーグには、70~80年代にはずいぶん一緒に仕事をしています。
監督はロバート・ゼメキスで、この人もスピルバーグの弟子みたいなもの。ゲイルとのコンビで、初期のスピルバーグ作品を支えた感じです。1994年の「フォレスト・ガンプ」でアカデミー監督賞を受賞しました。
このシリーズは、ゲイルが思いついた話を、ゲイルとゼメキスで脚本化して、スピルバーグの興したアンブリンの元で作り上げたということ。何かにつけて「スピルバーグさんがついていますから」と言えば、いろいろな交渉もやりやすくなったのかもしれません。
タイム・マシン物の映画はたくさんありますが、この映画のポイントは「みんなが体験してきた(あるいは容易に想像できる)過去」に戻るというところ。古い時代に戻るのは、歴史の教科書にのっている過去の見物みたいなところがあります。
ですから、タイム・スリップしたところには、いろいろな懐かしさを見出すことができて、登場人物の今昔の変化が直接映画に関連してくるところが、ストーリーの幅を広げています。
「1941」では、悪乗りしすぎたギャグの連続でスピルバーグの評価を下げまくったゲイル&ゼメキスですが、ここではマイケル・J・フォックスという、実に誰からも愛されキャラの俳優を得たことで、嫌みの無いスマートなコメディ要素を組み入れることに成功しました。
未来的なSF感覚で、オールディーズを語るロマンティック・コメディ要素のアクション映画とでもいえる、面白さてんこ盛りの内容なのに、ぞれぞれのバランスがうまくとれていて絶妙と言わざるを得ない。
内容は今更何をか言わんや。ハードなスピルバーグ作品で。ちょっと疲れてきた時でも、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見れば元気回復。何度目でも、散りばめられたいろいろな仕掛けを発見できる楽しい映画です。
ちなみに、パート2、パート3までのトリロジーとして×十周年記念ボックスとして数種類のパッケージが売られていますが、自分が持っているブルーレイ・ボックスは海外版。しかも、本編には日本語字幕・日本語吹き替えが入っているだけでなく、特典映像にも日本語字幕が付属しています。中古の購入価格は2000円を下回るのでお買い得です。